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灯火(アイドルオタク人生録 vol.9 前編)

 2017年2月8日、アイドル界に大きな衝撃が走った。
 
 私立恵比寿中学のメンバー、出席番号9番、松野莉奈が致死性不整脈の疑いで急逝した。
 彼女は高校3年生、当時18歳だった。アイドルとしても、一人の女性としても、本当にこれからという時期だった。
 
 私はこのシリーズでvol.7,8にわたり、「推しメンの喪失」に向き合うオタクたちを取り上げてきた。

 今回インタビューするのは、「推しメンが急病で突然亡くなってしまう」という、最も悲劇的で過酷な「推しメンの喪失」をした男性である。
 彼はどのようにその現実と向き合ったのか。そして、どのように再び推しメンを見つけ、再び立ち上がるに至ったのか。ここにその軌跡を記したい。

師走

  待ち合わせは12月15日、日曜の15時、秋葉原駅の電気街口だった。どうしてこの場所、この時間なのかと言えば、秋葉原のeイヤホンで「えびちゅうコラボヘッドホン発売記念 お渡し&パッケージサイン会」が開催されていたからだ。彼はえびちゅうのオタクとしてそのイベントに参加していた。

 15時の待ち合わせと言っても、予定は少し早めに終わったようで、15時少し前に彼と合流した。彼は改札の前でマスクをして、ジーンズにミリタリー風のジャケットという10年前から変わらない服装で私を待っていてくれた。マスクをしていたため表情は半分しかわからなかったが、ピシリとした声色に、相変わらずの丁寧さを感じた。

「お久しぶりです」
「久しぶり!多分3年ぶりぐらいだね!あのときはありがとう!」

 私は以前、同じくえびちゅうのオタクである彼の妻からチケットを売ってもらったのだが、その際彼女自身は現場に行けなかったので、彼経由でチケットを渡してもらったことがあったのだ。

「ヘッドフォンのイベント行ってたんだよね?」
「はい、そうですね」
「あれって、コラボを提案したのって松野推しの方らしいね」
「ああ、そうらしいですね」
「僕も2,3回ぐらい、昔、一緒に飲んだことがあるわ」
「え、そうなんですね!」

 12月の秋葉原は驚くほどの人の多さで、見渡す限りほとんどが外国人であった。それにしても人が多い。渋谷かと見紛うほどに人が多い。私は2020年1月まで秋葉原(正確には秋葉原駅から徒歩数分の岩本町)に住んでいたため、だいたいどのくらいの人がいるかなんとなくわかっているのだが、これほどまでに多い日というのはなかなかなかったように思う。つまり、秋葉原の街もすっかり変わってきているということになる。

 昔住んでいたため無意識なのか、それとも人が一気に減る場所を良く知っているからなのか、私たちは岩本町側へと歩き出した。
 彼と他愛無い世間話や、このインタビュー前日に行われたえびちゅうのライブの話をしていた。私は、話がひと段落したところで、そろそろインタビューを始めようと考えた。どう切り出そうか考え少し緊張していたところ、彼からインタビューの話を振ってくれた。

「今日、インタビューしていただくにあたって、全ての記事を読み返しました」
「えっ、マジで?本当にありがとう」

 岩本町の交差点の信号が青に変わる。私たちは横断歩道を渡り始めた。

「改めて読んで、どの方も濃いというか。正直自分がドラマのあるオタク人生を歩んでいないと思うので、大丈夫かなって」
「いやいや、そんなことないよ。もちろんドラマがあるかは人それぞれだけど、熱量持って真剣に通ってる人の話って面白いよ。少なくともみずっちは熱量を持って通ってるでしょう?」
「もちろんです」
「じゃあ、大丈夫だよ」

※本記事では、2024年の私立恵比寿中学を「えびちゅう」と表記し、それより前の私立恵比寿中学を「エビ中」と表記する。その方が私にとって自然だからである。

生い立ち

 「みずっち」は、1994年1月1日に神奈川県横浜市に生まれた。結婚して家を出るまでは数か月のリフォームを除き、ずっと同じ家に住んでいた。横浜市の中心地である桜木町が最寄りだと言う。
 幼少期には気が付かなかったが、高校生くらいになり、自分がかなり横浜の都心に住んでいるのだと改めて気が付いたという。

 小、中、高校と、どちらかというと人見知りが激しく、内気な性格であった。中学からバドミントン部に所属しており、大学に入った後もサークルでバドミントンを続けた。

「両親がアイドルが好きで、AKBとかモーニング娘。をよく聞かされていました。でも、当時アイドルオタクって、どちらかというとあんまり良いイメージがなかったじゃないですか」
「そうだね、今ほど市民権はなかったよね」
「なので、どっちかというとアイドルを避けていましたね」
「じゃあどうしてアイドルオタクに?」

