とあるプリキュア論について、私のスタンスと反論 その2
《※2024年2月9日 主張はそのまま、大幅な加筆修正あり。事情は以下の記事にあります。
書き直す前に頂いた「スキ」の数:15》
長年のプリキュアファン、KLPです。
今回も前回と同じくデパプリのブラックペッパー/品田拓海についてですが、主にデパプリ以前の男性キャラとの比較を通して、私の意見を述べます。
なお、前回も書いたとおり、私はひろプリのキュアウィングのような男の子プリキュア、及びデパプリのブラックペッパーのような男性キャラを容認する立場です。
※ひろプリについての「普通」のレビューはこちらをどうぞ
《※2023年5月21日・22日 プリキュア公式のリンクをいくつか貼りました。》
デパプリ以前の男性キャラとブラックペッパーの比較について
男の子プリキュア批判派がブラペを過去の男性キャラと比べて批判していることは、前回も述べました。
では、本当にブラペはそれらの男性キャラと違うものでしょうか。私は、ブラペがプリキュアでない以上、根本的な部分は変わらないと考えています。
【ココ(Yes!プリキュア5/Yes!プリキュア5GoGo!)】
プリキュア5・5GoGoのココとナッツは、正体が妖精とはいえ、プリキュアシリーズにおいて初めて登場した「プリキュアに協力する男性キャラ」です。
味方であるというだけでなく、プリキュアメンバーとの恋愛模様で人気を博し、現在に至るまで多くの支持を集めています。
ココとナッツは、大人としてプリキュアたちにアドバイスし、支えになる一方、何か衝撃が加わると無力な妖精の姿に戻ってしまいます。そもそもプリキュアには代わりに戦ってもらっている立場であり、基本的に戦闘力はありません。
心の支えにはなるが、戦えずプリキュアに守られる。これこそプリキュアの男性キャラとして理想的だと、ブラペ批判派もよく語っていたようです。
しかし、私はココについて、守られるだけの男性だったとは思いません。
というのも、ココは5の第24話において、戦闘力を封じられたキュアドリームをしっかり助けているんですね。これは一時的にバリアを張るとか、ちょっと光線を出すとか、そういう助け方とは違います。もっと根本的に「この助けがなかったら負けていた」というレベルです。
ココとナッツが日常で精神的支えになるのは、見るからに頼りになる成人男性の姿を取っていることも大きいでしょう。一方、妖精の姿では大きな戦闘力を期待するのは無理というものです。
ではこの第24話のココがドリームを助けたときはどうだったかというと、はじめに妖精の姿で助けに行って、それでは足りないと、人間の姿になるのです。つまり、力のない状態から少しでも力のある状態へと変わり、プリキュアの勝利に貢献したんですね。この場面で受けたのがほぼ物理攻撃ではなかったのもプラスに働いたのでしょう。
見かけの腕力が足りなかったとしても、勝敗を左右するほどの協力は可能なのです。
元々ココは守られる立場に対する苦悩が大きく、第24話は彼にとって、ようやくその立場を少しはみ出すことができた場面だったのではないでしょうか。
現にあのときのドリームは、ココの助けなしに立ち直ることはできなかったでしょう。
だからといって、ココがドリームを弱い存在にしているように見えるでしょうか。女性は男性に手助けされないといけない、というメッセージに見えるでしょうか。そんなことはないと思います。
もしブラペを「戦闘において重要な手助けをした」という観点で批判するとすれば、それはココにも当てはまってしまうはずです。
【ピカリオ(キラキラ☆プリキュアアラモード)】
ではブラペの問題点を「手助けよりももっと強い、本格的に参戦可能な能力を持つこと」とするとどうでしょうか。私が思うに、今度はプリアラのピカリオが引っ掛かってしまいます。
初めに敵として出てきたピカリオは、改心した後、かなり重大な局面でプリキュアに加勢します。一時的に力を借りたからとはいえ、プリキュアと同じ力を持つ存在になったのです。
そもそもピカリオには、プリキュアの男性キャラを語る上で非常に重要なポイントがあります。それは、「プリキュアを目指していた」ということです。
《※2023年5月22日 まぎわらしい記述があったので訂正しました。》
結果として彼は闇落ちし願いが叶うこともありませんでしたが、作中、願うこと自体を咎められるわけでもなければ、男の子だからなれなかったとされるわけでもありません。
そして彼が味方になったときには、プリキュアに負けず劣らずの素敵な衣装に身を包み、プリキュアと源を同じくする力でもって、窮地のプリキュアを救います。これに公式サイドが自ら「キュアワッフル」という愛称を使っていたことも分かっています。
ここで「作中ではっきり『男の子はなれない』と言うと角が立つから言わないだけで、メタ的には女の子でなかったからなれなかったのだ」という反論も予想されます。
しかし、もしそうなら公式サイドは、なれるはずもないのにわざわざ男の子にプリキュアを目指させて、「キュアワッフル」などと呼び名まで付けて、視聴者に「男の子でもなれるの?」と考える余地を与えてしまうという、ややこしい状況を作ったことになります。だったら初めからそんな設定の男の子を出さなければよいだけではありませんか?
