私という性別で生きる。
少しずつ、自分という人間について書いていこうと思います。
自分は不定性のXジェンダーです。
身体は女性として生まれましたが、
中身は女性の時もあれば男性の時もあり、それは朝起きてみないと分かりません。
メイクをしてスカートを履きたい日もあれば、
メイクもスカートも体が拒否してしまう日もあります。
そういう時は憧れの菅田将暉になりきった気持ちで外に出ます。笑
思い返してみれば、子供の頃から違和感があったのかもしれません。
保育園の行事で、ディズニープリンセスのドレスを着て写真を撮れるという女の子が大喜びするだろうイベントで、フリフリのスカートを着させられるのが嫌で仕方なくて、無理やり着させられたシンデレラのドレスで1人だけ号泣している写真が今も残っています。
ランドセルは黒が欲しいと懇願したのに赤しか買ってもらえず、姉のおさがりより兄のおさがりを喜んで着ていて、
中学・高校でセーラー服を着ることの抵抗が消えず、兄が来ていた学ランやブレザーに強い憧れをずっと抱いていました。
10代の頃のこれらの感情は、
男性になりたい!という憧れというよりは、
あなたは女性として女性らしく生きなさい、と強いられていることへの抵抗感だったのかなと今は思います。
大学生になり、どんな見た目や対応をしても、誰にも怒られないし否定されることもない環境になったことで、少しずつ気持ちが楽になりました。
大学で出会ったある親友に言われた言葉が一番心に残っています。
「takukoは女性とか男性じゃなくて、takukoっていう性別だよね」
自分自身を受け入れてもらえたことが嬉しくて、自分自身を表現することへの恐怖心はなくなりました。
社会人となった今は、また性別の壁に悩まされています。
職場ではハッキリとセクシャルマイノリティについて偏見を表す人が多く、怖くて自分を偽っているしかありません。
いつか普通に、マイノリティなんて好奇な目で見られない社会になったらなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?