15年ぶりに盈進学園 東野高等学校を訪問して感じたあれこれ
概要
15年ぶりに訪れた、クリストファー・アレグザンダーの関わった最大建築である盈進学園 東野高等学校は、その形を少しづつ変えながらも、その魅力を今も提示していた。特に気になった「池」を中心に、アレグザンダーが目指した深い感情に基づくセンタリングプロセス(構造保全変容)についての思いをしたためた。
15年ぶりの東野高校
AsianPLoP2024のツアーで、15年ぶりに盈進学園 東野高等学校(盈進キャンパス)を訪問した。前回訪れたのは2009年なので、約15年ぶりとなる。
2009年に訪問した時のアルバムは、英語のキャプションをつけてから、何度も外国の方からの問い合わせが来ている。それだけ世界的に関心を集めているのだろう(2009年の写真↓)
2009年は主に建物を中心に観察したが、今回は前回との差分やより詳細な部分に着目しようと試みた。
全体的なキャンパスの感想や逸話については、当日一緒に見学した川口さんの訪問記が詳しいのでそちらを見て欲しい。
全く記憶のないキャンパスまでの道
前回来た時も入間市駅からバスで移動したはずだが、バス停からキャンパスまでの道を全く覚えていなかった。
バス停を降りて歩いている最中に、遠くの高台にキャンパスの特徴的な建物が見えてきた。
もしかすると、キャンパス周辺の環境も15年前とは、ガラッと変わってしまったのかも知れない。
キャンパスの変化
2009年に訪れた時の地図と、2024年訪問時の地図を並べて比較してみる。(上:2009年、下:2024年)
キャンパスで大きな変化があったのは、職員室の横にStudy House 21という建物ができたこと、食堂がコロナの影響でなくなってしまい、FVB(Future View Base )という自習施設に変わったことだ。
正門前の広場が砂利敷から、インターロッキングブロックに変わっていた。その他細かいところが変わっている。(下は2009年当時の砂利敷だった頃の広場)
学生の屈託感のなさは建物のせい?
今回の訪問でまず最初に驚いたのは、学生たちの振る舞いだ。
教室から興味津々でこちらを覗く若者、階から手を振る若者、外国からの訪問者に、積極的に話す若者の姿。
彼らの屈託のない笑顔は元々からなのだろうか?それともこの学び舎だからこそなのだろうか?
限られた数の学生に接しただけだが、出会った学生の笑顔が、とても印象に残った。
その笑顔は、『逝しき世の面影』に出てくる、外国人が、江戸時代の日本人にであったときの感想を思い起こさせた。
常識を超えたニーズをどう表出化させるか?
教室は2階建ての独立した建物。教室に通う=自分たちの家に通うという感覚。
教室は、2面採光でとても明るかった。2009年当時木枠で作られた窓は、現在はアルミサッシに変わっていた。
大きな一枚ガラスは避け、格子になっているのは、『パタン・ランゲージ』の 239. 小割りの窓ガラス を使っているためだ。
教室の横に、先生の個室が隣接されていた。教室の奥に、ちょっとした生徒がくつろげる空間があった。こんな教室は見たことがない。
「学校とはこういうものだ、教室とはこういうものだ」という常識という思考の枠は、人を無意識に、枠の中に閉じ込める。
「こんなことを言ったらおかしいかもしれない」「こんな事を言ったら変に思われてしまう」そうやって、人は内側からでてくる素直な言葉を無意識に自分の内に閉じ込めてしまう。
常識であるかではなく自分が心から望むものが何かに注意を払い表現する。
表面的な不快を快にするのではなく自分が心から望むものを実現する。
たとえ人々が自覚していなくても、アレグザンダーがまとめた253のパタン集が、無意識に望むものを、自覚させてくれる。
そうやって、人々の深い感情とつながって出来たのが盈進キャンパスなのだと、教室をみていて感じた。
弱まってる?センターの池
盈進キャンパスのシンボルである池、実は、自分的にはこの池が一番、生命を感じなかった。
コンクリートで固められた岸、ブロックの壁、水草が見えない岸、堆積したままの枯れ葉、大きな鯉だけで、小さな魚が見えない、里山でみかける、残念なため池のようだった。
僕は毎年、絶滅危惧種の水生昆虫を探すために、地図を見ながら、自然度あふれるため池を探している。
自宅の庭や休耕田を、湿地ビオトープにもしている。多様な生物が住まう水辺こそが、生命あふれる池だと実感している。
そういう観点から見ると、外来種の錦鯉が泳ぎ、水草もなく、コンクリートで固められた岸を見ると死んでいるように感じてしまう。(冬だから水草が枯れて見えなかったのかも知れない)
中埜博さんの話によると、元々この池は、自然の池のように作りたかったが、工事の関係で、コンクリートを使ったプールのようになったそうだ。
それでもなお、池はキャンパスのシンボルであり、ボートを浮かべ、周囲に人が集まり、お祭りの時には、地元の人が釣りを楽しみにし、教室、体育館から水を眺める。明らかにキャンパスのセンターであり、憩いの場所であることは間違いない。
「池がいきいきしてないなぁ」この感覚は、自分の生き物好きがゆえの違和感なのだろうか?
