Bishkek2019 その1:12年ぶりのビシケク
1.12年ぶりのビシケク
縁ありビシケクへ行くことに、前回は2007年2月タシケントから往復した、季節がら雪の日々だった。その時の滞在で記憶に残っているのはホテルの窓から見えた雪を頂いた天山山脈の端の山並み、ソヴィエト時代と変わらないであろうビシケクの街並み、運転手の高麗人、タシケントから来たので物の豊富さとトルコ系スーパーマーケット、オシュバザールと郊外の中国製品バザール等、小国なので日本との関係の位置づけが見出しにくかったことは今も変わりない。今回も地方には行かない予定であった。前回はオシュへ行くことも予定されていたが治安の問題なのか、取り止めになった。
2.マナス空港
2007年に降り立った時は米軍がアフガニスタンへの輸送基地として使っていた。空港コードはソ連時代の都市名フルンゼのFRU。マナス空港ターミナルは1996年に円借款が供与され建設された。その後も無償で空港保安機材供与がされている。イスタンブールから約5時間の距離だった。
キルギスの議会は2009年2月に今後米軍によるマナス空軍基地の使用を認めないことを可決したが、2009年6月に継続使用に合意した。その後2014年に使用が停止され、米軍は撤退した。
3.翌朝は今季初雪で雪景色のビシケク