リスペクトから繋ぐ世代だ!~『Vocarap Classic』に見る、ボカロ文化の「いままで、このとき、これから」~
当記事は11/19,20に開催された京都大学文化祭内にて弊サークル「京大ボカロ研究会」が頒布した部誌『VocaLeaves』に掲載された記事の改良版です。当日会場で手に取ってくださった方、ありがとうございました。
また、当記事はobscure.氏主催の「 #ボカロリスナーアドベントカレンダー2022 」参加記事です。1日目という貴重な枠を担当することができて光栄です!本当にありがとうございます。
はじめに
こんばんは。Klayn(くらいん)と申します。普段はボカロを聴いたり、ボーカロイド曲を作ったりして過ごしています。リスナーとしては特に2017年前後の楽曲群が好きで、過去の日刊ランキング等を巡回しつつひそひそとリスナー活動をしています(その分新曲を聴けていないのも事実ですが……)。
さて、早速ですが皆さんは「2017年のボカロ楽曲」と聴いて何を思い浮かべますか?
この年は2007年に誕生した初音ミクのメモリアルイヤーであることもあり、沢山の有名Pが復活作を投稿したり、新進気鋭のボカロPが沢山の思いを込めた力作を発表したりした、新旧入り乱れる華やかな時代です。
kemuの『拝啓ドッペルゲンガー』(5月31日)やハチの『砂の惑星』(7月21日)、wowakaの『アンノウン・マザーグース』(8月22日)、じんの『失想ワアド』(12月27日)などはどれも2010~2013頃のボカロシーンを彩った大御所ボカロPによる3~6年ぶりの復活作であり、DECO*27の『ヒバナ』(8月4日)やピノキオピーの『君が生きてなくてよかった』(8月28日)はコンスタントにシーンの先頭に立ち続けたボカロPが2016年の自作品の流れを引いて発表した名作であります。
2016年以前から知名度を伸ばしていたナユタン星人、バルーン、ぬゆり、ユリイ・カノン、そしてMARETUやOrangestarなども『太陽系デスコ』(1月20日)、『雨とペトラ』(3月9日)、『フィクサー』(3月22日)、『ホワイトハッピー』(6月30日)、『スーサイドパレヱド』(7月18日)、『命ばっかり』(8月4日)、『快晴』(8月31日)、『リバースユニバース』(8月31日)などを発表しており、この先のシーンを引っ張ることになるボカロPの出世作、例えばR Sound Designの『帝国少女』(3月9日)やキノシタの『はやくそれになりたい!』(5月11日)、Eveの『ナンセンス文学』(5月19日)や一二三の『猛独が襲う』(6月13日)、Omoiの『テオ』(7月8日)、カンザキイオリの『命に嫌われている。』(8月6日)、羽生まゐごの『阿吽のビーツ』(8月19日)、ろくろの『セカイ再信仰特区』(9月8日)、蜂屋ななしの『ライムライト』(11月12日)、ツミキの『トウキョウダイバアフェイクショウ』(12月15日)、Guianoの『シャナ』(12月19日)などもこの時期に投稿されています。そして最古参PであるkzやOSTER projectは自信の楽曲の10周年記念に『never ender』(9月25日)や『ミラクルショウタイム』(11月22日)といった曲を発表しています。
このように、各時代のボカロP達が一つのシーンに会し、横並びで楽曲を発表したこの年は、ボカロ文化に据えた時間軸の「交差点」のように見えます。そして、2017年の楽曲群を理解することはボカロ文化の「いままで、このとき、これから」を理解することに繋がると僕は考えています。今回はその中の1曲、Torero氏とUME(夜行梅)氏によって2017年12月1日に投稿された『Vocarap Classic』という楽曲を読み解きながらその時間軸の一端を見ていきたいと思います。
『Vocarap Classic』/ Torero&UME
この曲はTorero氏とUME(以下、夜行梅)氏が各4名のボーカロイドを使用し8MCs(鏡音リン、結月ゆかり、巡音ルカ、VY1、vFlower、初音ミク、東北ずん子、GUMI)による8つのバース(ラップパート)と2回のフック(サビ)によって構成された楽曲で、それぞれのバースはTorero氏と夜行梅氏が交互に担当しています。
この楽曲の一つの特徴は歌詞中に「サンプリング(引用)」が使用されていることです。
「鼻息荒いシマウマ」、「普通って何?常識って何?」、「超Ladyでゴメンね♪」など、肉声HIP-HOPからの引用も目立ちますが、特にTorero氏のバースにおいてはボカロシーンからの引用も多数見受けられます。まずはこの4バースを見ながら、楽曲の背景に広がる時間軸を感じてみましょう。
