「大空、ビュンと」がSTU48楽曲へのアンサーソングである可能性
別記事「≒JOYの楽曲の歌詞全体についての考察」にて小澤愛実のパート割とラストアイドルの歌詞の関連性があるかも、と書いたが大事なことを忘れていた。
市原愛弓も、そういう意味では忘れてはいけない連続性を帯びている存在である。そこで、彼女が在籍した期間のシングルの、特に表題曲を調べてみたら結構収穫があったので紹介したい。(人によっては今更ですか、と思うかもしれないけれど)
タイトルは「アンサーソングである可能性」とちょっと大げさに書いているが、最後までお読みいただければ、まあ確かにそういう見方もあるかも、と思っていただけるはずである。
地元に残る「僕」と都会へ行く「友」「君」
彼女が(市岡愛弓として)在籍した期間のSTU48のシングル表題曲は3つ。
「暗闇」、「風を待つ」、「大好きな人」
それぞれ、「都会に行った君」と「地元に残る僕」を明確に対比させている楽曲である。
この3曲はすべて共通して、夢を求めて都会へ渡った友人や恋人と、主人公たる自分が地元に残り続ける葛藤を海を絡めて表現している。
その市原愛弓が「大空、ビュンと」でこういうわけである。
言うまでもなく「大空、ビュンと」は夢を追いかけ、故郷を離れ都会へ向かう人が主人公の物語である。
STU48の楽曲では「地元に残り続ける自分・都会に行ってしまう人を見送る側」だった市原愛弓が「都会に行く自分・見送られる側」という、STU48の3楽曲における主人公の真逆の存在になっているわけである。
各フレーズの関連性
そしてもう1つ気が付いたことがある。
明らかに語感が似ていると言えないだろうか。
しかも「大切な人 今日も笑っていて」は市原愛弓のパートである。
反論も考えうる。
確かに、STU48の「大好きな人」はおそらく恋人との別れの歌だと思われる一方、「大空、ビュンと」はMVの影響もあるが、家族のことを指しているようにも思える。
しかし、「大空、ビュンと」では特に「大切な人」が家族であるという明確な根拠は歌詞中には出てこない。よって、「大切な人=家族」説で断定できるほどの情報はない。
あと、こういう反論もあり得る。「大空、ビュンと」の方を「大好きな人」という歌詞にしたほうがわかりやすかったのでは?と。
これはそのとおりだが、一方でこうも言える。
時間軸が違うのだと。
「大好きな人」は、別れ直後で、まだ好き、という状態。一方、「大空、ビュンと」は、別れからしばらくして一定の時間が経っている状態。
「大空、ビュンと」側の主人公からすると、別れはもう過去のことになっているから、「大切な人」になったのだとも言える。
他にも両曲の歌詞には、会話しているかのようなフレーズが存在している。
このフレーズは
「この街出ても ずっと忘れるな」
「大空、ビュンと飛んでも(この街出ても) (中略) ずっと忘れない 約束する」
という会話的な歌詞であるという解釈も可能になる。
そもそも「大空、ビュンと」は家族の歌なのか
MVに引っ張られているが、そもそも「大空、ビュンと」が家族のことを歌った歌ではなく「地元に残り続ける元恋人」への歌だと仮定して聞いてみると、実はこれはこれで結構成り立つ。
長い別れのような表現が歌詞中には散見される(夢が叶ったら帰って来るよ、など)が、すごく現実的なことを言えば、とは言え年末年始は帰ってくるでしょ?とか、LINEとかいくらでもあるし、昔と違って世界中どこでも無料で電話し放題だし、なんて現実的な突っ込みもまあ、あり得る。歌詞の世界だから突っ込むのは野暮ではあるが。
それを仮に、「大好きな人」の主人公たる、「アイドルになるために別れた恋人」だと考えると、これはこれで結構整合性が取れるのである。
この「。」が何を表しているかはっきりとしたことはわからないが、一番考えうるとすれば、。は文章を表していて、この一連のフレーズが「手紙」であるという考え方ができる。
そしてこのフレーズの前には、先程の「会話している風」のフレーズ。
元恋人たる、「大好きな人」の主人公への手紙だという解釈も成り立つのではないか。
あとがき
以上、STU48の3楽曲を中心に「大空、ビュンと」との関連性について考えてみたが、具体的な証拠も特にないし、その通りだと思う!と思う人もいれば、考えすぎじゃないか?という人もいると思う。それぞれの見解を否定するつもりはない。
楽曲解釈というのはそれで良いのだと思う。
ただ、少なくとも私は調べて、気が付いた時、結構感動した。
で、どっちでもいいなら、感動するほうに倒しておこう、というのが私の考えなので、この記事を公開することにする。