とあるプリキュア論について、私のスタンスと反論 その6

《※2024年2月17日 主張はそのまま、大幅な加筆修正あり。事情は以下の記事にあります。
書き直す前に頂いた「スキ」の数:9
以前の記事タイトル:とあるプリキュア論について、私のスタンスと反論 番外編》



はじめに

KLPです。
この記事でも一部の男の子プリキュア批判派に対して反論していきます。

※ひろプリについての普通のレビューはこちらをどうぞ

私は自分と同じ意見でも違う意見でも目につけば読んで色々考えたりするのですが、擁護派としては批判派の物言いの方が気になる自覚はあります。ご了承下さい。
今一度断りますが、あくまでも「一部の」批判派についてです。批判的な意見の全てを否定するつもりはありません。

なお、この記事の「男の子プリキュア」とは、「男の子プリキュア」という存在そのものを指します。つまりひろプリのキュアウィングと、舞台版の「ぼくプリ」の両方が含まれます。私はこの2つにそれぞれ違うスタンスを取っていますが、ひと続きで批判する人もいますし、両方批判派と片方だけ批判派で論調が似ているときがあるため、今回は一緒くたになっています。

「変なファンがついた」

一部批判派にはかつて、「男の子プリキュアなんて人気が出るわけないから、いても意味がない」という論調がありました。
しかし、ウィング登場時に手のひら返しの絶賛が多く見られ、ウィングや男の子がプリキュアになること自体への好意的意見が溢れるようになると、今度は「男の子がプリキュアになったら変なファンがついた」という、ファンの量より質を問う意見にシフトしたようです。

(なお、メインターゲットである女児は年齢的にネットで発信しないので、女児に限った場合のウィング人気度は分かりません。
ただ、メンバー内の人気をあげつらうことは無意味であり、愛あるファンの行いとは言えないということはこちらに書きました。
お子さんがウィングに好意的だと明かす親御さんは見かけました)

ツバサとあげはの関係を「おねショタ」と呼ぶ人はよく槍玉に上がるようですね。

子ども向けのアニメを大人が楽しむには、確かに節度が必要です。
ただ、男の子目当てで今年からファンになった人と、以前からのファンで男の子プリキュアを擁護する人では、後者が極端に少ないわけではなさそうです。そして、変な発想・発言をしているとしたら、大概は元からそういう人でしょう。
実際、男の子プリキュアに対して変な発言をしている人を確かめると、女の子に対しても同レベルの発言をしていることがよくあります。
また、これも以前書きましたが、メンバーの関係性についても、初代から「百合」だ何だと妄想を膨らませるファンはいます。

固い友情の描写を「百合」と解釈するのも、成人女性と少年の微笑ましいやり取りを「おねショタ」と解釈するのも、やることに大差はありません(もっと言うと、ひろプリ以前にも「おねショタ」はあります)。

ですので、「変なファン」は今年急に出てきたわけではないし、そういうファンがいることを理由に作品やキャラまで批判するなら、責任はひろプリ以前の作品やメンバーにもあることになってしまいます。
スマプリではキュアピースの件で公式サイドからお叱りを受けるほど悪乗りしたファンがいましたが、あれもスマプリやピースのせいだと言うんでしょうか。「あざとい」と言われるようなキャラを作り出して”大人のオタクに媚びた”公式サイド自身が悪いんですか?

