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映画「Do the Right Thing」をみて

映画「Do the Right Thing」をみた、公開は1989年。現在、ネットフリックスでみることが出来る。

今、アメリカは「Black lives matter」で揺れている。30年前の映画は今の状況とほぼ同じ世界を見せてくれる。何十年もブルックリンでピザを焼き、黒人の子供の成長を見守り、貧しい者に施しを与えるイタリア人親子の店が黒人に潰される。きっかけは、彼の店に来た大型のラジカセで大音量を流す黒人が警官に警棒で窒息死させられたからだ。最初からみていれば色々な伏線がある。イタリア人の店に黒人の有名人の写真が一枚もないことを理由に店をボイコットしようとする奴、殺された黒人はそれに同調した矢先、イタリア人からラジカセをバットで破壊される。その瞬間から憎しみが死を招き、街を破壊する暴力に発展する。本当は黒人もいい奴、イタリア人もいい奴、でも黒人の死をきっかけにどす黒い憎しみが相手に対する怒りとなり、爆発する。きっかけは警官だったかもしれないしないが、黒人の怒りはイタリア人に向かう。

黒人は自分たち自身の愚かさを嘆き、白人は優越感から彼らを見下す。アメリカにアフリカの人々を連れてきた時点でこの構図はいかんともしがたい。でも不自然なことだ。歴史的に啓蒙や教育がその不自然さを打ち消すことに役立つかもしれないが、人は過去には戻れないし、歴史の中で愚かさを何度も繰り返す。映画の最後にキング牧師やマルコムXの言葉が静かに流れる。今でも誰かがどこかで同じことを口にしている、これをみれば明白だ。

「暴力は憎しみを生み、何も解決しない」と。

この映画が公開された3年後、僕はニューヨークに居た。地下鉄は怖くて夜乗れず、通りで強盗が店に押し込む瞬間も見たことがある。通っていた大学の学食で牛乳を飲んだ時、あまりの酸っぱさに口から吐き出した。文句を言いに行くと大柄な黒人から「今度はちゃんと日付をみながら選ぶんだな」と逆に文句を言われた。台湾人の友人に連れられていった白人の家で、「俺のおじいちゃんはフィリピンでゼロ戦に撃たれた。お前ら日本人は海外で女を買うためだけの旅行があるんだろ」と一方的にまくしたてられ閉口した。極めつけは12月8日、大学の寮で見ず知らずの白人に「パールハーバー」と怒鳴られ、因縁をつけられた。

「おまえも俺も生まれる前のことだろう!」

僕はそう叫ぶのが精一杯だった。

この映画は最後まで何も示唆してくれない。結論もない。ただシーンとシーンの間にスパイク・リーの思いが滲む。薄汚れた白いスーツを着た「市長」と呼ばれる酔っ払いの老人(もちろん黒人)が出てくる。彼は周りの若者から罵られ、最愛の女性からも罵詈雑言を浴びせられるが、その女性になけなしの金で花を買い、車にひかれそうだった黒人の子供をわが身を呈して助け、暴徒たちに「家に帰れ」と空しく声を上げる。

Do the Right Thing

彼のモットーだ。そして、スパイク・リーのメッセージだ。ニューヨークにいたころ、大学に入る前の語学学校のレクリエーションで、今はなきワールドトレードセンター最上階のバーに各国学生総勢50人が酒を飲むために集まった。勘定の段になり、一人ひとりから代金を回収するが、どうしても5ドル合わない。欧州、南米、アジアからの学生たちが解決策もなくひしめき合う中、僕はその5ドルを出した。そうすることがその場で正しいと思ったからだ。翌日、アルゼンチンの生徒に呼び出された。

「なんでお前ら日本人は金で物を解決するのか?」

僕には返す言葉がなかった。正しいと思ったことを非難され、それに反論できない自分に無性に腹が立った。何日も嫌な気持ちで過ごした。数日後、僕は突然フィンランドの女性から食事に誘われた。

「あなたのあの時の行為は素晴らしいわ」

食事の席で彼女にそう言われた時、僕はすべてを確信した。

Do the Right Thing

世の中に正解なんてない。正しいと思う行為を実行するしかない。そしてそれは、それほど悪くないし、今必要なことだろう。


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