前田透「歌壇小見」(「短歌研究」1953年3月号)
先日、国会図書館で「短歌研究」をパラ見(といってもデジタルなのでパラパラという音はしない)していたら、目についた文章の自分用メモ。
前田透「歌壇小見」(「短歌研究」1953年3月号 p.82-85)です。「歌壇小見」は同タイトルでいろんな人が書くタイプの連載。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7889565
歌壇がどーのこーのという内容。これの前に何か書いて「あまり人の悪口を云つてはいけませんよ」と井本農一から言われたらしいことが冒頭に書かれています。新かな正漢字拗音なしという過渡期的表記の文章です。
単行本に収録されているかどうか調べていません。複写で2枚と小さい記事ですので、興味のある人はぜひ読んでみてください。
私が「メモメモ」と思ったのは2ヶ所です。
(1)
1ヶ所目。
歌壇というものがそんなに有難いのか。それならばいつたい歌壇とは何だ。
いうまでもなくそれは精精五十人か百人の短歌作者及び彼らを存在させる機構を引くるめた小社会である。勿論歌よみ及び短歌にいくらかの関心をもつ人々の数は或は何十万という数であるかもしれない。
前田透「歌壇小見」(「短歌研究」1953年3月号)p.82下段
原文は正漢字。新かな表記だが拗音は大きい活字を使用(例えば「っ」ではなく「つ」)。
「へー」と思ったのは「精精五十人か百人の短歌作者及び彼らを存在させる機構を引くるめた小社会」ってところ。
ソースが思い出せないのだけど※、現代歌人協会の設立時(この文章の3年後)に、会員数70人程度を想定していたという(文献が確認できないのでwikiで恐縮ですが、wikiにも発起人62名とあるのでまちがってはいないかと)。
「歌人」と言って50~100人くらいっていう解は、ある程度共有されていた感覚なのだろうか。
(「何十万」がいようとも、この規模のグルーブでやっているというかやらざるを得ないみたいなことがこの後書かれます。)
※もし判明したら追記します。協会の30年史か50年史を見ればもう少し何かわかると思う。
(2)
2ヶ所目。
明治から大正にかけて短歌はいくらかの商品価値をもつた時代があつた。
(中略)
その後は殆ど商品として通用しなくなつたために全く自給自足の閉鎖的な生産関係に置かれるようになり、従てその機構の内部での特定のグループをつくるためにはどうしても限定の行為をせざるを得なくなつたのだ。
前田透「歌壇小見」(「短歌研究」1953年3月号)p.83中段
原文は正漢字。新かな表記だが拗音は大きい活字を使用(例えば「っ」ではなく「つ」)。
これはどのあたりをイメージしているかよくわからなくて「おや?」と思った部分。「特定のグループ」ってのはこの前の引用とこの箇所の間に出てくる話題です。冒頭述べた歌壇ではなく、歌壇的構造を持つグループ体のこと(「グループ体」って今使わないような気もしますが)。
私なんかは、「商品価値をもつた時代」というと『みだれ髪』『一握の砂』といった明治期の歌集が浸透した時期をイメージするのだけど、ここでは「短歌」の話であって「歌集」の話はしていない。「歌集」ではなく、もう少し広い範囲の話をしていると思われる。
「短歌研究」1953年3月号(国会図書館の所蔵情報)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7889565