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元夫の行動から学ぶ相性論は実にシンプルだった
娘二人を連れて帰国。その後、私の仕事は安定し、娘たちは日本の暮らしに慣れ、台湾での生活を忘れそうだった、帰国から7年近く経った頃だ。
ある日の夜、私と上の娘と母の3人でまったりしていたら、インターホンが鳴った。女所帯のこんな時間に訪ねてくる人などいないので、不思議に思いつつ、母が対応した。そして、こう言った。
「〇〇(元夫の名前)が来てるけど…」
あまりに意外な名前で、それが誰なのか、脳が状況を理解するまでずいぶんと時間がかかった。
元夫とは、台湾から帰国後1年ほどは連絡があったが、些細なことで喧嘩になり、それ以来音信不通だったのだ。義母や義姉から生存していることは聞いていたが、もう接点を持つことはないと思っていた相手が、今、玄関前にいる現実。私も上の娘も大困惑だった。
しかし、いつまでも玄関前に立たせておくわけにもいかない。仕方がないので、とりあえずチェーンをしたまま、ドアを開けた。
間違いなかった、その姿は多少老けてはいたが、そこには元夫がいた。
そして、もしかしたら怒鳴り込まれるのかもしれないと、かなり緊張していた私がバカだったみたいに、満面の笑みで「Hello!」と言った。
それからしばらく玄関先で話という事情聴取をしていたら、母が、玄関先はなんだから上がってもらえと言い出し、客人としてあがってもらった。
それから、塾に行ってた下の娘に緊急帰宅令を発し、30分後には7年ぶりに家族の再会となった。
娘たちには、なぜ私が離婚を決めたのかの概要は話してあった。だから、どんな反応をするのかと思っていたら、なんだか突拍子もない形での再会だったせいか、特に不快感を示すでもなく、かといって大歓迎といったわけでもない、なんとも不思議な雰囲気だった。
それには、私たち「元家族」の言語問題が一つの理由かもしれない。元夫は日本語が話せなくて、私とは基本英語。娘たちはほぼ中国語を忘れていて、英語は片言。よって、4人での会話が成立しない。こんなだから、深刻な話などできる訳もなかった。
そして、なによりも最大の理由は、元夫の空気が読めない行動だろう。普通に考えて、自分の不貞が離婚原因なのだから、こんな奇襲作戦などできるものなのか? そして、遠洋マグロ漁で数年ぶりに家に帰ってきた父さんみたいに上機嫌に振舞う元夫が、ほんとに理解不能。
それに、私の母にも合わせる顔がないと思うのだが、まあ、母は母で、私の離婚理由など忘れてしまったかのように、元夫を昔懐かしい友人のように歓迎していて、どっちもどっちだった。
そんな、なんだかよくわからない状況だったが、とにかく元夫は2週間ほど日本に滞在するという。まあ、それならその間だけでも、元家族らしい時間を持ってもいいかと考えていた。
で、滞在中はどこに泊まるのかとの質問に、元夫はこう言った。
「Here!(ここだ!)」
聞き間違いかと思い、何度も聞き返したが、答えは変わらなかった。最初からうちに泊まることまで含めての奇襲作戦だったのだ。もう、これには笑うしかなかった。まさに、コントの世界だった。
元夫は、私や娘たち、母のように、最後にはこうやって周りの人たちを、自分の世界に引き込んでしまう。それがいいか悪いか、人を不快にさせるかさせないか、そんなことは別にして、全てにおいてそうなのだ。
私が思うに、元夫は主語を「私」でしか考えないのだと思う。だから、自分がいいことは、みんなにもいいことで、嫌なことはみんなにも嫌という解釈をする。
もちろん、すり合わせが可能なこともあるが、基本の考え方がそうなので、納得というよりは、場の雰囲気を見て妥協する。が、すぐに主語の「私」が戻ってきて、ぶつかる。それを繰り返しているうちに、押しの強い元夫が主導権を握る。私の結婚生活はこんなだった。
言いたいことをすぐに口にするのが苦手な私が、こういう考え方の人と長く平和に暮らすのは、やはり難しかったのだと思う。今になれば、よくわかる。夫の不倫が大きな原因だったけれど、根本的な相性が悪かったのだ。
だから今は、元夫とは相性が悪かっただけで、人間的に悪い人ではなく、友人や知り合いでいる分には、非常に面白い人と思っている。現に、7年前の奇襲作戦、元妻宅をホテル代わりに2週間滞在など、もう、笑い話でしかないのだし。
人と人の相性はとても大切。相性の悪い人とは適当な距離を保つ。これが自分らしくいる為に、私が元夫から学んだシンプルな相性論だ。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。