中年の危機とロシアの絶望🪆
チェーホフの戯曲の多く特に『ワーニャ伯父さん』は中年の危機を題材にしています。
ソーニャは以下のようにワーニャ伯父さんを慰めます。
「ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。
長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。
運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。
安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。
そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう」
『三人姉妹』では、次女のマーシャがつぶやきます。
「私思うんだけれど、人間は何かを信じているか、何か信じるものがなくてはならないのじゃないかしら。
そうじゃないと、生きてるなんて空虚だわ……。
なんのために鶴は飛んでいくのか、なんのために子供が生まれてくるのか、なんのために空に星があるのか──生きていても、それが分からないんじゃ……。
大事なのはなんのために生きてるのか、それを知ること。
そうでなければ、なにもかも、どうでもいい塵介とおんなじよ」
どちらも「間」の後のつぶやきに近い表現で、チェーホフ独特な手法といえます。
ヨーロッパの最果ての極寒のロシアは、ヨーロッパへの誇りと憧れがあります。
モスクワなどの都市ならまだしも、それ以外なら圧政と貧しさと寒さで、歳を取ったら太って、貧困と病に苦しむ人が多くなります。
特にチェーホフの生きた19世紀のロシアは、圧政が酷く一家に一人は、シベリアの刑務所送りで、人生を大きな苦悩の中で過ごす人が多くいました。
絶望感こそが19世紀ロシア文学の最大の特徴の一つですが、この絶望感は、多かれ少なかれ、すべての人に共有なものだと思います。
これこそが19世紀ロシア文学が愛される最大の理由の一つなのでしょう。