#私の履歴書 My Profile Story ①
自己紹介を兼ねて私のプロフィールストーリーをまとめました。
※とてつもなく長くなったので4つに分けます。
①HSPとしての多感な幼少期←ココ
②優等生?中高大学時代とはじめての挫折
③仕事と人生の転機となった暗黒期
④結婚&出産!記憶ない怒濤の5年間
👉誕生!溺愛されたHSC(人一倍敏感な子ども)
1986年9月某日。
一級建築士の父と保育士の母の第一子長女として誕生。
両親にとって当時としては珍しい不妊治療の末できた待望の赤ちゃんでした。
可愛がられ蝶よ花よと育てられます。
いつも母の後ろに隠れている内気な性格でした。
何に対してもびくびくと石橋を叩いて壊すタイプ。
HSC(Highly Sensitive Child)人一倍敏感な子どもだったんだと最近気づきました。
今でも強感覚だと思う場面がたくさんあります。(特に嗅覚と触覚)
しかし両親は焦ったり無理強いしたりしませんでした。「この子のペースがあるから。」と辛抱強く見守ってくれました。
そのおかげで、必要以上に委縮することなくマイペースに自己形成できたのだと思います。
年長者に可愛がられる性分は、核家族ではなく祖父をはじめ大家族の中で育ったこと。
また、実業家の祖父のもとには、毎日のように来客があったり、両親とも家に人を招いてわいわいするのが好きだったことが影響しています。
保育園時代から子ども同士で遊ぶよりは大人と会話したがる早熟な子どもでした。
👉小学校入学!学校つまんないから図書室の本を片っ端から読破
保育園育ちの私は小学校入学時、学区内の幼稚園から進学する子がほとんどの中、友達がいませんでした。
学校になかなか馴染めず、1~2年生の時は影の薄い子どもでした。毎日緊張していました。
しかし3年生あたりから頭角を現します。(母談
3年生の担任の先生が上手に盛り立ててくださって、飲み込みが早く、スポーツも得意だった私はクラスでも一目置かれる存在になっていきました。
小学生時代は◎、○、△という成績表の付け方だったと記憶していますが、オール◎以外取ったことありませんでした。
先生や同級生からの信頼も厚く、両親が「誰に似てこんなに優秀なんだろうね~?」と首をかしげるほどでした。
本人は覚えていないのですが勉強が大好きで「参考書を買って」とお願いするほどだったとか。
勉強に対しては苦手意識を持った覚えがありません。むしろ楽しくてしょうがなかった。
自分が母親になって子どもの教育についてあらためて考えるのですが「勉強が好きで、自然と学ぶ姿勢が身についた子どもに育てるにはどうしたらいいのか?」と実母に尋ねたところ、
『遊び感覚でできるようにその子のペースに合わせて上手に環境を与えることが大事』との回答でした。
これまで親に「勉強しなさい!!!」と言われたことは一度もありません。
本をたくさん与えてもらい寝るのも惜しんで読んだり、熱中できることにとことん付き合ってくれました。
蔵書が豊富で、家には少年少女世界の文学全集や各種図鑑、代表的な日本文学書があったと記憶しています。
学校の授業がたるくて(爆)図書室の本を片っ端から借りて授業中に読むという生意気な小学生でした。
また、原体験をたくさんさせてもらいました。
キャンプやスキーなど自然と触れることだったり、ボランティア活動や地域の活動も積極的にやっていました。
これらは人としての感性を高め、物事を探求していく問題解決能力をつけることにつながったと思います。
👉スモールビジネス!?お花屋さん実践する小3
勉強のことは何も言いませんがお金についてはきちんと教えてくれた両親。
お年玉を自分で管理させてもらって、小銭を数えるのが日課な銭ゲバな小学生でした。
1円、5円、10円、50円、100円、500円とそれぞれ分けて缶詰に入れて管理していました。
ビジネスとはなんぞやということを知る由もないですが、ビジネスの第一歩と言える面白いエピソードがあります。
