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今のデジタル作画アニメに何も感じないのは外人の女性を見た時に何も感じないのと似ている・・・と。

昨日、新小岩のつけ麺の有名な「麺屋一燈」の帰り、帰りの総武線の中でふと閃いた事があって・・・

今増えてきている、3DCGは元から話になりませんが、セル画じゃないデジタル作画アニメに何も感じないのは

● 外人の女性を見ても何も感じないのと同じ

・・・なんだと。
手書きじゃないアニメに血の通っていない無機質な偽物に何も感じないのは、自分ら男が外人の女性を見ても造形は綺麗なだけで性的なものも何も感じないのと一緒な感情と似ている・・・と。
日本人の遺伝子が生物的に外人の遺伝子に反応しないように、何も感じない感情と同じ

 綺麗なだけで何も感じない・・・という点ではこれ以上の比喩表現はないのでは?・・・と電車中で気が付きました。

同じようなものでは、「ヨアソビ」だっけかみたいな声を弄っている歌手の歌やボーカロイドみたいな偽物の歌に何も感じないのと一緒ですよね。やはり偽物のような不自然なものには感情が動かないように人間は出来ているんだな・・・とつくづく思いました(・ω・)

 あと前回取り上げた、新小岩の「麺屋一燈」の感想なんですが、
自分ラーメンは元から興味がありませんがつけ麺は昔から研究するほうで、つけ麺は松戸の「とみ田」、竹ノ塚の「和」、草加の「時重」、「ナンバーナイン」、今回の新小岩の「麺屋一燈」・・・と、片っ端から行ってますが、基本的につけ麺ってのはラーメンとは違い

● 麺、スープ、その他付け合せのチャーシュー、卵、海苔・・・全て高次元でないと話にならない

・・・なので、ある程度は一緒のレベルなんですよね。
そのレベルでどの項目が特化しているか・・・それを求めるのは個人。今回の「麺屋一燈」は、自分としては

● 麺、チャーシュー

・・・が他のつけ麺の店より高かったかなと。
いや、確かに卵、海苔は普通だったんですが、
スープは麺の旨さを邪魔しないように意図的に個性を消して作っている感がありましたね。
自分としてはつけ麺の麺は最初に

● 麺をつけ汁に付けなくても普通に食べられるほどか否か?

・・・を確かめる為に蕎麦のように最初麺だけで

「確かめる」

・・・のですが、自分としては麺は一番上でしたね。
やはりスープと麺の関係は、どっちも高すぎるとお互い邪魔になるからどっちかになるんですが、やはりそれを求めるのは個人かなぁ・・・(・ω・)

あとは今行こうと思ってるのはネパール料理屋はそこら中にあるというのに、その中で人から推薦された

戸越銀座のインドカレー屋「ナマステ」と、

麺屋一燈と同じく、つけ麺の始まりと言われるつけ麺「つじ田」にいきますよ・・・と。つじ田は店舗がありすぎてチェーン店化していて不安ですがつけ麺の始まりってことでいっとくかなと。

 しかし去年の10月あたりから自分はラーメンから始まり、食べ物の店にいくケイネンスが普通じゃないなと。昔から気になる店はよくついでにいってましたが、去年から最近は気合いが半端じゃない。

いや、これ書き終わったら今から行こうかしら。

● 2025年3月2日 長尾 亮

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