有明の残光~V・ファーレン長崎の20年~(第9回:急速に整い出す「クラブのかたち」と開幕した九州各県決勝大会)
有明SCが県リーグの優勝をほぼ手中としていた11月某日、植木と岩本は福岡にいた。県リーグの1つ上のカテゴリーである九州リーグ昇格がかかる「九州各県リーグ決勝大会」に向けた視察が目的である。
この時点で長崎県代表の初戦は福岡県代表となることが確定しているが、有明SCの長崎県1部リーグ優勝はまだ決定していなかったため、慢心を誘わないよう内密での偵察である。その2人の目の前で、福岡県社会人1部リーグの優勝チームは決定した。優勝したのは七隈トンビーズ。大学サッカーの名門、福岡大学のサークルチームだが、強豪高校でプレーした選手も多く在籍し、部員数は150名を優に越える。今回の優勝で県リーグ6連覇を達成した難敵が、有明SCの各県決勝大会初戦の相手に決まったのだ。
だが、有明SCの中に不安を感じる者は少なかった。「負けるとかまったく考えいませんでした。必ず勝って九州リーグに行く。行かんと困るんです。だから、負けるとかありえません」と菊田が当時を振り返れば、チーム最年長の山本一郎も「負けるとか全然思わなかったですね。絶対に勝てるんだとしか考えていなかった」と当時を述懐する。
その理由として、大会へ向けて原田をはじめ8名の即戦力を補強していたということはあったろう。だが、「勝負に対して万全の手を整え、整えた以上は必ず勝つ」という小嶺イズムの持つ異様なほどの強気が根底にはあった。
コーチだった岩本はこう語る。
「(勝ち抜く)自信はあったんだよね。2000年に有明が県リーグを優勝して各県決勝に出てプロフェソール宮崎と対戦したとき、内容的にちょっとの差で負けたんだよ。相手はそのまま九州リーグも優勝してJFLまで行くんだけど、そこと戦っても大きな差を感じなかった。そのとき、これはちゃんと準備すれば勝てるなって。そういう手応えがあったから大丈夫だなって。」
ちなみに、プロフェソール宮崎と対戦したときのスコアは1対5。それでもこの感想である。いかに有明SCの面々が強気だったがわかるだろう。だが、彼らが強気だったのには、もう一つの理由があった。原則的に九州各県決勝大会は優勝チームが九州リーグへ自動昇格、準優勝の場合は九州リーグ下位と入替え戦が開催される。
だが、2004年にJFL所属だった国士舘大学が不祥事のためにJFL退会し、徳島ヴォルティスとザスパ草津(現 ザスパ群馬)がJFLからJ2に昇格。2004年末にJFL昇格を失敗していた九州リーグ所属のホンダロックSCが、繰り上げでJFL昇格する可能性が濃厚だったのだ。そうなれば、準優勝チームまで自動昇格という流れになる。実際に12月末に2位までが九州リーグ昇格と確定し、2勝すれば決勝戦で負けても九州リーグ昇格することが正式に決まる。
大会直前の1月12日には、今年から県と県協会がチームの運営母体となる法人設立準備に入ることと、県の体育保健課に担当職員を配置する方針が示されるなど、昇格への期待は一層高まる。
そうして、2005年1月15日、鹿児島県鹿児島市の「鹿児島ふれあいスポーツランド広場」で運命の「第28回九州各県リーグ決勝大会」が開幕。有明SCにとって勝たなければ何も始まらない七隈トンビーズ戦が始まった。
「やっぱり、みんな硬かったですね。初めての公式戦でしたし、連携とかもまだそんなにできていなかったですからね」
大会前に助っ人として加わり、先発出場していた原田が後にそう語ったとおり、試合序盤の有明SCは七隈トンビーズの高い運動量とサイドの突破を前に猛攻にさらされる。だが、耐える時間が続く前半24分、攻め上がった右SB石本孝規のミドルシュートを相手GKが弾いたところを、キャプテンの宮崎が押し込み先制ゴール。後半に入り、落ち着きを取り戻した有明SCは、カテゴリーの枠を大きく超える原田の力もあり主導権を完全奪取。セレッソ大阪などでプレー経験を持ち、現国見高校サッカー部総監督の内田利広のパスに抜け出したFW林治幸が追加点を挙げ2対0。
ピッチ内が着実に勝利へ近づく中、ピッチの外では、チームから急きょ借り受けたユニフォームを着たサポーターが「ア・リ・ア・ケ」の声援を送っていた。後に「ウルトラナガサキ」と名を改称する「クラブ・アトレティコ・ナガサキ」の面々である。他のJクラブのサポーター団体で応援していた植木修平が、急きょ立ち上げたサポーター団体だ。
最初に「クラブ・アトレティコ●●」という団体名としたことも、後にウルトラと団体名を改称するのも、彼が当時所属していたサポーター団体の歴史をそのまま取り入れたものである。有明SCのホームユニフォーム色はややネイビーに近い青をベースに黄色とオレンジが入るものだったが、彼らの貼った手作りの横断幕は青と黄色。「チームカラーは国見カラーの青と黄色に違いない」と思って作ったためである。当時は選手の名前もわからず、コールする前にはメンバー表を見て声を出すという急造ぶりだ。
だが、全てが手作りで、全てが手探りの彼らは、有明SCのユニフォームを着て、有明コールをした最初で最後のサポーターでもある。そんな彼らの声援を受けた有明SCはそのまま2対0で試合を終了。トンビーズ戦を勝利する。
「あと1勝」
初めてサポーター団体の応援を受けた有明SCの面々は、すぐさま次の試合へ目を向けていた。九州リーグ昇格がかかる準決勝の相手は熊本県代表の熊本教員蹴友団。熊本県第二師範学校をルーツとし、1937年に創設された歴史あるチームであり、2年前には九州リーグを戦っている強豪である。長いボールを起点とした攻撃を軸に、大会初戦で大分県代表の中津クラブに2対1と勝利している。
ここに勝てば九州リーグ昇格。負ければ県リーグでの1年の雌伏。
有明SCの大勝負は翌日に迫っていた。
(第9回 了)