私にはやはり、どうにか男の子プリキュアを悪者にしようと、無理やり批判を捻りだしているようにしか見えません。

擁護派の実態を誇張された上に、男の子プリキュアを悪者にされたのでは、擁護派としては黙っていられませんね。

「擁護派が過激」

「変なファンがついた」と似ているのですが、擁護派が過激で異論を受け付けず、ファン同士の空気が悪い、という論調も見かけます。そしてやはり、「元凶は(これまでいなかった)男の子プリキュアだ」という結論に持っていくわけですね。

過去作を踏まえて強い信念を持つほどの長年のファンなら、SSの満と薫論争とか、ハピプリのブルーへの非難とか、ヒープリの「ダルのどショック」とか、これまでにもファンに激しい動きがあったことはご存知ないんでしょうか。大きな議論になるのも、今に始まったことではありません。
あるいは、単に忘れてしまったのでしょうか?この件に限らず、一部批判派には、長年のファンにしては片手落ちなことを言う人がいるんですよね。

「長年のファンは全てを完璧に網羅すべき」とまでは言いませんが(それを言うと自分にもはね返ってくるので)、あまりに「男の子」にばかり気を取られすぎではないかと思います。

また、確かに態度の悪い擁護派はいますが、先ほども書いた通り、作品やキャラにその責任を求めるのはお門違いでしょう。そもそも、初めから男の子プリキュアを認めていないのに、たまたま出くわした人間の態度を引き合いに出して「こういうファンがいるからダメなんだ」と言うのは、ずるい気がしますね。

ちなみに私は、ただ擁護派というだけで口汚くののしる批判派や、自分から擁護派に絡みついて意見を戦わせた挙句「擁護派は態度が悪い」と言う批判派を見かけました。
もし擁護派が「批判しているのはこういう人だから男の子プリキュアは必要だ」と言ったら、批判派は納得してくれるんでしょうか。
こういうのは基本、どっちもどっちです。

離れた方が良いのでは?

一部批判派としては、何かしら男の子プリキュアのせいにしたがる人の他にも、公式サイドが何を言っても悪い方に取って邪推する人、勝手に何かと戦っている人、擁護派以上ではないかと思うほど頻繁に言及してはひとりでに怒り出す人、などなど目にしました。かなりひどい物言いも何度も見ています。

以前から書いていますが、この人たちはシンプルに、苦手なものからもう離れた方がいいと思いますね。

例えば批判派の中で、男の子と分かる前からウィングが苦手だった人はどれだけいるんでしょうか。

ビジュアル公開時、ウィングの衣装のボタンの付き方が男物ではという声があったようですが、やはり正式発表まで男の子と決めつけなかった人は多いでしょう。
裏を返せば、ボタンの位置程度では決定打にならないほど、ウィングは女性3人と並んでもほとんど違和感が出ないデザインなのです。

しかし男の子と分かるや、批判派はそのデザインを「逃げ」と言い放ち、ウィング批判を展開しました。

もちろん、男の子のレギュラーメンバーは初めてですから、明かされるまでは「女の子しかいない」という前提で見ていたのも当然です。

しかし、それだけ見れば違和感のないものが、「男の子」と分かった途端に「受け入れられない」となるのは、もはや見る側のこだわりの問題であり、公式サイドにその感情への対処を期待しても仕方ないでしょう。

物語の描写でも、ウィングは「男の子」だからと特別扱いはされません。第9話では、あくまで「夕凪ツバサ」が「キュアウィング」になる過程が描かれ、その後も特に「男の子」だからどうこうという話はありません。

批判派はそれすら、「男の子である必然性がないからダメ」と批判します。では、「男の子」に何か特別な意味があり、女の子たちから浮いていたら納得できたんでしょうか。私にはそうは思えません。やたらと「男の子」のせいにする現状を見るに、それならそれで「溶け込めていないからダメ」とか、何かしら文句は出たでしょう。

男の子プリキュアがどう描かれても、「男の子」である限り絶対に納得しないし、受け入れない。「男の子」が真っ先に気になり、無理な理屈でまで批判する。
これはもう、「生理的に無理」のレベルでしょう。現に、愛あるファンとしての批判とは受け取りがたい、あまりにも悪し様な語り方をよく見かけます。

