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SlideShareに関するある思い出と『シリコンバレーとベンチャー投資の歴史』

Rashmi Sinhaさんと話をしたのは2007年末か2008年初頭か?晴れた土曜の真っ昼間だった。当時は、まだ存在感が残っていたYahoo!のサニーベール・キャンパスで開催された小さなイベント、講演者は彼女一人だけだ。彼女が設立したSlideShareについて、起業の経緯やそのコンセプトに関するトーク。

 東海岸のブラウン大学で博士号取得後、西海岸のサンフランシスコ湾北岸にあるカリフォルニア大学バークレー校でポスドクをしている時にSlideShareのアイデアを思い付いたそうだ。何名かいた指導教官から「やってみりゃ、いいじゃん」と軽いノリで背中を押されたこと、ビジネスのことは良く分からなかったが、やり始めると様々な人が支援してくれたこと、スライドでアイデアをシェアする価値を信じて会社を立ち上げたこと、・・・そんな背景話と共にSlideShareのサービスを紹介する内容だ。

 聴衆20名足らずの閑散としたイベントだったが、会場後方に置かれたテーブルにはサンドイッチやケーキ、ビールにワイン、etc.、...参加人数の割りに食べ物は多く、質も悪くなかった。講演が終わり、聴衆は三々五々テーブルに集い、特に盛り上がることもなく食べ物を口に運んでいた。彼女も4~5人の聴衆に囲まれながら食べ物をつまみ、質問に答えていた。僕もビール片手にサンドウィッチをつまみながら、何となくその会話に混ざっていると、ほどなく他の面々は会場を去り、僕は彼女と一対一で話をする機会を得た。

 彼女は少しシャイな感じもしたが、落ち着いてサバサバとした態度でとても話しやすい印象の女性だった。色んな話をした。会社はまだ彼女と夫、それから友人の技術者の三人だけ。彼女がCEO(最高経営責任者)で夫がCTO(最高技術責任者)、オフィスはなく最近までマウンテンビューのアパートにサーバーラックを設置して運営していた(※この前後1~2年、自宅サーバーでサービス立ち上げは結構一般的だった)、投資を得たのでオフィスをレンタルすることにした、等々、立ち上げ真っ最中の苦労話を楽しそうに話してくれた。

 当時、僕は日本企業に籍を置いてオープン・イノベーションとやらを推進、ベンチャー・キャピタルの真似事みたいな仕事をしていた。山積みのビジネスプランに目を通し、毎日のように新しい起業家と出会うのが仕事だった。が、そういった起業家は大抵30代半ばから50代のベテランで(※ある研究によると、シリコンバレーで成功した創業者は起業前に平均13年の勤め人経験を積んでいるそうだ)、圧倒的に男ばかりだった。まだ30前後で社会経験の少ない女性の起業家は、当時の僕には珍しい存在だった。しかも、・・・ビジネスプランにレベニュー・モデルが存在しない、それも、とても堂々と存在しなかった。

 気が付くと主催者側のスタッフを除くと僕らが最後だった。主催者からは、まだ時間があるので、ゆっくりしてくださいと言われたが、僕も彼女もそれを断り、二人一緒に会場を後にした。
「まだ収益方法はないけど、SlideShareのアイデア、価値があると思わない?」
「もちろん。すごく価値あると思う」
駐車場では、そんな言葉を交わして別れた。

 やがて、リーマン・ショックがシリコンバレーも襲い、Y-Combinatorなどのアクセラレータが注目され、ベンチャー投資のやり方も変化し、Facebookが上場する日程が決まった2012年、SlideShareはプロフェッショナルSNS最大手のLinkedInにひっそりと買収された。そのLinkedInも2016年にMicrosoftに買収され、SlideShareはMicrosoftの孫会社となったが、昨年夏、SlideShareはそのライバル会社だったScribdに売却された。
(※こう書くと、SlideShareは数奇な運命を辿り、悲しい最後を送ったように感じるかもしれないが、起業家として彼女は成功者となった、経済的にもイノベーションのリーダーとしても)
 
 長々となったが、ScribdがSlideShareを買収する、という昨年夏の記事をたまたま、今さっき見つけて久しぶりにシリコンバレー時代を思い出したのが、本文をしたためた動機(どうでもいい動機で申し訳ない)。下記に埋め込んだSlideShareのスライドは、帰国前年の2017年にシリコンバレーの歴史を自分の経験を踏まえながらまとめたものです。時間のある時にでも、是非、ご覧頂ければと。


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