発達障害の先天的地誌的見当識障害の可能性

noteに自分の地誌的見当識障害のような症状のこと書きたかったんだけど、自分の症状を語るにはまず前置きの障害の説明からしないといけなくて困っている。あまりにも面倒だし適当に書くと影響ないだろうし、そもそもわたしは実際に高次脳機能障害の人の地誌的見当識障害を見たことない座学だけの知識で10年以上前の教科書に載ってたことだし、知識アップデートされていない。でも同じような人いると思うので自分のコアな知識と経験を共有したいと思うので書く。とりあえず発達障害で道や景色を覚えられない人、PTOTST、精神科医には届いてほしい。


高次脳機能障害を学んで教科書を読んでた大学時代に驚いたことがある。わたしが先天的に「道が覚えられない」「慣れてるところでも道に迷う」「景色が永遠に覚えられない」「通ったことある道なのか見たことある景色なのか写真ではわからない」「看板が張り替えられても前の看板を全く思い出せない」等の症状が「地誌的見当識障害」という名前として挙げられた症状と酷似していたからだ。前述した通りわたしは高次脳機能障害の人と関わったことがあっても地誌的見当識障害の人とは話したことがない。もしかして関わった人の中で障害を持っていたかもしれない人もいるけど、言及してもらったことはない。なのでどれくらい自分が深刻なのかもわからないし、逆に一般的なことなのかもしれない。でもわたしは発達障害の勉強を同時にしていても地誌的見当識障害のことは言及されてるのを見たことがない。10年以上前の文献と教科書の話だし、国内の物のほんの一部しか読んでないわたしの知識は浅く、結局国家試験さえ受からなかった。ただ個人の体験として残したく、また共感してくださる方が何人かいたら研究が進むといいのになあと思う。

わたしは昔からめちゃくちゃ道と景色が覚えられない子供だった。周りの人が地図が読めないとか言うのに適当に共感していたが、そういうレベルではない。元々空間認識がかなり弱く、例えば「片付ける」という行動においても「片付けた後の空間」を想像できず収納などの仕方がわからなかった。ちなみに今も実はよくわかっていない。

自分の感覚が異常かどうなのかは周りに聞いたことはないので確認したことはない。子供時代に両親共に「ここは通ったことのある道でしょうか?」と笑われながら何回も試されて、道を覚えられないことは他人にとって恥ずかしいことなのかと学んだ。羞恥心のない頃は親に「この先別れ道だったよね?」と言うと「こんなところに車が通る道はないよ」などと言われたりして、かなり見当違いなことを言っていたのだと思う。しかし生粋のESFPなこともあり、自分が間違えると両親が楽しんでくれていたので自虐的に覚えられないことを自慢のように話して笑わせていた。

こんなことも障害なのかと言われるかもしれない。大袈裟すぎると言われるかもしれないし、信じられないと言われるかもしれない。でも誇張はしていない。

まず、道を覚えられない件だが、道を覚えるのにただ方向感覚だけでは永遠に覚えられないので、看板の文字などを覚える。珍しいキャッチコピーや色の看板は役に立つ。住宅街は本当に覚えるのが大変で、似たような家がありすぎて迷ったことに気づかないことがしょっちゅうある。通ったことのある道なのかの区別がつかない。なので、まず「慣れている道」を作ることからしてハードルが高い。例えばこの看板が出たら右に曲がる、とか言語化をしなければ覚えることが難しい。

そして「慣れている道でも迷ってしまう」だが、4年半住宅街で1人暮らししていて最後の最後まで曲がる道を1本間違えるとどこに辿り着くかわからなく、突然不安になったりした。大学には3つほど駐輪場があったが、わたしはそのうちの1つの駐輪場にまで行く道をたまに忘れてしまう。常にどこで曲がるのか忘れて、迷ったとしても合ってたとしても景色が覚えられなくてずっとそこまで見えてる大学に向かって確信のないまま自転車を走らせるだけだった。これだけ読むとそんな症状は認知症以外有り得ないと思われるかもしれないけど、本当だしこの症状があっても知的には問題はなく(偏りはすごいが)大学はとりあえず留年したが卒業はできた。