鏡音リン
初めのバースは鏡音リンです。1番手を鏡音が担当することはボカロラップの古典である一行Pの『下剋上(完)』(2008年4月2日投稿)を彷彿とさせます。その先に続く「一歩先へ踏み出す ジュブナイラー」はDixie Flatlineの『ジュブナイル』(2009年1月23日投稿)、「盛り上がれ あったまったら \りんちゃんなう/」は言わずもがなガルナ(オワタP)の『リンちゃんなう!』(2011年12月27日投稿)からの引用と考えられ、「鏡音」と「ボカロラップ」の時代を築いた名曲が時系列で引用されています。
巡音ルカ
1つ飛ばして3番目のバースは「CV03」である巡音ルカです。ここでの引用は何といってもsumfree氏の『ルカルカ★ナイトフィーバー』(2009年2月12日投稿)からの引用でしょう。「L.U.K.A the Night Fever」はタイトル、「目移りしちゃうが よそ見はしない」は「少しでも視線を逸らしちゃダメダメよ☆」を受けていると考えられます。巡音ルカをレペゼンした「巡音ルカの代表曲」がど真ん中に据えられていることでその存在感はより一層目立ちます。
初音ミク
次は初音ミクのバースです。これまでの2人のバースは2011年以前の「これまで」からの引用でしたが、このバースは全体が『砂の惑星』へのアンサーとなっています。「初音ミク10周年」や「マジカルミライ」というワード、「砂漠に林檎の木を植えよう」、「そうメルトショックにて生まれた生命」に対する「リンゴなんか放り捨てちゃって 君と始『めると 溶けてしまいそう』」というフレーズ、このバース以外ではリンのバースの「乾いた砂には Aquarius あなたの期待にも 応えます」やそもそも歌詞に過去の有名作の引用が散りばめられていること自体も、『砂の惑星』を意識したものだと考えられます。
Torero氏は同2017年の3月26日に『Ash』という作品を投稿しています。「ボカロ焼け野原時代という言葉を聞いてからずっとモヤモヤしていたので叩きつけた次第です。」と言う動画説明文にもある通りこの楽曲は2015年以降のボカロシーンを2011-13年頃と比較して「ボカロ焼け野原時代」と揶揄されたことに対する、そのシーンに生き続けてきた者としての怒りが表現されています。
「燃え尽きた星でも まだそこで」というフレーズは、この揶揄された時代を「燃え尽きた星」とし、まだそこでも熱く熱く人に突き刺さる歌を描いて行こうとする力強さを表現しています。
『砂の惑星』が投稿されたのはそれから4カ月後の事です。
『Ash』で熱い決意をした矢先に、3年半もシーンに居なかった大物からこのような曲が発表された時のTorero氏の心情はどのようなものだったのでしょうか。その複雑で、かつ変わらぬ心境が、更に4カ月後のアンサーとしてこの曲には刻まれています。
「あとは誰かが勝手にどうぞ」と言うならば「あなたの期待にも 応えます」。『砂の惑星』へのアンサー部分にはボカロ文化の「このとき」、そして「これから」の決意という、この時代のリアルタイムな時間軸も刻まれています。
GUMI
最後のGUMIのバースにはタイトルの引用が大量に登場します。
「ドーナツの真ん中で ヒーローがドーン!」はハチの『ドーナツホール』(2013年10月28日投稿)と『パンダヒーロー』(2011年1月23日投稿)、「脳漿もドーン!」はれるりりの『脳漿炸裂ガール』(2012年10月19日投稿)、「イカサマもモザイクもなしで 行こう」はkemuの『イカサマライフゲイム』(2012年2月8日投稿)とDECO*27の『モザイクロール』(2010年7月15日投稿)、「リセットはないぜ」はkemuの『人生リセットボタン』(2011年11月7日投稿)、「弱虫だって 威風堂々だ」はDECO*27の『弱虫モンブラン』(2010年4月15日投稿)と梅とらの『威風堂々』(2012年10月29日投稿)と、2010~13年の「GUMI最盛期」の楽曲をこれでもかというほど引用しており、「ヤバスギルスキルもつ イニシャルGが 底辺から頂点への 反撃だ」と置いて、初音ミクより後発の発売ながら再生数上位の「番付」をかっさらったこの時代の様子を先述の『下剋上(完)』になぞらえて表現しているように見えます(ちなみに2022年現在、GUMI使用楽曲の再生数上位100曲のうち64曲が2010~13年に投稿されています)。
夜行梅氏のバース