生徒も感じていた池の生命の質低下
体育館を見学しようとした時に、3人の女子学生が通り過ぎた。
「外国の人が来てるけど、声かけてみる?」と声を掛けると、「えー、いくいく」と彼女たち。物怖じしない好奇心に、誘った自分も驚いた。
体育館に入ってきた彼女たちに、見学者たちはキャンパスライフの感想を質問しはじめた。
「盈進キャンパスの設計に関わった方」がいるよ、と紹介すると、彼女たちは、逆に中埜博さんに、真っ先にこう問いかけた。
「なんで、池を作ったんですか?」
話を聞くと、キャンパスのセンターであるこの池を、彼女たちは、悪臭がする、汚い池と認知していたようだ。だから「なんで作ったのだろう?」と疑問に思ったのかもしれない。
池は多くの人に愛されてきてはいるが、課題は存在していて、人によっては存在自体に疑問を持っている、そんな状況が垣間見えた。
自分だけが、感じていたのではなかった。やはり、池の生命は弱まっているかもしれない。
キャンパスに池がある意味〜盈進キャンパスのパタン・ランゲージ
調べてみると、何年前から、池の水の浄化は課題として認知されており、学校としても、取り組んでいる。
ただ手をこまねいてみているわけではなく、池をなんとかしたい、とする動きがあるようだ。
学生たちは「なんで作ったの?」と疑問に思うかも知れないが、元々、池がなぜここに生まれたのかを考えてみたい。
『The Battle for the Life and Beauty of the Earth』に、盈進キャンパスのパタン・ランゲージが掲載されているので池に関するものを参照してみた。
池があることも、芝生があることも、鯉がいることも、雨水を溜めて池にすることもすべてパタン・ランゲージの中で語られていた。
アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』には、253の建築・まちづくりに関するパタンが紹介されているが、水辺に関する3つのパタンが載っている。
24 水への接近(水辺の保全と適切な利用)
64 池と小川(池や小川を保全し、眺めたり楽しめたりする)
71 泳げる水(徐々に深くなる浅瀬をつくり泳げるようにする)
『パタン・ランゲージ』の「64 池と小川」では次のように述べられている。
人と水は切り離せない存在なのに、都市では水辺が残される余地はない。危険だからといって池や沼や泉は塞がれ、川には柵が施され、コンクリート護岸で近づけなくなり、田んぼ耕作放棄や宅地化され、どんどん減っている。
水があれば、自然と生き物はそこに集い始める。渡り鳥が訪れ、トンボを始めとする昆虫も訪れる。水があればカエルのような両生類も生息できるし、様々な動物が水を飲みにやってくる。
どの水辺に関するパタンでも、重要視されているのは、水を自然の浄化作用を使って綺麗にすることだ。プールのような塩素滅菌プールは推奨されない。自然のままで存在する水辺が求められている。
全国で水辺や湿地がどんどん減りゆく現在において、これだけの広さの水辺がキャンパスにあるということは、それだけで素晴らしいことなのだ。
また、ここには書かれていないが、池があることで、現代の日本において明らかなメリットがある。それは夏季の気温の緩和だ。
水田や水辺があるだけで、夏の高温緩和に大きな役割を果たしている。
気づかないうちに、キャンパスは池の恩恵を受けている。
「池の会」の方々にであう
