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葬送、それと礼拝

祖父が死んだ。孤独死だったらしい。
元々持病があったのは知っていたが、それ自体は快方に向かっていたらしいし、司法解剖をしてみてもあんまり分からなかったという。
私は別に祖父とそんなに親しかったと言われたらそうでも無いし、何なら考え方が理解出来なかくて苦手だった。タバコ臭かったし。
でも身内の死というものを経験するのが初めてだったのでわりかしショックだった。ただそれも「祖父が死んだ」というより「知ってる人が死んだ」という方が正しかったのだと思う。

葬式の時、私は全く泣かなかった。
なのに、私の両親や、私も見たことないような、ここ数年全く祖父を訪ねて来なかったような人間がボロボロ泣いていて、何となく疎外感を感じて嫌になった。父は祖父のことあんなに嫌っていたのに、馬鹿みたい、なんて思う自分がまた嫌だった。
「生きてるみたい、もう目を覚ましそうね」と、祖父の遺体の顔を見た母が言った。祖父はうつ伏せで死んでいたので死化粧が濃く施されていた。それもあってか、私にはどうにも生きてるなんて見えなかった。見るからに冷たくて怖かった。
葬場から火葬場に向かう途中に、コンクールの結果が帰ってきたことに気づいた。何となく分かってはいたけど結果は最悪で、すぐに涙が止まらなくなった。結局私は私にしか興味が無かったのかもしれない。

火葬場の匂いは嫌いだ。
外の土の匂いと、中の知らない匂いですぐに気持ち悪くなった。火葬場の待合室で昼食を摂ったが、ちっとも食べる気にならなかった。
喪主の父が、火葬の点火ボタンを押すようになっているらしい。残酷なのかそうでないのかよく分からなかった。
骨は思ったよりよく残っていた。ポロポロ落ちるものだと思っていたが案外そうでも無くて、すぐに骨壷はいっぱいになった。ただの骨になってしまった祖父は私が抱えた。
火葬場の匂いはまだ私の鼻に残っている。

初七日もその日に済ませてしまった。和尚さんがお寺に戻ってくるのが遅くて、ひたすら外で寒かった。焼香で軽く火傷をした。馬鹿みたいだ。

なんだか呆気なかった。人生100年時代なんて言うこの時代にしては早すぎる死だった。
正月以降祖父には会っていなくて、祖父の顔はもう覚えていない。もう思い出すこともない。祖父はカルシウムの塊になってしまった。
祖父がいなくなったとて、例えば隣の席の女の子に何かある訳でも無いし、前の席の女の子が泣いたりなんてしない。そして葬式のときにすすり泣いていた名前も知らないあのおばさんもきっと、もう今日は自分の生活で必死なのだ。そして私の漠然とした希死念慮が消えるなんてことも無い。
人は例外無くその日を迎える訳で、たまたま祖父はそれがあの日だっただけなのだ。だから私は明日から学校に行くし、友達と遊ぶ。犬を撫でて、近所のおばさんと話をする。人1人死んだとて、日常は続くだけなのだ。そう割り切れるのは、もしかしたら私が祖父を好いていなかったからなのかもしれないけれど。

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