21.忘れたくないこと。
2018/12/30
忘れたくないこと。
誰にでも
忘れたくないことはあると思う。
でも、
人はいずれ忘れてしまう。
身近にあるものは忘れないかもしれないが、
一度離れてしまえばどんなに濃かったものでも
薄れていく。
それってほんとに嫌だなって思うけど、
実際に僕自身もそうだなって分かってる。
僕にとって忘れたくないことは、
沢山あってその中の一つについて書きたい。
書くことで形に残したい。
僕が忘れたくないことは、
今日という日だ。
正確には4年前の今日。
僕の友達の命日。
小学校時代のサッカークラブのチームメイトで一緒にCBで守っていた。
小5の時に別のチームから入ってきて、
やんちゃな感じですぐチームに馴染んでたのを覚えている。
それまで僕が蹴っていたコーナーキックも
俺が蹴ると言って、その子に奪われた。笑
まぁ実際にうまかったから何も言えなかったし
不満もなかった。笑
サッカーではすごく助けられたし、サッカー以外でもいっぱい遊んで、お互いの家に泊まったりもしてその子の両親にもすごく良くしていただいて、お世話になった!
その子と一緒にサッカーをしたのは、
小学校で最後だった。
僕はそのクラブチームで続けなくて、
部活でやっていたけど、たまに保護者絡みでご飯に行ったりはしていた。
中学3年の時に、
その子が脚を大怪我して入院したとの連絡を受けた。命に別状はなかったから安心したけど、
その検査で骨肉腫という癌が見つかったと後々聞かされた。
その時の僕は癌について無知で、
治らんこともないやろと思っていた。
実際に会ったら松葉杖だったけどすごく元気だった。
僕が滋賀県の高校に進学して、
寮に引っ越す前に会いに行った。
その時には、片脚がなかった。
僕はその姿を見て、なんて声を掛けたら良いのか分からなかったし、泣きそうになっだけど、僕より辛い本人が笑っているのに絶対に泣いてはいけなかった。
その子はすごく明るかった。
抗がん剤の影響で髪の毛が抜けるからって、
変な髪型にしていて滋賀県に行く前に逆に元気をもらえた。
この時僕は
またすぐ会える。
まだまだ元気だろうって勝手に決めつけてしまっていた。
それから次にその子を見たのは、
24時間テレビの放送だった。
頑張っていた。
「死ぬときは死ぬから仕方がない」
なんてことを言っていた。
向き合っていた。
僕は泣いていた。
今までの自分に腹が立ったし、後悔もした、
何が何だか分からなくなった。
結局次に会えたのは告別式だった。
やっと実感した。
なんで元気なうちに会いに
行かなかったんだろう。
僕は会いに行って自分が泣いてしまうのでは、その子にかける言葉が見つかるのか色々言い訳にして行けなかった。
会いに行くのが怖かったとかそんなの言い訳でしかないし、会えなくなるってわかってから、後悔した自分がほんとにバカだった。
告別式で友達の両親から来てくれてありがとう
と言われた。
なんでありがとうって言われたか分からなかった。今さら会いに来ても遅かったはずなのに。
でも、
僕はこの日も会いに来ていなければ
もっと、ずっと後悔していたと思う。
友達の両親からその子が僕とのことを話していたのを間接的に聞いた。
僕との思い出を楽しそうに話していたと。
僕が忘れかけていた小さな出来事も。
覚えていてくれていた。
人との繋がりは大事にしなきゃと思った。
僕は毎年その子の家に会いに行った。
行く度にその子の両親と昔のことを話す。
その度に涙を流しながらありがとうと言われ、
僕はほんとに来ていいのかと思ったこともあった。
その子の時間は止まって、僕は大きくなって僕だけが成長している姿を見て逆に悲しませてはいないだろうか。
ちゃんと頑張れているのか。
ただ、自分を正当化してるだけなんじゃないかとも思った。
でも、
僕は忘れたくなかった。
毎日毎日覚えているわけじゃないけど、
自分の中からその子のことを無くしたくなかった。
僕が大人になるにつれて、
もっと薄れていくかもしれない。
でも、
忘れたくはない。
毎年この日のことは忘れたくない。
このことを書いて、
自分を美化したいだけかもしれないが、
ただ単純に自分に言い聞かせたい自分勝手な
ことかもしれないが、そんなことより忘れるのが嫌だ。
その子の分まで強く生きるって
言えたら格好いいかもしれないが、
僕にはそんなに強い意志なんかない弱い人間って分かっている。
その子もあんまりそーゆーのは望まない性格だと思う。
ただ、
せめて自分のことだけは全力でやろうと思う。
それだけはやる。