公式サイドはプリアラの時点で既に、男の子でもプリキュアになれる可能性があると示していた、と取る方が自然だと思います。
私が見たところ、男の子プリキュア批判派がピカリオに言及することはほとんどありません。ひろプリのキュアウィングの布石として語られるのは前作にいるブラペばかり、あとははぐプリで一時的に変身した男の子であるキュアアンフィニ/若宮アンリに少し触れるくらい、といったところでしょうか。はぐプリの前作に登場したピカリオのことは、まるできれいさっぱり忘れているかのようです。
ブラペはプリキュアもクックファイターも目指さず、ただキュアプレシャスを助けたくて参戦しました。
一方ピカリオはプリキュアを目指しており、最終的にはプリキュアと同じ力を持つに至りました。
二人とも参戦可能な能力を持つのは共通の上で、初めから味方として戦ったのはブラペですが、「男の子がプリキュア(女の子)と肩を並べて戦う展開」や「男の子がプリキュアになる可能性」をはっきりと、かつ先に、キュアアンフィニにすら先んじて示したのはピカリオです。男性キャラとしてプリキュアシリーズに及ぼした影響は双方、似たようなものでしょう。「男の子がプリキュアになる可能性」に絞れば、ピカリオの方が寄与していたとすら言えます。
ですので私からすると、ブラペと男の子プリキュアを同じ理屈でひと続きに批判する流れにおいて、ピカリオには見向きもしないことが不思議に思えます。
【ブルーと相楽誠司(ハピネスチャージプリキュア!)】
ココやピカリオとは違った意味で興味深いのが、ハピプリのブルーです。
というのも、「味方の男性キャラが女の子の自立を示す」という点では、ブルーこそ最も遠い位置にいるのではないか、と思うからです。
ハピプリのストーリーを思い出して下さい。ブルーは実は戦いの一因を作り出した当人であり、その一因とは「女性を裏切ったこと」ではありませんでしたか?
