趣味を大切にする人生
育児と仕事の話ばかり書いてましたが、
今日は趣味の話にも触れてみようと思います。
趣味の話のふりして、アラサー独身時代の葛藤も振り返る記事になっております。
(なのでタグがわけわからんことに。笑)
■ 私の趣味
私はピアノを32年、走ることを20年(陸上部時代〜趣味のマラソンまで)続けています。(もはや親しい人がこの経歴を見たら個人情報に値するレベルで、ずっとこれらが好きです。笑)
ほかにも嗜好品的な趣味はたくさんあるけど、
ピアノと走ることはなんだかずーっと続けていて、
ピアノは空気のような、なくてはならない存在で、
走ることは生きてる楽しさを何倍にも増幅させてくれるような、
私にとってそんな存在です。
(どちらも舞台だけ華やかだけどこつこつひとりで反復練習をする必要があるのが共通点。笑)
■ 上記の趣味があってよかったこと
仕事や育児に比べて「努力が結果に反映されやすい」から、日常的に達成感・成長感を得られるという観点でまずよかったな、と思うのと、
一番はやっぱり、趣味を通じて一生ものの仲間ができたことです。
部活を趣味とひとくくりにするにはなんだか抵抗があるくらいには一生懸命部活動に取り組んでいたので部活仲間はおいておいて(言わずもがな部活仲間は一生ものの仲間)社会人になってからできた趣味の仲間たちも私にとってはとてつもなくかけがえのない存在です。
好きなことを一生懸命やってなかったら出会えなかった仲間たちと出会わせてくれた、そんな自分の趣味に感謝をしながら生きております。笑
■ 魔の20代中盤〜後半
しかし趣味を楽しむ中で、意外とハードルはあるもので。
受験や就職でやめてしまう人も多かったり、あとは収入を一度ガクっと下げたときに実感したのは収入やくらしの余裕を失ったら趣味に時間とおかねは割けなくなるということ。
それらは乗り越えて(乗り越え過程は今回のテーマと関係ないので割愛。笑)、社会人になってからもピアノや走ることを続けていたのですが。
26歳当時、結婚もしてなかった私は、激務な仕事をこなしながらも、ある程度稼げるようになった×身軽さで、とにかく趣味をエンジョイしていました。
フルマラソンで記録をのばすことを目標にしつつ、「人生に一度はやってみたい」と思っていた100kmマラソンを走ってみたり、
徹夜に近い状態で仕事をしても舞台立ったらかっこいいんではないか?と思ってピアノの舞台に出続けたり、
仕事仲間だけではなく、趣味の仲間たちとも毎日遅い時間からいろんなお店に飲みに行って、毎週のように近場に旅行に行って、激務におぼれていた割にお金は全然たまらなかったけど、学生時代より少し(だいぶ?笑)リッチな第二の青春のような毎日でした。
年齢的に第一次結婚ラッシュだったこともあり、「あれ、わたしこのままでいいのかな…」将来に結構な不安もあったけど、
それ以上に趣味のランニングで繋がった仲間たちとの毎日が本当に本当に楽しくて(26歳で再会して超気が合ったMちゃんや、部活時代からの友人Aちゃんを通じて出会ったSくんはほんとに毎日やりとりして、月に8回くらい会ってた。笑)、一緒にいて心から笑い合える友人と過ごすことで、世界がキラキラしていました。
が!!!
