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日記を書くのは、宮崎駿みたいであり、人生みたいなもの

 昨日と今日、久しぶりに知人とご飯を一緒に食べる。色々な話ができて楽しかった。自分で自分を満たす事が大事とよく言われますよね。しかし、感覚としては、自分で自分を満たせるのは95%まで。残りの5%は、他者との交流が必要なんだと思います。透明人間になったら誰にも反応されず死にたくなるという説があるように。なので、自分で自分を満たしつつ他者との交流を大事にしたい。

 しまった。前回といい、今といい『役立ちそうなこと』を書いてしまった。そういうことは、ここでは書かないと決めたのに。仕方ない。Xで有益なことを書こう書こうと執念のように取り組んできた結果、息をするように『役立つこと』をついつい書いてしまう。『役立つの呼吸』をいつの間にか会得。無意識にそれが発動してしまってるようだ。いろんな意味で暖かく見守って欲しい。
 こんにちは☀
 それでは 今日も日記を書いて行きます。

 最近、日記を毎日書いている。好きな作家さんのワークショップがキッカケだ。それを note にアップしている。で、思ったことがある。日記を書く作業は、宮崎駿みたいだ。ってことを。

 宮崎駿監督は、映画の製作開始時にストーリーがハッキリと決まっておらず、製作を進めながらストーリーが決まっていくというスタイルらしい。テレビ番組の特集で言っていた。そんなので大丈夫なの?!と思いますよね。
 
 でも確かにその方が合理的と思う節がある。日記を書こうと、最初にすべての構成から考えて書き進めようとしたことがある。しかし、それは難しかった。で、やり方を変えてみた。とりあえず、思ったことを1つ書いてみる。すると次に書きたいことが出てきて、書き足していける。一歩踏み出すからこそ、次の一歩が見えてくる感じだ。つまり、始めから、最初から最後までをハッキリと見通すことはできないのだ。これは、さながら宮崎駿監督の映画製作と一緒だと思った。

 また、人生も一緒だと思った。中学生くらいからオジサンになるこれまで、何度も自分の人生の行く末を考えた。その場その場では、確かに自分で決断をしてきたつもりだ。しかし、自分が思った通りの展開にはなっていないことがほとんどだ。今から5年前の自分は、今の生活を全く想像できてなかった。皆さんはどうでしょうか?

 日記を書く行為が、ジブリ映画の製作と一緒。人生と一緒。それは、なんだかスゴイですね。不思議と日記を書くという行為が随分と高尚なモノに感じます。というわけで、ジブリ映画の監督気取りの ニート生活 7ヶ月と24日目でした。

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