しかも、自分のために世界中の少女たちを危険な戦いの矢面に立たせることになったのに、その経緯を初めに説明しないというありさまです。
これは「不誠実な男性が女性に面倒を押し付けている」とも取れるのではないでしょうか。男性がしたことのために女性に負担がかかる、というのは、女性の地位が低い社会ではあちこちで見られる現象であり、言うまでもなく女性は自立どころか足を引っ張られます。
おまけにブルーは、自分が過去に失敗したからと、少女たちの恋愛の自由まで奪います(後になし崩しで撤回されますが)。
ブルーは戦闘力を持たず、プリキュアに守られる立場です。しかし、だからといって「女の子の自立」を示していると言うことはできません。
ブラペ批判の中でブルーと比較する意見はわずかしか見かけたことがないのですが、批判派の間ではどんな見解が主流なのでしょうか。ブルーが「女の子の自立」に敏感になっているはずの人から、単に戦闘力を持たないというだけで見逃してもらっているのだとしたら、私には少し不公平に思えます。
なお、これはあくまでこのような見方もできるというだけの話で、私自身の本心ではここまでブルーを悪し様に評価しておりません。また、ブルー一人のふるまいがどうであれ、物語全体としては女の子の自立が妨げられたとも思いません。ブルーのファンの皆さんに不快な思いをさせたのなら申し訳ないです。
とはいえ、自分の過ちをプリキュアに背負わせてしまうブルーよりも、元は無関係だったところから自分の意思でプリキュアを助けたブラペの方が、よほど女の子にとってプラスの存在だとは思いますね。
一方、同じくハピプリに登場する相楽誠司は、幼馴染である主人公に恋心を抱き、プリキュアの味方になるという共通点があるために、よくブラペと比べられている印象があります。似ている部分があるからこそ、誠司にプリキュアと共に戦うほどの戦闘力がなかったことが批判派にとって理想的に思えるようです。
しかし、守られると言っても、誠司はブルーと同じ立場にいたわけではありません。むしろ、全く違う意味を持つキャラクターです。
プリキュアの仲間となり、キュアラブリー/愛乃めぐみへの思いと、戦闘であまり手助けができない葛藤を抱える誠司は、守られることに甘んじていたわけではありません。常に自分にできることを探し、特別な力を持たない身でありながら応戦することすらありました。プリキュアに使命を与えるブルーに、めぐみを思って食ってかかったりもしました。もちろんそれらが、めぐみ=女の子を見下しての行動でないのは明白です。
誠司の立場や思いはブラペと同じものであって、戦闘力の有無でまるで違うキャラクターのように語られるのは、私には違和感があります。ブラペとは言わば、戦闘力を持った誠司なのです。
その戦闘力の有無こそが大きな差で、品田拓海は誠司のように戦闘力を持たないキャラにすべきだった、というなら、それも一つの意見でしょう。
ただし、女の子の自立やジェンダーバイアスをことさら敏感に読み解くのであれば、誠司とまず比べるべきはブルーではないでしょうか。
何が基準か?
私は、他の事例全てを批判するまでブラペを批判してはならない、というような乱暴なことを言うつもりはありません。
ただ、デパプリ以前の男性キャラはみんな守られる立場だった、だから女の子の自立を示していた、という括り方をするなら、あまりにも反論の余地が多すぎると主張したいのです。
ブラペと他の男性キャラを分けるものとして、私が思いつくのは「参戦の頻度」くらいです。ココは例外的に手助けしただけ、ピカリオは終盤に参戦可能になっただけ。それに比べれば、ブラペの参戦頻度は確かに高いです。
参戦が多いことをもって女の子の自立を邪魔しているとするのか?これは人によって意見が分かれそうです。
ただ、私自身は、頻度を問題にするのはもはや粗さがしではないかと思います。
それを問題にしてしまうと、単純に、「では何回までなら多くないのか?」という話になってしまうからです。
例えばGoプリのカナタ王子はある程度戦闘力があって、参戦頻度はブラペほどではないですが、ピカリオに比べればよほど高いんですね。ピカリオと違って元々プリキュアの味方ではありましたから。
ただしカナタの場合は、一度極端に弱くなってしまい、キュアフローラ/春野はるかに助けられるので、印象としてはそこでバランスを取った感じでしょうか。
しかし印象はあくまでも印象です。プリキュア側の戦力になった事実が消えるわけではありません。もし印象の方が大事なら、やはり参戦頻度で測るのは難しいということです。
逆に、ブラペがピカリオのように終盤だけ参戦したとしましょう。そのままゴーダッツを一人で倒してしまったとしたらどうでしょうか?
参戦頻度は低くても、プリキュアを差し置いて一番いいところを奪ったことになりませんか?
結局のところ、男性キャラがプリキュアを弱く見せているかどうかは、動機や、戦闘力や、参戦頻度といった、表面的な情報だけでは測れないと思います。どのような背景を持ち、どのような流れで参戦してきたのか、最終的にプリキュアとの関係はどうだったのか。それらをかなり細かく見ていく必要があるでしょう。
男性の手を借りたから、男性に助けてもらったからというだけで、女性が自立できない弱いものとして描かれているとするのは、あまりに短絡的すぎます。
少なくとも私はこれまで、男性キャラがプリキュアから強さを、女の子から自立を奪ったところは見たことがないと思っています。
次回はキュアウィングについて書きたいと思います。