 私たちは馬喰町の交差点を渡ろうとしたが、信号がないことに気が付いた。どうやら、地下道を通らなければ向こう側に行けないようだった。私たちは地下道に入ることにした。

川崎で受け取ったチラシ

「高校3年の3月頃、高校の友達と鍋しようぜってなって、ラゾーナに行ったんですよ。そしたらなんかアイドルがイベントをしてて、スタッフさんがビラ配っててたんです。これがエビ中でした。チラシを見ると、”ももクロの妹分”とか書いてあって、”ももいろクローバーZ”という言葉が何故か頭に引っかかったんですよね、エビ中のチラシをもらったのにです。その後、改めて検索したりして、ももクロの動画を観ました。まあ、みんなが通る道だと思うんですけど、Z伝説(Z伝説~終わりなき革命~)とか見て、それでももクロにハマりました。2012年の4月、自分が大学生になったというタイミングで、オタクになっちゃうんです」

 勉強は好きではなく、就職しようと思っていたくらいだったが、大学に進学した。大学生活がスタートし、「ちゃんと大学生をしよう」と思い、バドミントンサークルに入ることに決めた。
 最初はライブに行こうという気持ちはあまり起こらなかった。しかし、ももクロが社会現象と呼べるほどに流行し始めると、サークル内にももクロのファンが出てくるようになり、ついに誘い合わせてライブに行くようになった。

 初めて行ったライブは、2013年の春の西武ドームのライブだった。推しは有安杏果。Z伝説のMVを見ていると、皆ロングヘアという特徴で正直あまり最初は見分けがつかなかったが、その中でも特徴的で、少し癖のある歌声に惹かれてファンになった。そして、実際にライブで見ても間違いなくこの子だ、という印象は変わらなかった。
「僕は、真ん中にいるタイプよりも、サイドにいる子が好きなんですよね」と語る。

 その後、モノノフ(ももクロのファンの呼称)としてアイドルオタクを始めた彼は、毎月のように現場に通うようになる。ファンクラブイベントや富士急で実施したミニライブにも通った。夏になると日産スタジアムでのライブにも参加し、完全にももクロ漬けになった。

アンダーシャツを着たみずっち

私立恵比寿中学へ

「エビ中初のSSA(2013年12月)の時、エビ中に誘われたんですけど、当時はお金がなくて、行かなかったんですよね。結局エビ中にハマったのは、俺の藤井2014がきっかけでした」

 俺の藤井2014。これは、スターダストアイドルの祭典である。ももクロ、エビ中などを始めとしたアイドルが勢ぞろいするフェスのようなものであると考えていただければわかりやすいだろう。

「その日のももクロのセトリが正直イマイチだったのもあるんですけど、エビ中のライブがものすごく良かったんです」
「その時は、誰を推そうと思ったの?」
「気になったのは、裕乃さん(鈴木裕乃)です。なんていうか、ビジュアルもそうですけど、独特の空気感があったので。でも、彼女が辞めるということは知っていました」

 そう、エビ中は2013年12月8日に最高と名高いSSAライブをしたのち、出席番号1番瑞季、4番杏野なつ、8番鈴木裕乃3名の転校(要するに卒業だ)を同月26日に配信で発表した。9名中3名が2014年4月15日の武道館ライブで脱退するという衝撃だった。

 その後、2014年1月4日の俺の藤井2014にて、さらに激震が走った。追加でメンバーが入ることが発表されたのだった。新メンバーとして追加されたのは、出席番号11番小林歌穂と12番中山莉子だった。
 このメンバー追加に関しては否定的な意見も多かった。否定と言っても、メンバー個人に対してではなく、”メンバーを入れる”という運営判断に対する否定だ。本シリーズのvol.3のかわもとさんも、このメンバー追加に対しては否定的だったとインタビュー中に述べている。

 エビ中に心を惹かれつつも、ももクロに夢中になる気持ちは変わらなかった。2014年3月15日、推しメンの有安杏果の誕生日、ももクロは目標としていた国立競技場でのライブを行った。国立競技場は彼女のメンバーカラーである緑一色に染まった。感動的な瞬間だった。運転免許合宿や諸々の都合をなんとかしてつけ、無理やりこじ開けたスケジュールだった。翌日のライブも参加し、最高の2Daysとなった。
 
 そして同時に、エビ中への熱量も上がっていく。

「エビ中が気になってから、いろいろ見たり聞いたりしたんですけど、一際心に残ったのが「梅」でした」

 私立恵比寿中学の「梅」。名曲とも言われることが多い曲だが、この曲には強烈なメッセージが込められている。

「梅って、同事務所の先輩グループであるももクロに対しての自分たちの立ち位置を歌った曲じゃないですか。そんな曲を堂々と歌っていることに驚きました。あと、”誰か一人は必ず見てるから”という歌詞が自分自身にも強く刺さったんです

 エビ中が見たいという気持ちが大きくなってきたところに、2014年4月15日の武道館ライブのチケットを譲ってくれるという知り合いが現れた。彼は運良くチケットを手に入れた。

 初めて見たエビ中のライブは、本当に素晴らしいものだった。とは言え、推しメンとしていた鈴木裕乃はこのライブを以て転校(卒業)してしまった。

「それでもエビ中をまた見ようと思ったのはどうして?」
「新しい8人のエビ中を見に行こうと思ったんですよね。それで、武道館の翌月のバタフライエフェクトのツアーで、Zepp Divercityのライブを見たんですが・・・。言葉は悪いかもしれないんですけど、かほりこ(小林歌穂と中山莉子)がものすごく”未熟”で、良い意味で衝撃を受けたんです」
「ああ、まあ確かにすごくゆるいというか、本当に入ってばっかりでいろいろすごかったよね」

