KKL 20210623研究室会議レポート
門脇研をのりこなす
6月23日の研究室レポートを担当します。M2の村上です。
この記事は研究室会議レポートという形を取っていますが、門脇研には会議の議事録は別に存在するので、むしろ構成員の普段考えていることを吐露する場として運用しているわけです。
先日、
先日、ネット上で公開されていたとある大学院説明会をのぞいていた時のこと、ある建築家が「(スタジオ制と比較して)研究室制というのは、その構造的に先生の縮小再生産を促すもので...(意訳)」と仰っていた所をたまたま拝見しました。
少し胸の痛む発言でしたが、心当たりも少なからずあり、個人的にはそうならないために学生側が努力すべきだなと襟を正す契機となりました。
門脇研の運営ルールの端々で「先生と生徒が対等であること」が大変重要視されているのは、上記の理由によるものかと思いますが、最近はこの課題を乗り越えるカギとなるもう一つの門脇研の学びの特徴が現れていると感じることがあります。
手厚さの危うさ
この日の研究室会議も13時30~18時すぎごろまで行われていました。昨年は長い時で19時を過ぎてもまだ発表してるなんてこともザラで、ほかの大学と比べてもかなり長丁場な印象があります。
この時間をつかって、プロジェクトの発表や個人の発表に対して同期・先輩・先生からいろいろコメントや議論を交わしているのですが、おせっかいな先輩も多く、つい後輩の卒業設計にあーでもないこーでもないと自分事のようにアイデアを投げかけていきます。
このおせっかいもおそらく門脇研の特徴の1つで、自分ではたどり着けなかった気づきを研究室会議の場で拾いに行くような感覚が僕にはあります。
このような手厚い福利厚生は長所でもある一方、ある危うさも抱えています。つまりこのもてなしに無抵抗に流されるうち、単に先輩や先生の頭の中の考えを検証するコマへとなり下がってしまう危うさです。
具体的な検証
これを乗り越える学びの姿勢として重要なのが、「具体的な検証」にあると考えます。
例えば制作ではB4は必ず1分の1で家具スケールの制作を行います。
素人が施工するので大がかりな物はつくれませんが、それでも具体の材料と向き合って制作を行うので、規模は小さくても今までとは桁違いの情報量と対峙することになります。
これは時に自分や先輩の認知限界を超え、制作前までは思いもよらないような問題を発見する機会を得ることができます。これは先日大柳さんが指摘した
「自分の限界を書き換える」という話にもつながりますが、制作を通して具体的な材料や空間と向き合う経験は「自分にしかたどり着けない気づき」と出会う非常に重要な機会となっているように感じます。
また、これは制作に限らず卒業設計や個人研究にも通ずる考えです。
昨年「卒業設計は服を作ります!」と高らかに宣言した杉野くんは、前期からずっと服を作りながら卒業設計を進めていたわけですが、彼の発表はずっと具体的でオリジナルなものでした。それはもちろん先輩の認知限界を優に超えるため、既存の知識をもとにコメントすることができず、彼の具体的な検証をもとに研究室一同、1から頭をひねらざるを得なかったわけです。
この日の発表では富士山を扱った卒業設計で「富岳36景」で描かれている風景と同じ場所に行って写真に収めてきたという発表がありました。
非常に具体的でオリジナルな発表だったので、考えもみなかったアイデアがたくさん交換されていました。
門脇研に溺れることなく乗りこなすためには、自分自身のみならず議論を交わす先輩や先生の限界をも書き換えるような「具体的な検証」が一つのカギとなるのではないかな、、と最近の発表を聞いていて思いました。。(自戒をこめて。)