詳報がまだまだのぼくプリはさておき、キュアウィングについて公式サイドは、溶け込ませる努力を十分にしています。それでもなお「男の子」しか判断基準にならない人は、ひろプリを見続けても苦しいだけでしょう。
公式サイドは「努力したから受け入れろ」と視聴者に強要したりはできないのですから、ひろプリやぼくプリに構わず、女の子のメンバーしかいない作品を大事にすればいいのです。

あるいは作品ごとに分けて考えられず、男の子にシリーズ全体を汚されたように感じるなら、いっそシリーズごと離れるのも一つの選択でしょう。だって、もう男の子プリキュアは存在してしまっていて、消すことはできないのですから。

批判は自由ですし、制作者も様々な意見を必要とするので、全てを「嫌なら見るな」で片づける気はありません。
ただ、「生理的に無理」レベルの人がわざわざ苦しんでする批判は、果たして建設的でしょうか。
それ以前に、自分から苦しいことをするのはその人自身にとって良くないと思います。

「気持ち悪い」とか「プリキュアなんて終わればいい」と言いつつ離れていく気配がなく、離れろと言われるとなぜか怒り出す一部批判派の方々にとって、プリキュア鑑賞とは降りてはいけないノルマか何かなのでしょうか。プリキュアはそういうコンテンツではない気がするのですが。

それと、「公式は絶対。批判するな」は暴論ですし、私自身も批判はするのですが、「”私は”公式だから受け入れる」という態度の人もそれはそれでありだと思います。
意見を言う自由はあるにしろ、制作者ではない以上、作品を直接変えることはできません。何かにこだわって公式とのズレに苦しむより、ただそこにあるものを楽しみたい、というのは、一つ筋の通った態度でしょう。

どうしてこんなことを書くかというと、批判派の中には、「批判できる自分たちこそ正しい」という意識が見て取れる人がいるんですね。擁護派を、「考えなしに受け入れている」「プリキュアについて理解が足りない」と見下しているんです。

では、好きになれそうもないものをわざわざ追い駆け、批判をこじつけることが「考える」ということなのでしょうか。
擁護派には擁護派の考えがあるんです。

もっとも、擁護派の中にも「受け入れる自分たちこそ正しい、批判派は何も分かっていない」という態度の人がいるようなので、これもまたどっちもどっちではありますが。

おわりに

プリキュアグッズを身に着けている子や、プリキュアのイベントで楽しそうにしている子を見かけると、何はともあれ今年もプリキュアがあって良かったと思います。

そして、このように記事を書いている自分自身も含め、大人のファンがあれこれ騒いでいることが虚しくなったりもするんですね。

感想を述べるのは自由ですし、子どもにとって良いものかどうかという観点や、作品の出来は、大人が語れることだと思います。

しかしプリキュアというもののセオリーについては、大人が互いに熱くなる前に、時に大人向け・長年のファン向けの展開があっても、本来プリキュアは女児たち、子どもたちのものであるという意識をきちんと持っていた方がいいんじゃないでしょうか。
私たち長年のファンが「プリキュアはこうでなければならない」「これはプリキュアとは言えない」と言ったところで、今からプリキュアを知る当の女児には関係ないかもしれないのです。

プリキュアが続くなら、これからの女児に「女の子しかいない」という前提はありませんから、最初に見た時に違和感がなければ、後から男の子と分かっても特に気にはしないかもしれません。
あるいはこの先、本当にブラペみたいな男の子プリキュアが並んでいても、違和感を覚えない世代が出てくることだってありえます。
そこで私たちが「ありだ」「なしだ」と激論を戦わせるのは……もちろんダメではありませんが、公式サイドが重視してくれると期待しすぎない方がいいでしょう。

ひろプリのストーリーに関しては、私も言いたいことがないわけではありません。
ぼくプリは明らかに女児向けアニメと別枠扱いな上、上演がまだなので態度を決めかねています。
それでも私は、「男の子プリキュア」の誕生を含め、様々なことに挑戦するプリキュアシリーズにこれからも続いてほしいですし、追いかけたいと思っています。


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