 確かに、入った当時の小林歌穂と中山莉子は、音程やリズムも今に比べるとはるかにミスが多かった。ただ、それを否定的に見る人たちよりも、それを優しく見守るという雰囲気があった。良い意味で、体育会系のももクロに対し、文化系のエビ中という対比が(元々は)存在していたように思う。

「8人のエビ中を見て、これは見たいなと思いました」
「その時は、誰を推そうと思ったの?」
「松野莉奈さんと、中山莉子ちゃんが気になってましたね」
「どうしてその二人に?」
「松野莉奈さんはかわいいなって、ビジュアルが好きでした。中山莉子ちゃんは、最初のインパクトもあるんですけど、今思うと、裕乃さんのパートを引き継いでいたのもあるかもしれないですね」
「確かに、パートは結構引き継いでたし、色も水色を引き継いでいるもんね」

推しメン

 その後、ツアーの最終日、2014年6月15日、家から徒歩圏内のパシフィコ横浜のチケットを手に入れライブに行った。

「パシフィコで松野莉奈さんが、「できるかな?」っていうソロ曲を披露したんですけど、それを見て、ああ、僕はこの子が好きなんだ、と確信しました
「そこで一人に決まったんだ」
「はい。それまでは、片手ずつ水色と青(松野莉奈のメンバーカラー)のリストバンドを付けていたんですけど、それからは青だけをつけるようになりました。水色のリストバンドは、今もタンスの中に大事にしまってあります」

 2014年6月15日、彼は地元、桜木町で見たライブで、ついに松野莉奈を推し始める。

 そこからは、大学生というアドバンテージを活かしながら、現場に通いつめる日々が始まった。エビ中の大学芸会(大きな会場での重要なライブのこと)は、この年"東西大学芸会"と称され、東は横浜アリーナと、西は神戸ワールドで実施された。
 彼は東西のうち、東側、つまり横浜アリーナでのライブに行くことにした。ライブは最高に楽しかった。しかし同時に、このライブでは1人ずつソロ曲を披露する機会があるという構成になっていることがわかった。そして、自分の推しメンの松野莉奈のソロ曲がまだ披露されていなかった。つまり、彼女のソロ曲を見たければ、西、つまり神戸に行く必要があった。

「ライブはすごく楽しかったし、松野莉奈さんや莉子ちゃんのソロ曲がまだ披露されていなかったんで、ソロを見るためにも急遽神戸にも行くことを決めました」

 移動はすべて基本的には長距離バス。土日で移動料金が跳ね上がる際には、平日である前日中に移動しておき、インターネットカフェを宿として節約した。

 身体は大丈夫だったのか、と聞くと「大学生の友達とかもいて、お互い集まったりしてたので、そんなに苦には感じなかったですよ」と明るく彼は語った。
 私が彼と知り合ったのも、おそらくはこの前後だった。既に大学生界隈(明確な名前があったわけではないが)と言われるような一大界隈ができていた。誰が付けたのかはわからないが、ユーモアを持って、彼のグループは「チームみずっち」と呼ばれることもあった。

 神戸では松野莉奈のソロ曲「できるかな?」が披露された。彼女はセンターステージでこの曲を歌っていた。ウェディングドレスのような衣装に身を包んでいたが、純白のドレスではなく、少し黄色がかったオフホワイト。これは、「いつか本当に結婚する時まで純白はとっておこう」というスタッフの計らいだったという。
 私もこのライブに参加しており、センターステージの2列目にいて間近で松野莉奈のパフォーマンスを見ることができた。様々なアイドルを見てきたが、あれほど「美しさと幸せ」を感じる瞬間はまだ他に出会っていない。

 本記事を読んでいる人はご存じな人も多いと思うが、「できるかな?」という曲の歌詞についておさらいしたい。
 この曲は、「いつか〜できるかな?」という問いかけの形で年頃の女の子の願望が語られるという曲である。どこか童謡的というか、NHKの「みんなのうた」にありそうな曲である。

いつかあなたと ゴールインできるかな?
ずっと一緒にいられたら それだけでも幸せだから 

 歌詞の全てを引用したいほど素晴らしい歌詞である。恋愛、結婚、出産、年老いていき、いつか亡くなる日のことまでを歌っている。

いつか上手に お別れができるかな?
誰にも迷惑かけないで あなたの所行きたいから
また二人で暮らしたいから

 このおっとりとした曲調や優しさあふれる楽曲は、彼女の雰囲気にぴったりだった。

 ここで改めて、彼女のことを知らない人のために松野莉奈という人物について触れておきたい。
 1998年7月16日生まれ。出席番号9番、メンバーカラーは青。私立恵比寿中学に加入したのは2010年5月で、出席番号7番の星名美怜と同期である。
 エビ中のビジュアル担当と言われる美貌を持ち、流行が激しく変わっていくアイドルの中でも今なお変わらぬ普遍的な美しさを持っている。また、169.5cmと身長は高く、スタイルも抜群でモデルの仕事もこなしていた。
 エビ中に様々な楽曲を提供しているヒャダインこと前山田健一は、彼女について「歌が本当にへたくそだったんですけど、やればやるほどうまくなって。誰よりも頑張り屋だった」と述べている。(サンスポ2017年2月25日記事【ヒャダイン、エビ中・松野莉奈さんは「誰よりも頑張り屋だった」】より)
 自己紹介のキャッチフレーズは、「見た目は大人、中身は子供」。大人らしい美しさやスタイルと裏腹に甘えん坊な部分があり、オフショットなどではメンバーにくっついてる姿がよく目立つ子だった。
 他推しの私から見ると、「すごく美人で少し人見知りっぽいけど、おっとりしていて人間味のある優しい子」という印象だった。

