ネイルが教えてくれた母のこと
あるとき、母にネイルを施してあげる機会があった。
「お願いします」
お互いにたどたどしく言葉を交わす。
母は右と左どちらからやろうかなんて迷いながら右手をさし出してきた。
子供のころはためらいなく握りしめたその手に恐るおそる触れる。
いつの間にか、私の方が指が長くて手のひらは大きくなっていた。
母の手は荒れてざらざらしていて、関節はヘバーデン結節という骨が膨らんでしまう病気で腫れていた。いつか「指を曲げると痛いのよね。つらくって」と言っていたのを覚えている。
意を決してその手を握り、まずエメリーボード(爪やすり)で形を整える。爪も手と同じで荒れていて筋ばってざらざらしていた。
爪先がきれいな三日月形をえがき、甘皮を処理し終えると、ついにベースジェルを塗り始める。
母はお笑い番組を見ながらも私の手元に目をやってニコニコしていた。その様子を横目に見て、私はどんどん緊張していく。
話すことはなにも思いつかなかった。
「ジェルネイルキットを買ってあげようか」
ある日、母が言った。
私がなにか習い事をしたいという話をしているときだった。
ヨガ教室、絵画教室、料理教室、、、と候補を羅列していく中で、ネイルアートという言葉に母の表情が変わった。
「本当はまたネイルをしたいんだけど、サロンに行く時間がないのよね。手もこんなだし。あなたがやってくれたらとても助かるんだけど」
私は3週間に1度ほどのペースでネイルサロンに通っていた。
施術を受ける中で、うかつにも「自分でもできそう」なんて思ってしまっていたから、母のこの言葉はそのうかつさを確信に変えるには十分だった。
そうして、母と一緒に吟味したスターターキットとカラージェルを数本買ってもらうことになった。
「本当にネイルサロンみたいね!」
ジェルネイルを硬化するためのライトに手を入れながら母は笑った。
ぽかぽかと心と体が熱くなる。いつの間にか、ドキドキの緊張はワクワクの嬉しさに変わっていた。
ロイヤルミルクティー色のカラージェルを2度塗りする。
「きれいな色だね!」
母と私は顔を見合わせた。
「すごいね」
「きれいにできるものだね」
「買ってよかったね」
お互いに少なかった口数がどんどんあふれていく。
1万円ちょっとのジェルネイルキットが母との時間を豊かにしてくれた。
ついにトップジェルを塗り終えてネイルオイルで保湿をする。
でこぼこでざらざらだった母の手に、宝石のような輝きがまたたいた。
素人の私でも母の爪をつやつやできれいにしてあげることができた。
そんな達成感に自然と顔がほころんでいた。
母は自分の指先をうっとりと見つめると
「ねえ、お父さん見て!こぬがネイルをやってくれたのよ」
と父に見せつけに行った。
大人になると家族とじかに触れ合う機会がぐっと減る。
実家で暮らしている私でさえそう感じるのだから、一人暮らしをしている人はなおさらだろう。
だけど、大人になると触れないと気づかないことは増える。
気持ちをごまかすことを覚えてしまうし、人間みなこうあって当然という思い込みが定着してしまう。
私の手は指が長くて爪が薄くて皮膚はさらさらしている。だから人の手なんてみんなこんなものだろうと思っていた。
ところが、握りしめた母の手は指が腫れていて爪が厚くて皮膚はざらざらだった。間違いなくそれは、仕事をして、家事をして、子育てをして、歳月を積み重ねてきた手だった。
ショートカットで、カジュアルな服が好きで、化粧っ気がない母だけど、やっぱりいつまでも女性なのだ。妻であり、母であり、ひとりの女性なのだ。
女性でありたかったのだ。
「ジェルネイルキットを買ってあげようか」
この言葉は私を後押しするためではなく、母自身が女性である自分を取り戻すための言葉だったのかもしれない。
お母さん、またいつでも美しい女性にするからね。
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