とあるプリキュア論について、私のスタンスと反論 その3

《※2024年2月9日 主張はそのまま、大幅な加筆修正あり。事情は以下の記事にあります。
書き直す前に頂いた「スキ」の数:12》

長年のプリキュアファン、KLPです。

今回は、プリキュア史上初の男の子の正式メンバー、キュアウィング/夕凪ツバサについての、批判派の一部に対する意見です。

《※2023年5月21日 プリキュア公式のリンクを貼りました。》

毎度繰り返しますが、私はひろプリのキュアウィングのような男の子プリキュア、及びデパプリのブラックペッパーのような男性キャラを容認する立場です。

※ひろプリについての普通のレビューはこちらをどうぞ


男の子プリキュアはプリキュアの根幹を崩すのか?

私は、過去に公式サイドの方から男の子でもプリキュアになれる可能性を見せた以上(前回の記事を参照)、男の子プリキュアはいてもおかしくないのだろうと思ってきました。
なので、ひろプリのキュアウィングは可能性でしかなかったものが実現したに過ぎず、その実現自体がプリキュアシリーズの根幹を崩したとは考えていません。

前回の記事で、私は「男性キャラが女の子の自立を阻んでいるかどうかは、表面的な情報からではなく、その都度物語を細かく見て判断すべき」と書きました。
男の子プリキュアはまぎれもなくプリキュアであり、それら男性キャラと違って単に協力するのではなく、全くもって女の子と同じ立場で戦うわけですが、考え方としては同じ理屈で捉えています。

問題は男の子の存在そのものではなく、扱い方だと思います。性別の違いが重大な問題に直結するとか、ことさら性別を強調されてジェンダーバイアスが強化されるなら失敗と言えるでしょうが、男の子が自然にチームに溶け込んで、女の子の足を引っ張らない、そういう扱い方は可能です。男の子がいるというだけでは、「女の子だって暴れたい」は崩れたりしません。女の子が暴れにくくなるような理屈を男の子に組み込まなければいいのです。

そしてひろプリは今のところ、その点において成功していると思います。キュアスカイとキュアプリズムが、ウィングが男の子なのを理由に暴れられない、なんてことがあったでしょうか。私には思い当たりません。
3人ともいい意味で性別を気にせず、それぞれの個性を生かしながら、上手くチームとしてまとまっていると思います。

もちろん、プリキュアは女の子であることに他の何よりも一番意味があった、というのも一つの考えですし、女の子しかいない状態が好きだったという人もいるでしょう。何より、長年続いたものの変更に戸惑う自然な感情を否定するつもりはありません。
そして、男の子プリキュア自体が女の子にとって邪魔であると考えるなら、存在より扱い方を見ている私とは価値観が違うのでしょう。

ただ、自分の好き嫌いを語るにとどまらず、プリキュアシリーズとメインターゲットである女児のために批判しているのだ、というスタンスの人もいるようです。後述の「嫌なら見るな」に反発するときも、自分が視聴をやめれば済む話ではないという意識が見えます。

子どもが見るからこそ、大人の目線で批判する、それは私も賛成です。
しかし、「長年見続けてきた自分の考えるセオリー」が「今これから見る女児」のためになるかどうかは、常に考えておく必要があると思います。ひろプリでプリキュアを知った子どもに、過去19作に男の子プリキュアがいなかったことなど関係ありません。今には今の理屈があるのです。
もし「私の考えるようなプリキュアではなくなった」ということでしかないのであれば、やはり自分には合わないものとして立ち去る方がいいと思います。
心配しなくても、公式にとっては立ち去られることもかなりの痛手のはずです。

「男の子である必然性」は必要か?