松野莉奈とみずっちの2shot(2015年)

ライブアイドルへ

 2014年にどっぷりとエビ中のオタクとなり、2015年もエビ中一色と思われたが、2012年に大学に入学した彼にとって、2015年は就活の年となる。それが彼のオタク活動に影響を与えた。

「就活って、空き時間があるじゃないですか。その空き時間で、ライブアイドルのイベントに行けるんですよね」

 ライブアイドル。地下アイドルの丁寧な言い回しである。彼はこの上品な言い方を好んだ。
 彼がハマったのは、夢見るアドレセンス。地下と呼ぶにはファンの多いグループではあったが、リリースイベントなどを頻繁に実施しており、何度も会うことができたという点では、確かにライブアイドル(地下アイドル)と言えるだろう。夢見るアドレセンス、いわゆる夢アドでは志田友美を推し始めた。

「くらさん(私)とも現場で1度会ったことがある気がしてます」
「確かに、あの時期はエビ中のオタクが、みんな他のグループに行ってたよね。アイルネ(アイドルネッサンス)、虹コン(虹のコンキスタドール)、夢アド(夢見るアドレセンス)とか、BiSHとかね」
「ですよね。夢アドは接触に行ったりするうちに、覚えてもらえるんだ、とか、アイドルと話すという喜びを知って、特典会にも慣れていきました。僕は握手会というものが苦手で、ほとんどエビ中では握手券を買ってなかったんですけど、これを機に少しずつ買うようになっていきました」
「あるよね、ノウハウの横展開」
「ですね」

 就職活動では無事に内定をもらった後、大学4年の秋、エビ中のフリーライブが大阪で開催された。
 「スーパーヒーロー」のリリースイベントだった。
 運良く10番台の番号を引いた彼は、絶好の場所でエビ中屈指の名曲であるスーパーヒーローを見ることになる。
 イベント会場は、大阪南港。海が見える美しい風景だった。最高の曲に最高の風景だった。

 なお、彼はいつもトレードマークとして青色のアンダーシャツを着ていた。エビ中のオタクはももクロのオタクとは違い、私服そのままの人が多かったことから、一部悪目立ちして叩かれたりもしていたという。

 その後、松野莉奈の特典会に行くと、番号が良かったのと、青色のアンダーシャツが目立ったのか、「見たことある」という言葉を貰った。
 ファンに対し「スーパーヒーローの透明なマントを付ける会」という、一風変わった特典会だったという。(スーパーヒーローの衣装には、それぞれのメンバーカラーのマントが付いていた)

「今思えば気を遣ってくれたのかもしれないんですけど、当時は本当にうれしかったです」

松野莉奈のメンバーカラー(青)のアンダーシャツを着るみずっち

社会人として

 2016年4月に社会人となった彼は、1年目は一部の税金がかからないというアドバンテージと、実家暮らしのアドバンテージを活かし、これまで以上の馬力でオタクをするようになった。国内遠征のみでなく、海外にも遠征するようになり、ついに台湾にも足を運んだ。

台湾遠征にて、友人と(2016年)


 接触では、それほど多くの枚数を買うことはなかったが、ライブの感想を主に伝えていたという。

「接触レポとかそんな出せるような内容じゃなくて。みんな話すの上手いですよね」
「いや、でも、あれは色々ある中で一番良い内容を出してるだけだと思うんだよね」
「そうですかねえ」
「まあ結局自分が楽しいのが一番だよ」

 2015年のライブアイドル通いで得たノウハウを横展開し、推しメンとの関係性が徐々に築けてきた。

 だが、エビ中は2016年9月に「まっすぐ」をリリースした際、一時的に握手会を辞めるような方向性に動いた。
「それもあって、松野莉奈さんにはそれほどの枚数は積めなかったんですよね」

 しかし彼は元々はライブが楽しくて現場に通っていた人間である。相変わらずひたすらに現場に通い続けた。

 推しにも友人にも恵まれ、幸せなオタク生活だった。しかし・・・。

突然の別れ

「2017年の1月だったかな。本のお渡し会があったんですよ。松野莉奈さんと話したのは、それが最後でした」
「なるほど、ついに2月の話だね・・・。あの日、どうしてた?」
「会社にいて、昼休みに知りました。普段は昼休みは、飯食ったら寝るんで携帯見ないんですけど、その日はなんでか、Twitter見ちゃったんですよ。そしたら、TLの雰囲気が明らかにおかしくて。何があったんだろうって辿ったら・・・。全然意味がわからない、という感じでした。アイドルにおいて、並んではいけない文字列が並んでいるわけですよね」

