小4女児虐待死といういたましいニュースを耳にして。ひとごとじゃない。自分の出来ることを考える
小4女児が父親から虐待を受けた末に浴室で亡くなって発見されるというニュースが連日のように放送されています。
このニュースを聞くたび、すぐ近くで幼い命がどんな思いをしながら奪われていったかと思うと、胸が苦しくてなりません。
しかし、これはひとごとではありません。日経デュアルの連載記事『児童虐待ひとごとじゃない』を読むと、最近ではこどもの前での夫婦喧嘩も広義の虐待に含められるそうです。復帰したてで余裕がなかった一年目、こどもに手を出したわけではなくとも娘の前で頻繁に激しい夫婦喧嘩を繰り広げていたことも、広義では虐待につながりかねなかった。
復帰したての一年目。夫婦ともに余裕のない日々が続き、こどもの前で喧嘩してはいけないと頭では分かっていても、感情がついていかず、荒れる自分を抑えることが出来ませんでした。
児童虐待に限らず、学校のイジメ、職場でのパワハラも、いじめる側にも余裕がないのではないかと感じます。心が満たされて、余裕に満ちた人が人をいじめたり虐待したりしている姿を私は見たことがありません。
どうして余裕がないのか、満たされないのか、金銭的な事情、社会的背景、核家族化、様々な事情があるのだと思います。
しかし、まずは自分が出来ること。それは挨拶です。
日経デュアルの連載記事『児童虐待ひとごとじゃない』が紹介している記事の中でも特にこの記事。まずは挨拶から始める、シンプルなことですが、挨拶のない職場は、空気が滞り、仕事が個人個人にたこつぼ化していて、ミスが起こりやすいといいます。
まずは家庭、会社、学校、地域社会。おはよう、こんにちは。こんばんは。ここから始めていこうと思います。
声の調子、顔色、態度、様々な兆候をこの挨拶から自分の調子も含めて、よく見ていこうと思います。