実際にウィング/ツバサが登場し、そのキャラクターの詳細が分かってくると、「キャラ自体はともかく男の子がプリキュアになる必然性が分からない」という批判が上がり始めます。

しかし、私はむしろ、「男の子である必然性」を描く方が問題があると思います。

プリキュアがプリキュアになるのは、ざっくり言えば「強い意志で戦うことを決め、その資格を認められたから」です。これまで女の子しかいなかったのは、制作者が決めた事情であって、物語で直接「女の子である必然性」は描かれません。
(例えばGoプリは「プリンセス」を目指す以上女の子でなければならないかもしれませんが、これがはぐプリになると「男の子でもお姫様になれる」という理屈も出てきます)

今回、ひろプリで男の子が出てきたのもまた、制作者の事情にすぎません。ここでもし物語に、「男の子である必然性」を描くとどうなるでしょう。それはそのまま「女の子ではいけない理由」になってしまうのではないでしょうか。意志が認められれば良かったはずが、性別によって制約が生じてしまうのです。

男の子プリキュアが誕生したのは、女の子に制約がなかったからこそです。男の子という属性に特殊な意味を持たせることこそ、女の子への差別でしょう。私はツバサがプリキュアになるにあたり、ことさら男の子であることを強調せず、ただ物語の流れだけで登場したことを評価します。

「大人ウケ」のためか?

ブラペやウィング/ツバサについて大人のオタクが色々と感想を言っているのを見て、公式サイドを「オタ媚び」と批判する声もよく聞かれました。

好きなように解釈するオタクは公式サイドの思惑に関係なくいるものなので、なぜそれを公式サイドの胸の内の判断材料にしているのか分かりません。
確かにツバサとあげはとの関係を「おねショタ」と楽しんでいる人たちはいますが、結果的にそういう大人オタクが沸いたことをもって、公式がそれを狙っていた証拠にはならないですよね。

そういうことを言い出せば、プリキュアは初代からして「百合」が好きな人を引き寄せていましたし、ココとナッツが出てきて以降は「BL」の妄想をする人もいたでしょう。
ではプリキュアそのものが大人ウケを狙っただけの、女児を差し置いたコンテンツなのでしょうか?たまたま大人にもウケたからといって、女児を差し置いたことになるのでしょうか?違うというなら、ブラペやウィングの存在も同じことです。

私も子ども向けのコンテンツで大人が度の過ぎた騒ぎ方をするのはどうかと思いますが、それと公式が出したアイディアの是非とは全く別の話です。

公式サイドは「逃げ」ているか?

批判派にとっては、ウィング/ツバサの正体が鳥だったり、12歳という年齢で、いかにも男らしい外見でなかったりするのも批判の対象です。初の男の子プリキュアを視聴者に受け入れやすくしようとする態度に見えることを、「逃げ」とか「姑息」など、何かずるいことをしているかのように言ったりします。

これは、作品を世に送り出すことそのものの否定ではないでしょうか。

制作者は、時代を読み、戦略を立て、視聴者の反応を予想し、試行錯誤しながら作品を作るわけです。長年続いた中で新たな挑戦をするとなれば、より細かい調整をするのは当然のこと。全ては視聴者の気持ちを考えるがゆえの工夫です。それの何が「逃げ」なのでしょうか。むしろ制作者として、持ち合わせていなければならない姿勢ではないでしょうか。

もちろん、制作者がどれほど工夫をしようと、受け入れるかどうかは視聴者の勝手です。合わなかったらただ「その工夫は私には合わなかった」でいいのです。なぜ「合わなかった」で済ませず工夫そのものを槍玉に上げるのか、私には分かりません。

また、男の子が女の子を弱く見せてしまうのを気にするのであれば、年少で男らしくない見た目なのは、一つ安心するポイントではないのでしょうか。懸念を示しておきながら、懸念が払拭されそうだと今度は「逃げ」と言って否定する、それはもはや批判のための批判だと思います。結局は男の子プリキュアなら、どんなキャラクターでも批判するということでしょう。
批判的なこと自体は自由です。しかし、批判のために批判するのはいただけません。

