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人生で一番悔しかった日

受験シーズンも佳境を迎えたことだろうから、私の大学受験の話でもしてみようかと思う。

私は大学に進学することを高校3年の夏に決めた。
それまでは専門学校へ進むことを考えていたので、勉強なんて学校のテストを乗り切る時くらいしかしなかった。

しかも、妙にプライドが高い私は、「せっかく大学に行くなら」と偏差値が高い大学の倍率が高い学科を志望校に据えた。
そんなの、私の学力では明らかに高望みだった。

とはいえ、小・中学と友人が少なく、勉強と読書とお絵描きがお友達で過ごしてきた私にとって、勉強すること自体は苦ではなかった。
だから大学進学を決めてからはとにかく勉強した。個別指導塾に通い、通学時間も休み時間も放課後も休日も、とにかく勉強していた。
受験科目だった英語・現国・古典・日本史の成績は、あっという間に学年でトップクラスになった。

曽祖父の訃報を受けたのも塾の自習室だったと思う。この時はさすがに勉強を切り上げて曽祖父のもとへ駆けつけたが、受験のことで手一杯だったからか、さほどショックを受けなかった。
今思えば、曽祖父は曾孫の私をとことん可愛がってくれた。いつでも絵が描けるようにカレンダーの裏紙をきちんと残しておいてくれて、みかんが食べたいと言えば皮だけじゃなく果実の薄皮まで剥き取ってくれたほどだ。
本来ならもっと悲しいとか悔しいとか寂しいとか、いろんな感情を抱くはずだったのに。
受験のプレッシャーはそれらすべてを押し潰してしまった。

当時の私を見ていた友人はのちに「ちょっと怖かったな」と苦笑した。
よっぽどピリピリしていたのだと思う。
確かに模試はいつもC判定だった。
いくら勉強しても達成感がなくて、受かる見込みすら見えなくて、常に焦って常にイライラしていた。

ちなみに私はセンター試験(大学入学共通テスト)を受けていない。
理由は単に対策をする余裕がなかったからだ。
志望校と滑り止め校の一般入試対策で手一杯だった。
そのくらい無計画で、そのくらい無謀な受験に挑んでいた。

結果的に、合計7校受けたうち、受かったのはたったの2校。
1つは対策すらしなかった滑り止め校で、もう1つは補欠合格という、入学辞退者が出た場合の補充要員としての合格だった。つまり、欠員が出なければ入学できない。
しかも、そこも第一志望の大学ではなかった。

納得できなかった私は、両親や塾講師の反対を押し切り、浪人しようと決めた。
予備校を見て回り、友人に浪人すると告げ、卒業式が近づいた頃、一通の知らせが届いた。

あの大学からだった。

『合格通知』

補欠だった私は、無事、繰上げ合格となっていた。
突然に進学先が出来てしまった。周りの大人たちは諸手を挙げて喜んでいた。
塾講師からは仮面浪人を勧められた。

悩んだ。
その大学は学歴で勝負するには弱かった。
悩んだ。
浪人したからといって第一志望に合格できる保証はない。
悩んだ。
友人には浪人すると言ってしまった。
悩んだ。
その友人に怖がられるほど本気でやった結果がこれだ。
悩んだ。
この妙なプライドをぶち壊さなくてはいけない。

入学書類の提出期限が差し迫ったある日。

私は、両親と妹の前で、これでもかというくらいに泣いた。
こんなに泣いたのは人生で初めてだった。
母の胸を借りて、「第一志望にどうしても行きたかった。悔しい、悔しい、悔しい!」と、とにかく泣き喚いた。
これを書きながらまた泣いているから、よっぽど悔しかったし、その気持ちは大学を卒業して数年経ってもなお忘れられないものみたいだ。

私は、補欠合格した大学に進学することを決めた。

はじめは仮面浪人するつもりだったのだが、友人ができ、サークルに入り、好きな教授を見つけて、好きなことを学ぶうちに、それもだんだんどうでもよくなっていった。
学ぶ場は違えども希望していた学科で勉強していたし、3年時の夏休みには大学のプログラムを通じて1か月もカリフォルニアに行かせてもらった。
そして気付けば、大学生活4年間を大満喫し、晴れて卒業していたのだった。

さて、私の受験の話はこんなところである。

私の進学先は望んだところではなかった。
けれどそれが第一志望であろうとなかろうと、受験という大勝負に挑んだ事実は同じ。そして合格したということは、相応の努力だけではなく何かの縁もあったに違いないと感じている。
でなければ、新年の挨拶を交わした友人と出会うことはなかったし、そもそも真っ当な大学生になれていたかどうかも分からない。あそこで浪人を選んでいたら、高卒で終わっていた可能性だってある。

学歴という言葉はいまだに蔓延っていると思う。
そして、その言葉のプレッシャーに押し潰されそうな学生も多くいるはずだ。

でも、そのプレッシャーに気圧されて見誤らないで欲しい。

どこで学んでも、どこで遊んでも、その方法や過程次第で結果は変わる。
望んだ場所じゃなくても望み通りに過ごすことはできるし、望んだ場所でも上手くいかないことは往々にしてある。

名前だけ手に入れてもただの飾りだ。

身も心もボロボロになって切り開いた道があるなら、さらに険しい道のりを選ばずに、平坦なその道を選んで身体を癒してみてはどうだろうか。

そうすれば、飾るだけじゃない経験や実績、そして絆を手に入れることが出来るかもしれない。

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