 ”並んではいけない文字列”。独特の表現であったが、確かに、当時の衝撃を正確に表しているような言葉だと感じた。

「そうだよね、僕も当時、本当に意味がわからなかった」
「あの日のことはあんまり覚えてないんです。でも、覚えてるのは、友達から大量にLINEとかが来てて。Twitter見た?とか、大丈夫?とか。Twitterに何書いていいんだかわかんないし、LINE、どうしたらいいかわかんなくて、とりあえずはまあ、それなりに返したんですけど・・・」
「LINE全部返したのね・・・。そんな無理しなくてもよかったのに」
「とりあえず、いろいろよくわかんなくなってトイレに行きました」
「・・・それは、泣くとか、そういうために?」
「いや、泣いたとかじゃなくて・・・。でも、あんまり覚えてないんです。今考えると泣いてたのかもしれません。よく覚えてなくて申し訳ないです」
「いやいや、むしろ色々思い出させてごめんね」

 私はこの時、本当に申し訳なさを感じた。彼にとって、辛い記憶を掘り起こしてしまっているように思ったからだ。「記憶がない」というのは、防衛反応のようなものだと思う。その閉じられた箱を無理に開けることは私としてもしたくない。だから、彼自身の記憶を思い出してもらうことより、私自身もあの日にどのように過ごしたかを語ることにした。

「実は僕があのニュースを知ったのはトントンのリツイートなんだよね。あの日、クライアント先からタクシーで会社に移動してたんだけど・・・一瞬で頭が真っ白になったよね」

 トントン。アイドルオタク人生録vol.5のインタビュー対象者である。

「読んでくれたからわかると思うんだけど、トントンって、Twitter尖ってたから、最初は悪い冗談をリツイートしたんじゃないかって思ったんだよね。でも、彼のことは良く知ってたし、流石にこんな悪い冗談をリツイートしたりするやつじゃないって思ってて。嘘であってほしいって思った。でも、あのあと信頼性のあるニュースで報道されていることがわかって・・・」

 今思い出しても息が詰まる。

「ちょうどその日、新しいお客さんと商談があって。流石に切り替えて行ったんだけど、結構自分の仮説がお客さんにうけたんだよね。それがすごく嬉しかった一方で、やっぱり頭の中にはずっとあのニュースがあって・・・。商談が終わった後に上司が『知ってるかどうかわからなくて黙ってたんだけど、応援してるグループのニュース見た?』って言われたんだよね。知ってるって答えたら、『今日はもう帰りなよ』って言ってくれたんだよね。そのあと、結局、家の近くのデニーズで仕事してたんだけど、全く頭が回らなくて・・・。そんな風に、あの日過ごしてたよ」

 急逝の日から17日後、2017年2月25日にパシフィコ横浜で「松野莉奈を送る会」が催された。
 これはライブのようなイベントではなく、ファンが参列し、大ホールに展示された彼女の写真の前に、花や手紙などを手向けるというものだった。
 
 私も参列していたのでよく覚えている。寒い日であったが、列は長く外まで伸びていた。パシフィコの入り口のすぐそばには青い海があった。
 ずっと建物内ではエビ中の曲が流れており、その中には、彼女のソロ曲「できるかな?」も含まれていた。
 
 「できるかな?」は、先ほど書いた通り人生を歌った曲だ。恋愛や結婚、出産、そしていつかのお別れの日、そうした”いつか”を迎える前に、彼女はこの世を去ってしまった。深く考えると涙が堪えられないような気がしたから、私は列に並びながら別のことを考えるようにしていた。

 みずっちも、この会に参加していた。

「友達と、お花を持っていきました。仲良い(松野莉奈推し以外の)オタクたちとそこで会ったんですけど、どう話しかけていいかわかんなくて」
「それは、多分向こうもそう思ってたんじゃないかな」
「だとすると、お互いにそう思ってたんでしょうね」
「うん、そう思う」

 家から歩いて行ける距離にある地元のホール。
 そして、2年半前に彼女を推そうと決めた運命の地。
 「自分はこの子が好きなんだ」と思い、推し始めた場所でお別れ会をすることになるとは、あまりにも運命は非情である。

「その後、2月か3月に仲の良いオタクと飲みに行くんですけど、もう何か気持ちが沈んでしまって、みんなが盛り上がって二次会に行こうってなったとき、僕はそこで帰ったんです」
「それは、仕方ないね・・・。ちなみに、その前後だと思うけど、僕らも虎ノ門で2人で飲んだよね。なんだか場末の居酒屋みたいなところで・・・」
「ああ、そうでしたね。思い出せますよ。あの店ですね」

 虎ノ門も、大規模な再開発があり新駅もできた。あの店は、まだあるのだろうか・・・。

「そういえば、本のお渡し会で最後に話した内容なんですけど、そこでちょっと後悔するような感じになっちゃって」
「どんなことを話したの?」
「青のアンダーシャツを着るのを辞めようかな、って言ったんですよ。当時、エビ中のオタクの中であのアンダーシャツはちょっと悪目立ちしていたんです。だから、そろそろやめようかなって思って、そう話したんですけど、そしたら「えー、なんでやめるのー?」って言われて。向こうからすると、もしかしたら熱量が冷めたのかなって誤解させたんじゃないかなって」
「きっと、そんなふうには思ってないんじゃないかな」
「だといいですけどね・・・」

