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【長文】”ありがとう”をちゃんと言える大人になりたいね
どうも工藤秀平です。長文マガジンの時間です。
(8月分を追い越して9月分が上がり始めましたが、今月中に8月分もあがっていきますので、楽しみに待っていてください。)
今日はタイトルにある通り
「"ありがとう"をちゃんと言える大人になりたいね」
というありふれた超普通のお話です。
聞き流してもらっても大丈夫でございます。
でも僕、個人的には今だからこそ大事なことだと思っているので、ここに綴っておきたいと思います。
人と人が顔を合わせて会う機会が減った今。
電話や画面越しでのコミュニケーションが増えたこの時代。
「ありがとう」という当たり前の言葉の使い方が、人と人の絆を深めるきっかけになったり、逆に、すれ違いを生んだりするものだなと感じています。
改めて、自分は「ありがとう」とちゃんと人に伝えられているのか、日々、考えなければいけないと思ったりします。
僕のまわりにはこの「ありがとう」を上手に扱える人たちがいます。
そんな人たちに教えてもらうことがたくさんあります。
最近気づいたんですけど、そんな「ありがとう」を上手に扱える人は、「ありがとう」を言わなくてもいい場面で「ありがとう」を使って、さらに相手から「ありがとう」を生み出すことができたりするんですよね。
これは僕の周りの敏腕スタッフのお話なのですが。
先日、僕が何かの書類を作っている時。
その隣で、スタッフも別仕事をしてくれていました。
仕事が終わったタイミングで、僕が「書類づくりおわったー!」と言うと「わー!ありがとうございます!」とスタッフが言ってくれたわけです。
書類を作るのは僕の仕事で、スタッフは別仕事をしているわけで、僕の仕事が終わったからと言って、スタッフが早く帰れるわけでもなければ、仕事が減るわけでもないです。僕の仕事が終わっただけなのです。
その状況で、業務的な「ありがとうございます」でも、先輩後輩の社交辞令的な「ありがとうございます」でもなく、スタッフは心から「ありがとうございます」と思って言ってくれているのです。なんというか、全部を丸ごとひっくるめて「ありがとう」を言ってくれているんですよね。
そのスタッフも一緒に仕事してくれているわけですし、仕事面でいうと同等の立場だし、むしろ僕が「僕のチームのためにありがとう」と言わないといけないと思います。
だから僕は「いや、こっちがありがとうって言うところね!ありがとう!」と言うんですけど、わりと、毎回のようにスタッフはそんな「ありがとう」をプレゼントしてくれるのです。
そんなスタッフたちに囲まれていると僕は、「こういう素敵な"ありがとう"で溢れる世界だったらいいのになー」と、思ったりします。
できればこんな風に、みんながみんな、強がらないで、意地を張らないで、意地悪しないで、自分勝手にならないで、照れないで、素直になって「ありがとう」といつも言い合えたら、どんなに毎日が明るくなるだろうと思います。
でも、人は"気づきづらい生き物"なのです。
誰かがしてくれたこと、言ってくれたことに対して、
「そうなんだ!」「了解!」「おっけい!」
で、済ませてしまうことが結構あるわけです。
もっと悪い場合は
「まじか…」「もっと早く言ってよ…」「なんで…?」
してくれたこと、言ってくれたことに対して、
感謝するどころか、マイナスのリアクションを取ってしまうこともあるのです。
これは、意地悪でやっているわけではなく無意識なのです。
その前後の見えないストーリーを想像できていない時に起きることが多いです。
こういう反応は基本的に、故意的にやっていないことがほとんどなので、言われた相手は傷ついて、言った本人は気づかないことが多いです。
そうして生まれた「小さなズレ」を放置していると、どんどんズレが広がって、揉め事を起こしたり、信頼関係を崩したり、溜め込んだせいで、ある時小さなことで爆発してしまったり、最悪の場合、別れを選ばなければいけなくなったりします。
だから、意識的に、相手に対して気づくこと。想像すること。知ることって、とても大切だと思います。
でもですね。
そんなズレが起きても、なんとかなってしまうことがあるんです。
そう、この世界には「ありがとう」と言われなくても
「我慢できてしまう人」
「気にならない人」
という奇跡が生んだ、スーパーマンがいます。
そういう人が「ありがとう」のない空気を「中和」してくれて、意外と世界を回していたりします。
そういう人がチームを上手に回すアシストをしていたりするわけです。
だからそういうズレが大問題にならなかったりします。
でも忘れてはいけません。
"そういう人がいるから"なのです。
そんな"スーパーマン"たちもちゃんと傷ついたり悩んだりします。
だけどスーパーマンたちは「あの人は私に「ありがとう」と言わないから私も言わない。」なんて思いません。見返りを求めた行動は基本的にしないです。
そう、こういう人たちは…
「ありがとう」という言葉が言われる数じゃなくて、言った数だけ、しあわせになれることを知っているのかもしれません。
そして、人に「ありがとう」と言われなくても、「ありがとう」を自分からどんどん発信していって、人をしあわせにして、自分もしあわせになって、物事をどんどん解決させてくれていたりします。
そんな"スーパーマン"がいるのです。
もしかしたらあなたもそうじゃないですか?
「そうです!」と言い切れなかったとしても、そうなりたいと思ったことはないですか?
たぶんそうなりたい人がほとんどのはずなんです。
僕も、そうなりたい人です。
でも、できないことがあるのです。
できないことがあって、当たり前なのです。
「なぜできないのだろう?」と思った時に、僕は気づいたわけです。
「ありがとう」と言うことは、とても難しい。
ということに。
「何かをしてもらったらちゃんと"ありがとう"と言いなさい」
と、僕らは、子供の頃に教わります。
ごはんの食べ方、眠り方、トイレの仕方、歯磨きの仕方、お風呂の入り方と同じように教わります。
何度も何度も叱られて、教えてもらうはずです。学校でも家でもどこでもです。
では、ごはんの食べ方、眠り方、トイレの仕方、歯磨きの仕方、お風呂の入り方がわからないという人はいますか?
ほとんどできるはずです。もちろんお風呂入るのめんどくさいなとかは置いておいて笑
「ありがとう」も、その中で教わりました。
でも、大人になっても言えない人がほとんどなのです。
そういうことです。
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