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ありがとう おばあちゃん おばあちゃんが蒔いてくれた種が今やっと芽吹いているよ
夏はどうやら思い出が次々と蘇ってくる季節なのかもしれない。
note街でriraさんやそい先生はじめ、いろんなnoterさんの記事を読ませていただくうち、幼かった頃の大切な方々の記憶が一つ、またひとつ蘇ってくる。
父方の祖母は、とても優しくて少女のように笑う人だった。
結核で亡くなった先妻の後添えとして16歳年の離れた祖父に嫁いだ。
孫よりも誰よりも長男である父が可愛くてたまらないようで、40歳近くなるオッサンの父を
「Kちゃん、Kちゃん」
と呼び、父が帰省するたびにきゃっきゃっとはしゃぐ。
その姿は孫の目から見ても、可愛らしく、よっぽど長男を目の中に入れても痛くないほど溺愛して育てたのだということが傍目にも伝わってきた。
少女のようなはにかんだ笑顔。
だけど、口数はさほど多くなくて、どちらかというと聴き役に回ることの多い柔らかな人だった。
グレーの銀髪が素敵で、おしゃれで品のある祖母は、私の誇りだった。
絵手紙が趣味。
書棚には、経済一辺倒だった祖父とは違い、随筆家の佐藤愛子さんのエッセイや三浦綾子さんの小説など、祖父や父が選ばないようなバラエティに富んだラインナップが並んだ。
元気だった祖母が突然亡くなったのは、私が中学2年の夏だった。
胆石のちょっとした手術のはずだった。
医療ミスだったのだろうか。今となっては真相は闇の中だが、手術後、突然病状が悪化し、そのまま昏睡状態に陥った。
誰もが簡単な手術だと思い込んでいた。だから、その急変は衝撃的すぎた。
電話口で付き添っていた母から祖母の急変を知らされた父は、おいおい泣いた。
こんなにも、母親に対する愛情を顕に表現する人がいるんだ。
娘の目から見て、人目も憚らず号泣する父のその態度は、むしろ、愛情深さってこういうことなんだろうな。
その時はそこまで思わなかったけど、胸に迫ってくるものがあった。
その後、一度も意識を取り戻すことなく、2ヶ月後、祖母は逝った。
※※※
私の親族には、誰を見回しても絵が好きな人はいない。
いつの頃からか、絵が大好きで夢中になって絵を描いていると、母が
「おばあちゃんの血ね、きっと」
そう言った。
佐藤愛子さんのエッセイは、その後、ほとんど貪るように読み耽った。
三浦綾子さんの小説も祖母の書棚がきっかけとなり、読んだ。
キリスト教についての知識も、三浦綾子さんの本から知らず知らずのうちに私の中に浸透していたのかもしれない。
昨年、自分の原体験を振り返る幼馴染の死と向き合う際、カトリックだった幼馴染を理解するのにどうしても外せないキリスト教について、知識のない私にとって、三浦綾子さんの小説が入り口をつくってくれていたのかもしれない。
最後にたどり着いた「絵」という自分なりの表現手段も、祖母の影響が大きかったのかもしれない。
そして、どんな時も、淡々と、そして寡黙に、こどもたちを見守り続けてくれた父の愛情深さは、祖母の無償の愛でとにかく愛されて育ったからこそだったのかもしれない。
全部つながっている。
今ここで生かされているのは、月並みだけど、そうして父方の祖父母、母方の祖父母、もっともっと前から先祖代々つないできた命の上にたってあるものなのだ。
そう思うと、胸がいっぱいになる。
ありがとう おばあちゃん おばあちゃんが蒔いてくれた種が今やっと芽吹いているよ。
急に父方の祖母のことが書きたくなり、衝動的に外出先からの帰り道の電車の車内で書いてみました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