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「ふたりのきもちのほんとのひみつ」の歌詞の意味がエモい【キルミーED】
『キルミーベイベーのEDってヤバくね?』
アニメキルミーベイベーのED「ふたりのきもちのほんとのひみつ」は本作を象徴する一曲
独特の切なさと謎のダンスで話題をさらいました。
しかし、この「ふたりのきもちのほんとのひみつ」の歌詞には深い意味、元ネタがあることはあまり知られていません。
今回はキルミーベイベーED×歌詞の意味についてご紹介です。
OPについても深く知りたい方はこちらをどうぞ
語学教師が「キルミーのベイベー!」の歌詞について真面目に考察してみた
歌詞の概要
まず、一番のみが歌詞はこちらになります。
嵐が過ぎたあとに
語るにも落ちていく
眩暈をふりほどいて
123で踊りだす
456でも踊りだす
ー------------
いつまでふたりでいるのかな
おいしくできたらいただきます
しらないままでもいいのかな
ほんとのきもちはひみつだよ
ー------------
ひみつだよ
情景が思い浮かびます。きれいで少しブルーな味わい深い歌詞ですね。
よくある考察
よくネットで見かける考察はこちら
・A~Bメロで愉快な気持ちで踊り出す
・サビでソーニャちゃんとやすながお互いに大切に思っている
ストレートな考察ですが、説得力のある解釈です。
もう少しだけ掘り下げてみましょう。
Aメロ/Bメロは〇〇であることを示唆していた!?
まず結論として、Aメロ/Bメロは
ソーニャちゃんが自分に対して歌った歌詞
であると筆者は考えています。
それは、歌詞の深く考えると浮かび上がってくるのです。
ヴィヴィアン・グリーン へのインスパイア
みなさんは「ヴィヴィアン・グリーン」という歌手をみなさんはご存じでしょうか。
アメリカはフィラデルフィア出身で
グラミー賞ノミネートも果たした素晴らしいシンガーです。
代表曲は「エモーショナル・ローラーコースター」
パワフルな歌声が魅力な女性アーティストです。
そんな彼女の人生訓がこちら
『人生とは 嵐が過ぎ去るのを待つことではない。
雨の中で、どんなふうにダンスするのかを学ぶことだ』
いつもいいことばかりとは限らない。
境遇に対して努力することが、今後の人生を前向きなものにする
という言葉です。
「嵐が過ぎた後」に「踊り出す」意味
どうして「嵐が過ぎた後に」という大仰な言葉を「踊り出す」で締めるのか。
答えはこれだったのです。
つまり
『私は今、殺し屋という嵐の中にいるけれども、そんな中でも
踊り方を、楽しい踊り方を探そうじゃないか』
という決意の表れなのです。
これだと、1話時点でやすながソーニャちゃんが殺し屋であると知っている理由も説明がつきます。
描写こそされていませんが、ソーニャちゃんはやすなに仕事について自己開示したのは明らかです。
嵐が過ぎ去る、後ろめたい仕事を隠すのではなく
やすなを一緒に踊ってくれる「ともだち」だと直感しダンスの仕方を前向きに学ぼうとしたのではないでしょうか。
結論、ABメロはソーニャちゃんの独白であると私は考えています。
「語るに落ちる」の意味
私はキルミーベイベーのおかげでニートを脱出し、
一時期は語学講師の仕事をしていました。
ABメロの歌詞「語るに落ちる」は、
「実力者の彼がこんなミスするようとは…語るに落ちたな」
と話題に上がる能力値ではなくなったという使い方が今日の主流です。
しかし辞書的な意味は、
「聞かれたら秘密にできるが、自分から話す時にはうっかりしゃべってしまう」
が正しい用法です。
「眩暈を振りほどく」のは自嘲した心の現れ
前後の歌詞である「眩暈を振りほどく」、つまりクラクラする頭に喝を入れて
とあわせて考えると
『秘密にしていたはずの仕事をうっかりしゃべってしまった。
驚きと焦燥に駆られたが、彼女は受け入れてくれた。
こうなれば、嵐の中で、一緒に楽しく踊ることに努めようじゃないか』
ソーニャちゃんのおマヌケぶりからしても、うっかり仕事の現場を見られたり、口走ったりすることを十分あるでしょう。
それを受けたやすなが「マジで!?すごーい!」と恐怖より好奇心の勝つ、
ある意味、非常識な反応をしたのは想像に難くありません。
つまりこれは、ソーニャちゃんが自分に対して歌った歌詞であり
自嘲気味であり、それでいて前向きな気持ちを綴った意思表明だったのです。
サビに込められた万感の想い
ABメロは「ソーニャちゃんが自分に対して歌った歌詞」と結論づけましたが
サビはどうでしょうか。
これはシンプルです。
「ソーニャちゃんとやすながお互いに大切に思っている」
これに尽きます。
安直な属性付きの為のレズだの百合だのではないと個人的には思います。
お互いを信頼し、本当に大切に思っている。そんなストレートな解釈です。
「いただきます」は2人で一緒を強調している
「おいしくできたらいただきます」
これは、少し穿った解釈かもしれません。
通常いただきますの語源は「食材に携わるすべての人への敬意をもって~」という意味です。
キルミーベイベーという作品は特定の食べ物をピックアップということはありません。
かき氷やいちご狩りなど話のテーマになることはありますが、「いただきます」というセリフは原作では数えるほどしかありません。(最新14巻まで)
注目すべきは「おいしくできたら」には「美味しいものができたら食べようね」というニュアンスだと思います。
では美味しいもの、いいものは何か。
月並みですが、2人の思い出でしょう。
「たくさん思い出を作ってそれを噛みしめようね」
キャラ的にはやすなが提案したのでしょう。
たくさんたくさん、2人には噛みしめて、ふざけて、そして楽しく踊ってほしいですね。
まとめ
いかがだったでしょうか。
EDだけでここまで話の広がるキルミーベイベー。本当に奥深いですね。
原作/作者でありますカズホ氏の健康を勝手ながらお祈りさせていただき、終わりとさせていただきます。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。