また、「景色が覚えられない」だが、わたしは1ヶ月半小さな病院で実習をしたことがある。そこではリハビリ棟などはなく療養の患者さんが多いが急性期も受け入れる総合病院で、患者さんが3階建ての病院のどの階にもいた。指導者の先生に「今度は○○さんの部屋ね」と言われても実は最後までどこかわからなかった。人物については逆に有り得ないほど覚えられるので人間違いをしたことはないのだが、辿り着くまでが問題だった。だいたい先生について行けばクリアできたが、先に行けと言われたらまずメモしてたノートの裏表紙にこっそり書いてた○○さん→何号室という箇条書きを見なければいけなかった。そして何号室かわかっても、病院内の廊下はどれもほとんど一緒に見えるので、迷ってしまい結果先生より後に着いてしまうみたいなこともあった。数字を追うしかなかった。わたしは入り口を間違えるだけでも慣れている空間が違って見えるので、病院内に何個かあった階段も1つしか使わないようにしていた。それでも階段を間違えてしまうともう宇宙についたようだった。エレベーターも同様だった。いつものエレベーターと思ったら違うエレベーターに乗っていたようで知らない位置についてびっくりして固まったこともある。もう正直実習の中身より病院内の構図をいかに覚えるかに苦労したことの方が明確に覚えてる。結局病棟の特徴的な看護師さんを覚え、そこがなに病棟なのかということで分別していた。

また、百貨店などの入れ替わりの早い地下街などに行っても好きな店以外入れ違っていてもまったく気づかない。これは景色が覚えられないの項目ではないかもしれないが、大型商業施設に入る時は入り口と出口が一緒でなければ途端に帰り道がわからなくなる。どこがどう繋がってるかの見通しがつかない。そして入り口すら覚えるのに苦労するので、入り口間近の店舗を覚えてそれを元に商業施設を出るしかなかった。また、好奇心旺盛なのでいろいろ寄り道してまず入り口の店舗に辿り着くのも難しかったりする。入り口に辿り着かない時は片っ端から施設から出てみるがやはり宇宙空間に辿り着いたように景色がわからず、また、想像してないところから出てくるなどで驚くこともあり、結果的に引き返す。こんなに迷うのに都会が好きだから本当に困る。

「通ったことのある道なのか見たことある景色なのか写真ではわからない」だが、これはわたしの経験則で、地誌的見当識障害の項目には当てはまらないと思う。ここまで読んでもらうと説明しなくてもどういうことかわかってもらえそうだが、どれだけ慣れてる道でも、本当に家の前や隣でも写真になると「はじめて見ました」になる。なので景色の写真を撮って懐かしがる、ということをしたことが人生でない。例えばオタクなので、東京ドームの○○ゲートという入り口を撮ってると、「この時はこのゲートだったのか」となるが、「このゲートだったなあ」とはならない。草原はすべて草原でしかなく、田んぼはすべて田んぼだった。なので山下清が本当にめちゃくちゃすごいなと思う。わたしは行ったことのない道も建物も写真は全部同じにしか見えないので、「ここ!知ってるかも!○○じゃない?」と言うと「これ、外国だけど…」などと言われて困られたことがある。全てにおいて知ったかぶりはしない方がいい。

余談だが、レイの複雑図形検査という高次脳機能障害の人にする検査がある。どれくらい使われているのかはわたしにはわからないが、初めて習った時は衝撃だった。10年経っても忘れられないほど衝撃だった。自分が検査される立場になるくらいできないからだ。例えば模写してもその5秒後に見ないで図形を書けと言われても、たぶんできない。遂行機能より空間認知が著しく低いのだと思う。1時間くらい見つめて家でやったことがあるが、輪郭しか書けない。何回も自分で試したが、「なんだか魚の形をしていたな…」ということしか覚えてない。あんな複雑な図形を健常者は覚えられるのだろうか。検査する側は完璧にできるのだろうか。怖くて同級生には聞けなかった。

例えば相貌失認はかなり有識率が上がってきているが、地誌的見当識障害の有識率なんて当事者か医療従事者くらいしか知らないと思う。でもわたしは発達障害にもこの障害のような症状を持つ子や成人はいると思う。2019年にちょっとした理由でMRIは撮ったこともあり、脳外傷の跡もなく脳梗塞、脳出血なども認められたことはない。交通事故にも遭ったことはない。発達障害の道に迷う、道を覚えられない、はこれくらいの程度の人間がいるというのをだれかに知ってほしかった。自分が面倒という理由で前置きの地誌的見当識障害の説明をしなくて申し訳ない。そして高次脳機能障害の方々には、こんなちょっとしたレベルではないともしかしたら不愉快に思われるかもしれない。健常者にとっても有り得る症状なのかもしれないが、わたし自身がこういう話題を避けていて実態がわからない。あくまでも傾向として、こういう人間がいると知ってほしかった。そしてもしかして同じような方がいたら、あなたは一人ではないと言いたい。わたしも同じような問題に悩んでいる。発達障害ももう少しいろんな症状があるとせめて知ってほしいので、前置きの障害の引用をどこかで引っ張ってこなければならない(が面倒である)(…………)。

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