グッタリだ義母訪問
義母が苦手だ。週に一度、短い時間だが顔を見に行っている。お弁当を手土産に元気ですかと少しだけ。車で30分の道のりだ。嫌だと思うからだろうか、いつも強烈な眠気と戦っている。
エネルギーの強い人である。バリバリ家事をこなす。家事をバリバリってイメージ、なかなかないけど部屋はきれいだし、布団は干すし、庭の畑にはずっと草の一本も生えてなかった。現在90歳を超えて、一人暮らしをしている。
なぜこの人が苦手なのか。結婚した頃、冷蔵庫の掃除をしたと話したら「私は、タンスを磨いて押入れのものを干して・・・・」3倍返しに言い返されたからだろうか。
子どもができる前、結婚して数ヶ月してから一年半、相槌を打ってくれなくなったからだろうか。
夫の居ない車の中で子どもが出来ないから婦人科に行けと言われたからだろうか。
なにか いつも ピンと緊張してるんだ。いつも臨戦態勢だ。逆に言えばしっかりしてる。戦うかそうでないか。義母は性根が強い。強い人には強い人のご縁があるのだろう。義父はさらにケンカ強い人だった。二人が喧嘩をするとまあ罵り合う、激しいものだった。
義父が病を得て入院しているとき、お見舞いに通っていた。コロナの前だったからボケないようにと週に2回ずつ、姉と手分けして通っていた。そのころ毎月2万円渡していた。生活費の一部にというわけだ。お金を渡すと「ありがとありがと」と言っていた。お見舞いには義母が同行するので、時折送迎にも「ありがと」と言っていた。
義父が亡くなって二ヶ月後、義母は一人暮らしをしていた。私は、お小遣いをハイとテーブルの上に置いた。義母は上から見下ろして「なんね、これ」といったのだ。
今まで「ありがと」と言っていたのは何なん?「なんね、これ」って失礼にも程がある。私は驚いたが、直ぐにお金を持って引き上げた。お金を渡さなくていい。それからは渡していない。
もう一つ、嫌なことがあった。義父が亡くなってから、義母にデイサービスに行きますかと聞いたんだ。一人になると話し相手がいない。体操も一緒にしたらと聞いてみた。返事は「毎日は嫌」では行くのか?説明に来てくれるよう、申し込んだ。
ところが雲行きが怪しくなった。だんだんデイサービスに行かないと言い出したんだ。でも申し込んだし、子ども達は皆デイサービスに行ってほしいと思っていた。人の目があると安心なのだ。
グズグズ言うのを、直接話してくださいと予定通り来てもらった。義母は絶対に行かない。どうして私が行かなゃあならんのか。家の仕事がたくさんあって、私がしなきゃならんのにと怒鳴り続ける。私は、申し訳なくてスミマセンと謝ってばかりいた。
機嫌の悪い年寄に慣れているケアマネさんだが、腹を立てて帰られた。
義母のことを思い出そうとしたら、ようやく出てきた。忘れていた、記憶を閉じ込めていたんだ。これからも付き合いがある、良いも嫌もないと感じないようにしていたんだ。
そのことで文句を言うでもなく、淡々と夫に報告した。あまりの罵りぶりに、録音もした。良くないエネルギーが溜まる気がして誰にも聞かせずに消したけど。私は、私で備えていたんだな。予想していたのかも。
夫のお母さんだからって、嫌なところはある。嫌を嫌と言ってもいい。むしろ、自分のために言ったほうが良かったのかもと想う。
驚くほど出てこなかったのに、出てきたらプツプツと浮かんでくる。出す、第二弾も書く。
言葉にして、押し殺していた気持ちを掬う。「お義母さん』なんて呼ぶから、いい人だと思おうとする。ダダの一世代年をとった女性である。いいところもあれば嫌なところもあるんだ。
ふと思う。義父が亡くなったとき、もうありがとって言わなくていい。頭下げない。自分だけで生きて行けると思ったんじゃないかな。お金も一人なら大丈夫だと思ったのだろう。
お義母さんと私の本音のところ眺めて行く。