 信号待ちでふと遠くを見つめた。
 冬の美しい夕焼けが広がり始めている。そして、私たちは見たことのないほどの大きな満月を見つけた。

7人のエビ中

 そして、2017年4月22日、想定外の形で7人の新体制となった私立恵比寿中学の春ツアーの初日がやってきた。

「後々思うと、ここがターニングポイントになるんですよね。チケットは、(松野莉奈が亡くなる)前から取っていたので、持っていました。ただ、行くかどうかは迷ったんです、でも行くことにしました」
「行ってみて、どうだった?」
「あのツアーは1曲目がebiture(エビ中のoverture)だったんですが、メンバーは出てこなくて、メンバーが出てくる実質的な1曲目は新曲だったんですよ」
「ああ、あのエビクラシーのアルバムの1曲目の、旗持って出てくるやつだよね?」
「はい、それですね。初めて聞く曲だったんですが、その1曲目でめちゃくちゃ泣きました」
「推しメンがもういないんだって実感する瞬間が一番、寂しいよね・・・」
「初めて聞く新曲だらけのライブは、7人のエビ中の本気が感じられて。久々に見ることとなったエビ中が、こんなにも強いグループなんだなと実感できて、推しがいない辛さに耐えられなくなりつつも、終わる頃にはめちゃくちゃ元気になってしまう、最高のライブでした。そのあと、これは行かないとって思って他のツアーもどんどん申し込みました」

 一点補足すると、初めて聞く新曲が多くあったのは、アルバム発売前にツアーが開始されたからである。彼が新曲をチェックしていなかったというわけではない。

「すべて思い出深いライブでしたが、特に覚えているのは、”日進月歩”という曲が初めてツアーの大宮で披露されたときのことです。エビ中は前に進むんだ、っていうことにすごく感動して。これが現場のリストなんですけど」
 彼はスマートフォンのメモを私に見せて言った。そこには、日付と、参加したライブがずらりと並んでいた。
「かなりの公演を当日券で行ってるんですよね。当日券でもいいから行きたいって思ったくらいに楽しかったんです。結果、エビクラシーのツアーはほとんど行きました」

 一見既に再起したようにも見えたが、それでも、完全に前向きに通っていた、というわけではなかった。
「ツアーの合間にいろいろ接触できるイベントがあったんですが、仲の良いオタクたちは、推しメンとこんなことを話したとか、そういう話をたくさんしてて。それが本当に羨ましかったし、聞いていて辛いなと思うときもいっぱいありました。自分、推しメンいないのに何しているんだろうと、常に葛藤しながら現場に行っていました

 そして、2017年春ツアーの最終日を迎える。

2017.7.16

 春ツアーの最終日は2017年7月16日。この日は、偶然にも松野莉奈の誕生日であった。

 ツアーの各公演では、メンバーがソロで最新アルバム「エビクラシー」の1曲を歌うという企画が行われていた。ただ、この最終日の時点で、全メンバーは既にソロを終えていた。最終日は一体何をするのだろうと皆考えていた。
 
 私も、この公演に参加しているが、忘れられない日となった。

 本編はこれまでのツアーと同様、本当に素晴らしかった。そしてアンコールも「サドンデス」の曲中のダンスバトルで松野莉奈の脱落理由である「太ももがかゆい」でメンバーが続々と脱落するなど、笑いがある心温まる公演であった。
 また、彼女を想って作られたと言われる「なないろ」を歌いながら安本彩花が涙し、メンバーもそれにつられて涙するなど、感動的な場面もあった。この涙は決してネガティブなものではなく、涙を流しながらもメンバーは皆笑顔だった。

 メンバーもスタッフもオタクも、突然のことがあって本当に大変な時期を過ごしたと思うが、本当に良いツアーだったと誰もが思えるような文句なしに素晴らしいライブだった。

 しかし、このツアー最終日をさらに忘れられないものにしたのは、最後に流れたエンドロールとある映像であった。

 エビ中のツアーでは、最終日にツアーの移動風景やオフショットなどを振り返りのような形で、エンドロールとして流すことが恒例となっている。

 エンドロールで流れたのは、ツアーの移動風景やオフショットといういつもの映像であるが、音楽は本ツアーのアルバム「エビクラシー」の”感情電車”という曲だった。しかしいつもの音源ではない。メンバー全員ではなく、1人が歌っている。初めて聞く音源だった。

 先述の通り、本ツアーでは、メンバーのソロコーナーが用意されていた。

 もしかして・・・でも、そんなわけないよね。誰もがそう思った。しかし聞けば聞くほど、その歌声は・・・。

 曲が終わり、映像が終わると、真っ黒い画面に映し出されたのは、「"Kanjo Densha" song by MATSUNO RINA」の文字。
 ツアー最終日は、彼女のソロ歌唱だった。