小学生低学年の女の子の夢ってケーキ屋さんとかお花屋さんとかですよね。
小学3年生の私も例にもれずお花屋さんに憧れを持っていました。(花が好きでガーデニングに凝っている母の影響大)
学校が終わって友人と遊んでいるとき、ふと花を売ってみよう!お花屋さんやってみよう!と思いつきました。
家の庭の花や川辺に咲いてるそこらへんの花を摘んできて、かわいい包装紙でラッピング。
道行く人に売る(爆)
1つ10円とか20円とか。
結果、初日に70円の売り上げが立ちました。
近所の文房具屋さんへ行って売り上げをつける台帳まで買って。
店の名前は確か『フラワーエンジェル』(笑)
母は「いいかげんにしなよ~」って呆れていました。
実業家の祖父からはすごく褒められた記憶があります。小学3年生でその発想は立派だぞって。
「大学に進学したら、赤のオープンカー買ってやるぞ」と言ってたイケイケな祖父でした。時代を感じますw
約束を果たすことなく中学生の時に亡くなってしまったけれど、祖父の教えは今でも覚えています。
・開拓者たるもの自信がなくてもとりあえずやってみる
・何が起こるかわからない人生、今を楽しむ
・あの世にはお金は持っていけないから、生きているうちに使う
・世界をみる
・もてなし上手であれ
・豪快に生きる
結局「お花屋さんってすごく大変。」という結論に達し、すぐにやめてしまったけれど。
興味があることをとりあえずやってみよう精神は、この頃からあったみたいです。
変わり者な私を見守ってくれた両親と祖父には感謝しています。
👉可愛すぎる弟の存在と武器としての知性
私には4歳下の弟がいます。
年齢差が4歳あると、上の子は結構な即戦力になるらしく、弟のおむつを替えたりお手伝いを率先してやっていました。
そんな、しっかり者のお姉ちゃんだった私。
大きな大きな悩みがありました。
弟、顔がめっちゃめちゃ可愛いかったんです!!爆
どこへ行ってもちやほや。
当時顔が破壊的可愛くて!今でもイケメンなんですが。
街へ出ればスカウトされまくり。
バレンタインデーは弟にチョコを渡すための行列ができる。
大学生のときキャンパス内にファンクラブができる。
ついこないだも某全国区のテレビ番組に街のイケメンにインタビューしました的な特集で取材される…と数々の武勇伝があります。
姉である私より可愛くて、「性別が逆ならよかったのにね~」って言われるほど。
そんな弟に対して、いまでこそイケメンの自慢の弟なんですが、強いコンプレックスを抱く私。
顔面偏差値って、はっきり言って良ければ良いほど得をします。
見目麗しいってそれだけで価値がある。
一説によると、見た目がいいってことだけで、信用されやすいらしい。
世の中って不公平・・・
なんで私も弟みたいに可愛い顔じゃないんだろうと思っていました。
小学生女児にとっては大きな問題でした。
そんな弟に対してコンプレックスを抱いていた私に対して両親は
「外見だけ磨いていても絶対に幸せにはなれない。知性を磨いてこそ、年取ってから差がつくのだから、常に学ぶことを忘れないように」と言っていました。
私は、「可愛いだけじゃダメなんだ。内面を磨いて、大人のいい女になってやる!」と燃えたのでした。
蛇足ですが、弟がイケメンだったことで世のイケメンに対する免疫がつきました。
ちょっとやそっとの美男子には動じることなく接することができるようになっていったのでした。
後に友人に「イケメンってだけで、喋るの緊張しちゃう~~」と言われて、「え」とびっくりしました。女子はイケメンに対してもじもじしてるの?!そうなの??芸能人レベルの美男子でも胸が高まらず、合コンで鉄板の「好きな芸能人は~?」という質問に「まじでいないんですけど。どうしよう。とりあえず今旬の俳優言っとくか」という可愛げのない私でした。
②優等生?中高大学時代とはじめての挫折
へ続く。