リサイタルの前の日、6月1日はクラブにいた
今日は2020年6月1日月曜日。仕事へ向かう。
ほぼ一日中外出するのが久しぶり過ぎて、ノースリーブに7分袖の薄めのアウターを羽織った格好が、今日の気温に対して適切な服装かどうかもわからない。
もう6月かぁ。
なんだか直近の2ヶ月は季節を感じることなく、春をショートカットして初夏を迎えようとしている。
去年の6月1日は何をしていたかなぁと思いだす。
2019年、令和になったばかりの6月1日は土曜日だった。翌日には復帰リサイタルを控えていた。
それにもかかわらず、6月1日の0時は新栄のMAGOというクラブにいた。
(撮影 オモタニカオリ)
テーブルにグラスを置いていたら自分のかどうかわからなくなってしまったけど、まぁいいやと手に取ったジントニックを飲みながら、みんなで腕組んで写真撮って、(私の向かって右にいる彼は誰だったか全く覚えてないし)密に音楽聴くとか、平和だったよな……。
リサイタル準備の2019年5月は、それはもう想像を絶するほど大変だった。大変だったというか、困難が多すぎて絶望していた。
約1年前にフォーカルジストニアという病気になり、そこから様々な場所への通院などを重ね、だいぶ以前より楽器を演奏できるようになってきた兆しが見えたため、「20代のうちにリサイタルをする」というかねてからの望みを叶えるため、復帰リサイタルの開催を決めた。
(ちなみに、本来は2018年3月にリサイタル開催予定でしたが、直前にジストニアの症状が酷くなり断念)
4月くらいはなんかいい感じだったものの、実際リサイタルのプログラムのリハーサルを重ねていくにつれて、音楽的欲がでてくる。
「できることを音にする」のではなく、「もっとこういう音楽がしたい」という、手を伸ばした先にありそうで、なさそうで、あるものを追い求めて練習する日々は久しぶりだった。
音楽はこれだ。
無理をするクセが取れていない私は、欲がでて練習を重ねることに、ジストニアの症状が悪化していった。(今思うと、悪化したというよりは元々あったものを顕在化させてしまっただけのことだ)
本番2週間前のリハーサルの日、左手が丸まってしまって、発症当時ようにほとんど動かなくなったのをよく覚えている。
なんとか、このステージを最後までやって、リサイタルが終わったらクラリネットを辞めようと思っていた。やっぱり私の身体はもう駄目だ。
もちろん、そんなことを考えているなんてことはコンサートのパートナーであるピアニストの彼女にも恋人にも親にも言えない。
でも、本番が近づくにつれて、相変わらず指は完全機能の麻痺寸前だったけれど、メインのシューマンのアダージョとアレグロは絶対良い演奏をすると確信していた。
本番中に、もし指がダメになってしまっても良い演奏ができるように、何パターンもの替え指や、オクターブ操作などの戦略を練った。
これが私の最後の曲になったとしても良いように念入りに準備した。
準備を重ねているだけあって、前日にもなると、自分のできることとできないことの分別はつき、コンディションを整えるだけの作業に入る。
本番は、前々日が勝負だ。前々日、つまり5月31日(金曜)の練習を終えて、私は同居人がDJをするイベントに遊びに来ていた。
この日はテクノかと思ったらサイケのイベントで、私にはサイケは理解できなかったけど、ロックやクラシックみたいに一曲一曲音が止まらない種類の音楽は、余分なことを忘れさせてくれる。
(はじめてこの手の音楽フェスに行った時、DJのつなぎ目で音が止まないのに驚いた。分かり合えないDJ同士だったらどうするの???)
それに加えて、乾杯するくらいの知人はたくさんいたけど、この中に私が次の日リサイタルを控えているクラリネット奏者であることを知っている人はほとんどいないことがすごく心地よい。楽。
6時までのイベントなので、さすがに最後まではいる気はなく、2時に藤一でラーメン食べてタクシーで帰った。
朝ゆっくり起きると、イベントをドロドロになって帰ってきた同居人がワックスも落とさず寝ていた。それを横目に練習に出かける。
夕方には帰ってきて、同居人と焼肉食べたいって話になって安い牛肉買って、引っ越したばかりだから、ホットプレートなんぞある訳もなく、フライパンで焼いて食べた。
「エバラの焼肉のタレはどんな肉でも美味しく食べれるな」と思いながら、翌日のリサイタルで最後に話すことを考えていた。
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