ここまではボカロからの引用やアンサーの多かったTorero氏の書いたバースについて話しましたが、タッグの夜行梅氏の書いたバースにも触れてみましょう。以下は1回目のフックの後のvFlowerのバースです。
「うちらネットの野に咲く8人のMC」はGUMIバースのラスト、「マイクが8本 我らVOCALOIDだ」にも繋がるパンチラインとなっており、「やべー勢いですげーもりあがれ」など肉声HIP-HOPからの引用も目を惹きますが、ここで注目したいのは、3行目の「流行りなんか無視 やる事やるべし」です。端的に言えばこのフレーズは夜行梅氏自身の「初志」となっているのです。
実は、夜行梅氏は『Vocarap Classic』の投稿当時、単独でオリジナルのボカロ楽曲を投稿しておらず、単独での「処女作」は次の年、2018年3月31日投稿の『堂島交差点』になります。そして、夜行梅氏は以後現在に至るまで月1曲のペースでコンスタントに楽曲を投稿し続けています。その楽曲群からいくつかのリリックを見てみましょう。
まずは2018年4月28日投稿の『微速善進』のフックより。
『堂島交差点』に続く2作目であるこの曲のフックには夜行梅氏自身の内面や、これから先のスタンス(~たい)が綴られています。
次に2018年12月29日投稿の『暗中模作』より3つ目のバースから最後のフックまでの部分。
バースの前半には少し弱気な部分が描かれており、後半はそれにアンサーする形となっています。そして『Vocarap Classic』の「流行りなんか無視 やる事やるべし」を踏襲する形で「流行り廃り無視 やりたいことをやる」と綴られ、バースの後ろに『微速善進』のフックが引用されていることからは、逆境の中で「初志」や「投稿初期のスタンス」を再確認する姿勢が聴いて取れます。
そして最後に2020年8月1日投稿の『リハビリ』の冒頭。
冒頭の2行は『微速善進』の冒頭からの引用であり、そこからは等身大を保ちつつも「誰の為の音楽? 自問自答 色々あるけど まずは自分の為」と、2,3年経っても「揺るがないスタンス」を結月ゆかりが歌い上げています。
『Vocarap Classic』の結月ゆかりのバースには「get to the chance 揺るがないスタンス」とあり、「流行りなんか無視 やる事やるべし」と合わせて『Vocarap Classic』に刻まれた「初志」は、その後の音楽活動、2017年当時から見た「これから」の夜行梅氏の音楽の歩みに深く根差す1本の幹となっていると僕は思っています。
『Vocarap Classic』には2017年を基準としたボカロ文化の「いままで(過去)、このとき(現在)、これから(未来)」が刻み込まれていました。過去の文化を引用し、現在のシーンにアンサーし、そして現在まで引き継がれる「初志」を刻む。様々な世代が入り乱れた2017年において、その各世代ををリスペクトという一本の綱で繋ぎ通した作品が、『Vocarap Classic』であり、それはまさしく、Torero氏と夜行梅氏が組んで生み出した文化遺産です。
おわりに
しかし、そんな2017年も既に5年前の話です。2017年の「いままで」は「あの頃」に、「このとき」は「この頃」になりました。その中でも、またリスペクトのバトンは新しい世代に受け継がれ、そして「これから」はまだ「これから」の未来へと続いていきます。
我々がボカロ楽曲を聴き続けこのボカロ文化が続く限り、そこには「これからも続くいろんな音楽との出会い」があります。ボカロ文化はまだ「旅の途中」です。
参考
『いままでも、このときも、これからも――』/ cosMo@暴走P(2017年3月15日投稿)
……タイトル
『ポラリス』『砂もない惑星』『EASTER』/404nf(2021年5月~7月投稿)
……「あの頃、この頃、これから」
https://www.nicovideo.jp/watch/sm38831720
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39101447
『旅の途中』/夜行梅(2019年5月31日投稿)
……「これからも続くいろんな音楽との出会い」をテーマにした、『Vocarap Classic』と同じ8MCsの楽曲。初めの4バースはゆかり、VY1、vFlower、ずん子が『Vocarap Classic』と同じ順で登場する。
ここまで目を通してくださり、ありがとうございました。
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