 その後、このツアー時の最新アルバムであるエビクラシーのジャケットの撮影中の動画が流れた。
 そこには、背の高い美少女が楽しそうに笑う姿。
 松野莉奈を含む8人のエビ中がそこにいた。メンバーたちは楽しそうに手を繋いでぐるぐると回っていた。そして、8人verのアルバムジャケットが画面に映し出された。(正式にリリースされたのは7人のものだった)

 ツアータイトルの「今、君とここにいる」は、「これからも、君とここにいる」へと変わり、エビ中初めての7人のツアーは終わった。

 会場は心からの暖かい拍手に包まれた。
 突然メンバーを失いながらも全国ツアーを完走したメンバー、スタッフたちに対する深いリスペクト。
 いろいろな権利問題などを乗り越え、粋な計らいをしてくれたスタッフやご両親に対しての感謝。
 大人のような美しい容姿を持ちながら、子どものように甘えん坊で愛嬌があり優しさに溢れている最高のアイドル、松野莉奈への感謝。

 そのすべてが拍手になって会場に溢れていた。

 これほどまでに温かい拍手は私も人生では経験したことがなかった。

 周りを見渡すと、ほとんどの人が泣いていた。いろいろな想いが溢れて、動けなくなっている人が何人もいた。それを誰一人白い目で見ることはなかった。
 会場では、他メンバーを推しているオタクが、松野莉奈推しに「あなたが持ってて欲しい」と、彼女のサイン入り生写真を渡しているという話も聞いた。

 この日、みずっちも会場にいた。

「僕は、泣きすぎて立てなくなりました。普通ライブ終わると、会場から出てくださいってスタッフさんにめっちゃ言われると思うんです。なのに、その時は皆、何か言われていたのかスタッフからは特に何も言われなかったんです。15分か、20分くらいは泣いてました。どういう気持ちで泣いていたのか、よくわからないんですけど・・・」


「そのあと流石にそろそろ出ないと、ということで、ロビーに出ました。当時(熊本地震のための)募金をやっていて、校長(エビ中のチーフマネージャーである藤井ユーイチ氏)が募金箱の前にいたんで、『ありがとうございました』って伝えました」
「相手はなんて言ってたの?」
「本当にありがとう、って言われました」

 エビ中の当時の校長は比較的ファンと距離が近い人であった。特にこの期間、ツアーの募金箱の前に校長がいることが多く、ファンが校長と話す機会が増えていた。
 もちろん、マネージャーが目立つことで嫌がるファンがいたことは否定しないが、それでも、少なくとも私の周りはエビ中の常連の多くはこの校長のことが大好きだった。彼はファンのことをよく覚えてくれていたし、何よりエビ中のことを誰よりもよく考えていたように思えた。

 その彼が発した、「本当にありがとう」という言葉には、様々な含みがあるように思える。 
 彼はおそらくみずっちのことを知っていただろうし、みずっちが松野莉奈推しでありながら、熱心にツアーに通い続けていたことも知っていただろう。
 それどころか、みずっちが心の中で葛藤しながらも、エビ中に通い続けてくれたということも察してくれたとしても不思議ではないように思った。2代目校長の藤井氏にはそう思わせる部分があった。

「結局、ライブ終わってから会場を出るまでに30分ぐらいはかかったんですけど、ずっと友達が待っててくれていたんです。全く美談にするつもりはないんですけど、(松野莉奈の急逝は)起こってはいけない事実だったと思います。でも、ツアーの最終日を見て、ああ、こういう終わり方で本当に良かったなと思ったんです」
「うん、わかるよ」
「会場を出てその後、一緒にツアーを回ったみんなで飲みました。話をしていたら僕が泣いちゃって、結局あの日は全員で泣きましたね。あの映像の話はもちろんなんですけど、このツアーをみんなと回れてよかったって」

 深い沈黙があった。

「すいません・・・、今・・・話してたら泣きそうになってきました」
「いや・・・、俺もだよ」

 既に歩き続けて1時間以上が経っていた。大島の商店街を抜けた私たちは、休憩に団地のはざまにあるサイゼリヤに行くことにした。

日曜日のサイゼリヤ

 サイゼリヤは日曜日の夕方にしては比較的空いていた。すぐに4人席に案内された私たちは、席に座るとQRコードを読み込み、メニューを見て番号を打ち込んだ。ドリンクバーと、一品だけ料理を頼んだ。

「そこからは、ファミえん(夏のライブ)行って、ぁぃぁぃ(出席番号6番廣田あいか)が転校発表して・・・。ツアーが終わったあと、接触には何回か行ってました。主に行ってたのは安本彩花ちゃんと小林歌穂ちゃんですね」
「何枚ぐらい?」
「彩ちゃんが20枚とかで歌穂ちゃんが60枚ぐらいとかですかね」
「結構行くね。どうしてこの二人にしようと思ったの?」
「僕がエビ中に通い続けることができたのは、本当にこの二人のおかげなので、ですかね。すごく救われましたから」
「彩ちゃんはツアーとかで松野さんの話たくさんしてたよね」
「はい、まさにそういうところで救われていました」
「歌穂ちゃんは?」
「EP(EVERYTHING POINT。エビ中のドキュメンタリー映画)で、レッスン中に急に泣き出しちゃうところとか見て・・・」
「それは、(松野莉奈を)思い出しちゃって辛くなって泣いてしまったということなのかな」
「おそらくそうだと思います。当時彼女も高校生だったし、当然、相当辛かったと思いますね」
「そうだよね・・・」
「でも、彼女はそんな姿を全く見せないでステージで笑顔だったのを見て、凄いなって思いました」

