ヴラド3世ワラキア公(串刺し公)
ネットに表示されたヴラド3世、ワラキア公。この顔に見覚えがある。トランシルヴァニア地方のシギショアラに滞在した時に街角の建物の壁に、ここで誕生と肖像レリーフが張ってあった。当時、キリスト教世界の最前線に位置し、オスマン帝国と対峙していたワラキア公国の君主。
名を馳せたのは「ヴラド3世」をモデルにしたドラキュラ伝説であろう、アイルランド人の作家、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)に登場する吸血鬼はヴラド3世、と言ってもを、ニックネームのドラキュラと出身地のルーマニアくらいしか引用されていないようだ。ヴラド3世は1462年のトゥルゴヴィシュテの戦いで、オスマン帝国のメフメト2世の首を標的とした夜襲をワラキアの首都トゥルゴヴィシュテ城外に敢行してオスマン帝国軍とその先兵であるブルガリア兵2万人を串刺しにして殺害した。しかし、イェニチェリの激しい抵抗にあってメフメト2世を殺すことはできなかったが入城してきたメフメト2世はヴラド3世によるオスマン帝国兵の串刺しの林を目の当たりにして戦意を失い、メフメト2世はワラキアから撤退した、とのこと。
シギショアラの教会のミサはドイツ語だった。ヴラド3世の居城はブラン城(ブラショフ南部)、1999年12月、雪が少し積もっていた。元ルーマニア空軍の航空管制官、冷戦崩壊後は車持ち込みでレンタカー屋をやっていたジョージと一緒にトランシルヴァニア地方を一周した。
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