昔のブログをふりかえる ~『ひび割れてしまった茶碗』より~
昔のブログをふりかえりつつ、今の気持ちを残す長めのつぶやきです。笑
この話の登場人物小姐1号は、上の娘のこと。もう今では社会人だ。
彼女が日本に帰国したのは小学5年。台湾の現地小学校に通っていたので、集団生活から得るべき人間関係の構築方法などは、台湾社会から学んでいた。小学生である彼女の世界はそれが当たり前だったから、日本の小学校でも自身の経験をもとにクラスメートと接していたはずだ。
帰国当時、日本でのいじめが大きな問題になっていたので、彼女もそうならないか心配が尽きなかったのだが、嫌がることなく登校していたので私としては安心していた。
その彼女が今、笑い話でこう言う。
『帰国当時は本音と建前がわからなくて、空気の読めないやつだった』
お国柄という、その国民を表す特徴がある。台湾人はいいことでも、悪いことでも、思ったことをすぐ口に出す傾向にある。言いたいことは言うし、その言葉に裏の意味があることはほとんどない。言って、すっきり。それで終わりだ。(もちろん全ての台湾人ではなく、あくまでも私の感覚だ。)
ただ、台湾人と言えども、大人の世界では本音と建て前がある。しかし、小学生の世界では皆無だっただろう。なので、彼女が分からなくても当然だったと思う。
彼女から聞いた話だ。帰国から半年ほど経ったころ、仲良くしていたクラスメートが、こう言ったそうだ。
『これからは、学校が終わってからの友達ね。』
たぶんこの時点で娘はグループから外されたのだろう。それを苦肉の策でやんわりと、伝えてくれたのではないかと思う。ただ、これを聞いた彼女は、何の疑問もなく、言葉そのままに受け取ったらしい。本音と建て前が分かっていなかったのだから当たり前だ。外されてもダメージのなさそうな彼女の姿が、クラスメートには本当に空気の読めないやつだったことだろう。
今は笑い話で当時のことを話してくれるが、これまで多くのことで深く悩み苦しんで、自身で解決してきたことだろう。私に話していないこともたくさんあるはずだ。11歳といえばある程度の人格が確立されている年齢で、その時期に環境が大きく変わったのだから、本人の負担は大きかったと思う。そんな中で、芯の通った優しい子に育ってくれた。
もともと小さなころから気持ちの優しい子だった。感情を露わにすることも少なく、自分の中で消化させてから言葉にしたり、時にはそのまま言葉にせず飲み込むこともあった。昔のブログがそんな彼女のことを物語っていると思う。(茶碗のことを聞いてみたが、覚えていないらしい。)
彼女とは中学、高校の頃は忙しく、あまりじっくり話す時間が持てなかった。しかし、その反動で今は夜遅くまで話し込むことも増えた。母と娘の会話というよりは、大人同士の会話だ。時にはズバッと手厳しいことを言われ、ドキッとすることも増えた。本当に頼もしい娘に育ったようだ。