 そういえば、こんなツイートがある。

ちなみに絶対に内容はTwitterに上げたりはしませんが、今日小林歌穂ちゃんに全部思ってることを言って、感謝の気持ちを伝えることができました。更にエビ中が大好きになりました。

みずっち(@ume_mizuchi) 2017/11/23 のツイート

「このツイートって、何を伝えたんだろう?覚えてる?」
「あれ、こんなこと書いたっけな。ちょっと確認してみます」
「ありがとう!」

 話は変わるが、実は、私は今日、オンラインお話し会の券を持っていた。彼が確認している間に、私は外でお話し会に行くことにした。

「ごめん、ちょっと外でお話し会に行ってくるね」
「了解です!その時間でちょっとさっきのツイートについて確認してみます!」
「ありがとう!」

 私はコートを席に置いたまま席を立ち、外でオンラインお話し会の準備を始めた。店の外に出て、鉄でできた椅子に座ると、服越しにもその冷たさが伝わってくる。そして、机を触るとベタベタしていた。誰かが酒でもこぼしたのだろう。
 私が準備していたのは、≒JOYの今年最後のオンラインお話し会だ。一年の締めとして、それなりに真面目な話をしようと意気込んでいた。
 年内最終日であり、本シングルのオンラインお話し会の最終日程だからか、普段の3倍くらいの相当な待ち時間があった。かじかむ手を、左右で持ち替えながら待機し、途中、何故か列の最後尾に戻されたりしながらも、結局20分くらいかかって、ついにお話し会が始まった。

 私の推しメン(≒JOYの大西葵)はサンタクロースの衣装を着ていた。

 去年、彼女はこの時期に休養中であり特典会が無かった。「推しメンのいるクリスマス」という言葉を使い、私は幸せだと伝えると彼女は嬉しそうに少し照れていた。年内最後のお話し会としては、しっかり伝えたいことを伝えることができた。幸せなお話し会だった。
 同時に「推しメンのいないクリスマス」という言葉が頭の中に反復され、底知れぬ恐ろしさを感じた。
 思い返せば、仕事の波の問題もあるが、去年は本当にどん底だった。土曜日も日曜日も働いていて、かなり疲れていた。無論、推しメンがいれば何とかなったのかと言われると、必ずしもそうではない。しかし、推しメンのいないオタクというのは、真っ暗な洞窟をたいまつを持たずに歩いているようなものだった。私は今までインタビューした人たちのことを思い出していた。

 お話し会を終えて店内へ戻った。コートも着ないで出て行き、思った以上の時間がかかったので凍えていた。ドリンクバーで暖かいお茶を入れたが、全くティーバッグからお茶が出ず、なかなか色が変わらなかった。

「お待たせしてしまってごめんね。思ったより時間がかかっちゃって、申し訳ない」
「いえ!全然大丈夫ですよ。ちなみにツイートの件、思い出してみたんですけど、別にそんな大したことは言ってなかったと思います。どちらかというと、今まで歌穂ちゃんのおかげでエビ中に通えていたということを伝えただけな気がしますね。Twitterに書かないみたいなのは、内緒話をしたとかじゃなくて純粋に公にするものではないという意味かなと思います」
「なるほどね」

 私は凍えた身体を温めるため、薄いお茶を飲んだ。
「ぁぃぁぃの卒業発表のあとからですよね。そのあと、2018年の1月3日に、武道館で彼女の卒コンがあって、翌日にebichu prideがあったんですよね。ebichu prideは伝説のライブとよく言われていますけど、僕はそこまで高く評価はしてないんですよ」
「そうなんだね。俺はめちゃ好きだなー。正直、全ての音楽ライブで一番感動したライブかも」
「なるほどですね。エビ中のライブはどれも素晴らしいし、ebichu prideももちろんめちゃくちゃ良いライブでしたけど、自分の中のベストはやっぱ2016年の年末の大学芸会、オーシャンズガイドですね。コンセプト、演出、セトリとか、全部のレベルが高いのが2016年の大学芸会なんですよね。もし初めてエビ中を知りたいという人がいたら、この円盤を貸しますよ」


 隣では幼い子供が二人。机に食器を叩きつける音が響いており、父親が注意しても止まらない。なかなか、大変そうだ。

 サイゼリヤに徐々に人が増えてくる。家族によっては少し早い夕食の時間だ。ここに居座って夕食でも良かったが、若干まだ夕食を採るには早かった。

「さて、これからどうしようか・・・。寒いし、銭湯でも行かない?」
「自分はどこでも!」

 検索すると、近くに「松の湯」という銭湯があった。しかもその銭湯の看板は青かった。
「松の湯って名前で看板青いし、なんとなく運命感じるしここに行ってみようよ」
「行きましょうか」

 私たちは再び外に出て、歩き出した。
 サイゼリヤで休んでいるうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。
 Google Mapを頼りに、錦糸町側へ近づいていく。

(後編へ続く)


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