おもいのほか、その世代での趣味没頭は周囲からの風当たりが割と強くて、当時はそれがかなりめんどくさかったです。笑
■ 趣味を邪魔する雑音たち
大前提、発信者に悪気はなかったんだと思うけど、よく言われたのは、
「遊んでばっかりいないで結婚しないと」(いや、それは相手あってのことだし…わたし今楽しいよ…)
「〇〇ちゃんも子どもうまれたらしいよ!」(おう、それはめでたい、おめでとう、でも、でも、〇〇ちゃんそんなに親しくないからそんなに興味もないけどな…(親しい友人は本人から連絡もらえたしもちろんうれしい。笑))
「独身だと自分のことに時間使えて気楽でいいよねー」(ほんとにいいよねって思ってるならあなたも独身でいたらよかったやんけ)
「仕事と趣味ばっかでお母さん心配してたよ!」by母も知ってる既婚の友人(えっ余計なお世話すぎて、母から直接聞いてるから伝言は大丈夫です)
※カッコ内はわたしの当時の心の声。笑
そんな風に、昭和気質の理想の姿と乖離している当時の私の状況へのトゲトゲを世の中から周囲から何度も押し付けられてたからこそ、青春時代のような不安定な、漠然とした不安な気持ちもうまれ、当時の仲間たちの結束が強くなった気もするけど、時を経てもやっぱりあの雑音はいらなかったなーと思います。なんか不快だったことは今でも覚えています。
あれから約10年、一緒に走ったり飲んだりしてばっかりいた友達たちはそれぞれ、結婚して子どもができてたり、趣味を極めたり広げたり、自由なライフスタイルを活かしながらキャリアの幅を広げてたり、めっちゃ昇進してたりして、
20代の頃のように世間の声を気にすることも減り、みんなそれぞれのライフステージの中で素敵に生きています。
「別に含みがあることを誰かに言われても、好きなことやってるんだから気にしなけりゃいいじゃん」に尽きるんだけど、
どこか昭和世代の正解を信じ続けている親世代に育てられた自分もまた、そこに乗れてないことに引け目がある昭和世代の端くれだったりして、趣味を楽しみ続ける上でそれが結構なハードルになってしまっていた時期がありました。
今思うともったいなかったよな、まあ割と全力で楽しんではいたけど、もっともっとはるかに全力で楽しめばよかったよ、子どもうんでから乳飲み子抱えながら、仕事もしながら趣味を楽しんだり増やしたりするハードル、激高いわ。笑
やりたいからできる限りやるけど。
(それを理解してくれる旦那氏、家族にはとても感謝しています。)
20代の身軽な時に雑音を感じずに楽しめたらなんかもう1、2こくらい挑戦できたのかしらとは思います。
クラシックバレエとかバンドとかやってみたい。
※ちなみに、10年前割と嫌な思いをしたはずなのに、うっかり20代の若者を見ると「結婚は?」とか聞きそうになってる自分がいる…アラフォーになると近場でそういう話がなくて、多分上の世代は、単に若者のそういう話題に飢えてる説が濃厚だと思います。笑
なので、まじで悪気はなく、上記も被害妄想だったと今となっては思うんですどね。
■ この先も、趣味を大切にして生きていく
この先、何年後かは分からないけどいつかは子は巣立つし、
結婚生活が永遠なわけじゃないかもだし笑、
そんなこんなでまた自由な身になるかもだし。
そんなときやってくる自由はきっと「孤独」と隣り合わせで、
それでも好きなことがあればきっと人生は楽しめる。
一方で親の介護もいつから発生するか分からんし、
自分自身が病気になるかもしれないし、
それこそ、あまり想像したくないような社会情勢の悪化が、
そんなこと許してくれなくなる日もくるかもしれない。
どんなに自分が頑張っても、好きなことをできる時間って意外と限られてるかもしれない。
だからこそ、ずっと自分を自分たらしめてくれる、
いつだって楽しくて生きてる実感をくれて、
仲間をつくれる「趣味」は、できるだけ、制約条件が増えても、
自分自身がちょっと無理してでも、大切にできるうちは大切にする人生を送りたいなと思うのでした。
今は、2人目の子どもががうまれる予定の1か月半後にピアノの舞台があるのでそこにちゃんと出るのが目標です笑。
産褥期に舞台はまぁまぁ無茶だけど、これも挑戦!笑
既に一生懸命練習してるので出られなかったら結構悲しいけど、「出られるかな~どうかな~うまれたタイミングによるよな~~」というドキドキわくわくも楽しみながら、舞台に立てたときのために練習期間を楽しもうと思います。
今回は少し昔のモヤモヤを吐き出す記事になってしまいました、不快に思われた方いらしたらゴメンナサイ。笑
20代中盤のいろいろと不安定な時期に、私は趣味があって本当に救われて、たのしくて、人生がキラキラしました。
だから、この記事をもし今、当時の私と近しい状況の方が見てくださっていたら、「たかが趣味」とかは絶対に思わずに、
好きなことと出会えたことと、好きなことができる環境に感謝して、誇りを持って、
大切に大切にしてほしいなって思います。
どんなライフステージにいても、みんなのびのび好きなことをして、
好きなことを見つけられる人生を送れますように。
それを許容する世の中でありますように。