DAY1:カウンターのあちら側
駅の高架下。小さな看板がひょいと顔を出す古びたスナックが、今日から私がお世話になるアルバイト先です。
お店では彼氏や旦那さんの存在を隠すというルールなので、自宅と同じ沿線沿いにあるそのスナックへ向かう道中で薬指の指輪を外します。
「あれ。薬指ってこんなに軽かったんだっけ?」などと思い返し、平凡な夫婦生活にもそれなりに重みがあったことを知ります。
この先何年ここに勤務するかは分からないけれど、指輪を外すこの瞬間ばかりはずっと罪悪感を感じ続けるのだろうな。
面接から1週間空けて少しずつ店の感覚が体から抜けつつあったからなのか、新しいことをはじめるとき特有の緊張感からなのか、期待と不安がちょうど同じくらいの質量で混じり合うなか、スナックまで向かいます。
夕方17時。大企業のサラリーマンたちがいそいそと帰路につく頃、私は初めてそこで働く者としてスナックの扉を叩くことになりました。
「お〜!◯◯さん!!!一杯飲んで行きなよ!!」
この店には「いらっしゃいませ」や「こんばんわ」はなく、旧知の友を招き入れるかのように挨拶するのがルールのよう。
面接のときにお会いした常連のTさんが、今日も暖簾をくぐります。
まるで自身の居間かのごとく今宵もアサヒの瓶ビールを1本頼むTさん。ママがこっそりとお店の女の子に「Tさん一杯くださいな、って言いなさい」と指示しているのが聞こえたのか聞こえていないのか、ただただそれがここでは当たり前なのだからといった様子で追加で酒を注文していきます。
今日のお客さんはTさんを含め3人。
Tさんの他は、
バブル期は六本木のクラブでボーイをしていたという建設業のOさんと、自称映像クリエイターで南こうせつのファンだと言うIさん。
いずれも50歳を超えているであろう紳士たちは、それぞれのルールでお店の女の子たちに「ここまでは言ってよし」と確かめるかのように話題をふり、女の子は「ここはしおらしく」「ここは知らないふり」とうまく立ち振る舞いながら会話を楽しみます。
ママはカウンターの左端で、お勘定をし、経費を計算し、使い古したガラケーで地道に集客を重ねる。たまにお客さんと目が合うとニコっと微笑むところが、きっとこの小さな店に客が絶えない理由のひとつなのだろうと思う。
これがこのスナックの日常で、つい先ほどまではあちら側だった、カウンターのこちら側の世界。
バイト代としていただいた数千円はあちら側とこちら側とではその価値が随分と違うようにさえ思えた。
自宅でも職場でもないこの場所で、ほぼ毎日のように挨拶をし酒を交わすのは一体なぜなのだろう。窮屈な日常からの逃避、と一言で片付けるにはあまりにも継続性があるし、きっと何か他に人間の根源的な欲求に呼応する大義名分があるのではないかと勘ぐってしまう。
週に一度、カウンターのこちら側から人と場を観察し、少しずつその居心地の良さのワケを紐解いていけたらと思います。
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