明日から一泊二日、家族旅行のはず
昨年、少し遅めの9月にとった夏休みで家族3人北海道旅行に出かけた。新千歳空港について、札幌に出ようと電車に乗った瞬間、同期から電話が入った。
なんとなく不安を覚えて電話を取ると、「○○ちゃんが今朝亡くなった」。携帯の向こうの泣き声交じりの同期の声で友人の死を知った。
先週お見舞いに行ったばかりだったのに。また来てね、と笑顔で見送ってくれたのに。
お見舞いのゼリーをとっても喜んでくれたから、次は何を買って行こうかな?北海道は美味しいものあるから、美味しいものをお土産に買ってお見舞いに行こうかな。
病気は深刻ではあったけど、その時の様子から、もう少しだけ時間があると思っていた。
混乱しながらも、知らせてくれた同期に「ありがとう。今北海道に着いたところなんだ。通夜葬式の日程が分かったら教えて」。と言って、一旦電話を切った。
ホテルにつき、夫に友人の死を知らせ、通夜と告別式の日程が決まったら、夫と娘を置いてとんぼ返りで戻ると伝えると、夫は、亡くなった人に出来ることはない。家族旅行も大切だからと反対した。
次の日、式場の関係で通夜と告別式の日程が北海道から戻った日に決まったことを知らされた。
友人の「な〜に〜、きよちゃんの家族旅行を私が邪魔する訳ないじゃん」。という茶目っ気たっぷりな笑い声が聞こえる気がした。
一緒に旅行しよう。
気持ちを切り替えて北海道家族旅行を満喫した。その間、なんとなく、私も来年はもしかしたらこの世にいないかもしれないという気持ちがふと頭をよぎった。
ついこの間まで、あんなに元気だった友人が、病気が見つかってほとんど半年も経たないうちに亡くなってしまったのだ。私にも何があるか分からない。
その時に感じた気持ちはその後の身体の不調も相まって、1日も頭から離れたことはない。
明日、大きな災害が起きなければ、娘が熱を出さなければ、夫と私が寝込まなければ、昨年はこれが最後と思った家族旅行に行くことが出来る。
けれど、こういうことなんだな。今日が人生最後かも。この人に会えるのはこれが最後かも。伝えたいことを伝えられるのはこれが最後かも。この一年は、そう思って生きてきた。
娘はしょっちゅう発熱するし、明日も何が起きるかわからない。けれど、あれから一年生き延びたことに感謝して、何が起ころうとも日、一日を大切に生きたい。