ちなみに、「いっそもう少し男らしければマシだった」のようなことを言う人もいるのですが、つまりプリキュアではなくても批判対象だったはずのブラペは、プリキュアだったら許されたのでしょうか。

「嫌なら見るな」について

放送のたびにキュアウィングへの憤りを口にする批判派に、「嫌なら見るな」が投げかけられると、「批判を封じるな」「好きな部分もある」「好きだからこそ批判している」と反発が返ってくるようです。

確かに、批判は見た上でないとできないもので、それを否定すれば擁護しか許されないことになってしまいます。
また私自身、好きで見ていても批判的な感想が思い浮かぶことはあります。

ただ、一部の批判派はウィングを「気持ち悪い」「受けつけない」とか、もっとここに書くのもはばかられるようなことを言ったり、「ひろプリは打ち切りになってほしい」「プリキュア自体終わればいい」と終わりを願ったりしていました。「好きな部分もある」と言う割には、嫌いな部分についてばかり話していました。
これらは批判のうちに入るでしょうか。本当に好きだからしている批判なのでしょうか。

初めからどうしても受け入れられず、これからも受け入れるつもりはなく、見ても好きになるどころかストレスが溜まる一方でこのような言葉ばかりが出てくるのであれば、やはり見ないのが一番いいのではないでしょうか。
筋の通った批判をしているようには見えませんし、好きで見ている人には不快に思われますし、何より本人の精神衛生上よくないので、苦手なものからは離れた方が身のためです。

私はこの場合において、「嫌なら見るな」を過激な意見とは思いません。

もちろん、わざわざ苦痛を味わいながら見るのも結局のところ本人の自由ですが、苦痛に気を取られているせいで生まれでてくる暴言が、公式サイドの参考になることはまずないでしょう。

売り上げについて

批判派はキュアウィングのグッズを売れるわけがないと決めつけているようですが、デパプリのおもちゃの売り上げが歴代最低だったことも、男性キャラ(ブラペ)に構うような雑な作品なら当然だろう、という見方をしているようです。

それを言うのであれば、デパプリ以前に最低だった作品のことをどう考えているのかまで言わないとフェアではないでしょう。デパプリとデパプリ以前の最低との差は、歴代最高の数字から見れば大した違いではありません。
また、シリーズものとしては、前作より大きく下がってしまうのも気になるところだと思います。該当作品がいくつかありますが、それはどう考えるんでしょうね。

それと、デパプリの映画の興行収入は、トロプリの映画からかなり伸びたようです。これについてはどうでしょう。本編に人気がないのに、映画だけ急に人気が出るのでしょうか。

そもそも、おもちゃの売れ行きの要因は様々あるはずで、私たちファンの立場で分析するのはかなり難しいことです。
しかもデパプリの場合、子ども向けのおもちゃにブラペ関連は少なかったので(間違っていたら教えてください)、初めから当てにされていないものが実際あるものの売れ行きにどれほど影響したかを測るのは更に難しいでしょう。

自分の主張に都合がいいからといって、安易にデータ分析に手を出さない方がいいと思います。

擁護派へのレッテル貼り

「大人ウケ」に通じる話ですが、批判派は擁護派のことを「男好き」、もしくは「ろくに考えずに全肯定している」「批判を受け付けない」と見なしているようです。

色々な人がいるので、男性キャラが特に好きな人も、公式サイドのやることは決して否定しないという人もいるでしょう。

また、批判的意見に対して攻撃的な擁護派は私も見たことがあり、良くないことだとは思っています。

ただ、私がそうであるように、プリキュアがどういう作品かを知っているからこそ、男性キャラの協力の仕方を肯定している人が圧倒的に多いと思います。

意見の違う人にまで攻撃的になり、勝手なレッテルまで貼るのは、やはり批判のうちには入りませんし、そんな状態になってまで見続けない方がいいと思います。

「スタンスと反論 その4」はこちら

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