池に対して少し残念な気持ちを抱きつつ、見学ツアーは進んでいった。大講堂に向かおうと、森の横を歩いていると、森の方で石積をしている人たちがいた。どうしても気になって、声をかけてみた。
最初に声をかけた女性は、卒業生の親御さんだった。「池の会」という団体に所属し、水の浄化のための、水路を作る作業をしていた。
あとで調べてみると、東野高校には、池の浄化事業部会という後援会があり、「池の会」はPTAの活動だった。
池の会の皆さんは、石を購入したり、池の中にある石を拾い上げて、水路のシートの上に石を並べていた。水路は池の水を循環させて、水を浄化するためのものだ。
思い起こすと、2009年にキャンパスを訪問したときは、水の浄化用の水路やビオトープが存在していた。時が経ち、これらの設備はいつのまにかなくなっていた。
東野高等学校後援会は、平成23年(2011年)から発足しているそうなので、2009年当時の活動を引き継いだのかもしれないが、ビオトープは世代が変わり、なくなってしまったのかも知れない。
2009年の写真見てみると、2枚目の写真に写っている水草は、絶滅危惧種のヒルムシロにみえる。絶滅危惧種をキャンパスのビオトープで保全できていたらどれだけ素敵だろうか。
水辺の維持は人の関わりが不可欠
水辺を作るのは簡単だが、維持するのは思ったよりも大変だ。川などの自然の流水があれば別だが、止水の水辺は、水底に様々な堆積物が溜まっていき、常に陸地へと遷移しようとする。
流水で常に水が流れていたり、生態系のバランスが取れていれば、アオコや悪臭は発生しないが、生態系の調和が取れてない止水は悪臭がする。恐らくキャンパスの池もそのような状態なのだろう。
人工的な水辺を維持するということは、自然の遷移を防ぐことに等しい。美しい池があり続けるためには、生態系の調和と、それを維持する人の働きかけが不可欠だ。
修復プロセスを実現するために必要なこと
2009年にキャンパスに見学に行った時、一番印象深かったのは、休日に、学校に父兄の方がいたことだ。
親御さんが、休日にキャンパスの維持管理に関わっていく。これが「参加型のまち(学校)づくり」だと感銘を受けた。
「池の会」の活動も同じように、キャンパスの生命を強めるために、生徒や親御さんが、関わっている活動だ。
これらの活動は、アレグザンダーの言う修復プロセスにあたる。『ネイチャー・オブ・オーダー』の言い方をすると、構造保全変容でありセンタリングプロセスだ。
既に存在する全体(キャンパス)の中で、生命が低下したセンター(池)をより強めるために、新たなセンター(水路)を作り出す。センター(池)は周辺のセンター(水路)に支えられ、より生命を強めていく。
施設や設備は、作って終わりではなく、人が手をかけてメンテナンスしていく必要がある。学校という施設の特性として、学生もその親も、教員でさえも、入れ替わっていく。その入れ替わる人々を繋ぐには、場を修復し、保全したいという動機が必要だ。
不快の回避ではなく、深い感情に従う
この修復プロセスを続けるために必要なのは、そこを保全してよりよく変えていきたいと思う動機ではないか。
悪臭は、なんとかしなければならない問題だが、「悪臭をなくす」解決策だけなら、池をなくす、塩素消毒、濾過装置の設置などの方法もある。でも、それでは、これまでの池を保全できなくなってしまう。
水を見ながらゆったりと過ごす、鯉が泳いだり、水鳥が訪れるのを眺める、そういった体験を、無くしたくないし守りたい、そういう想いがあるからこそ、
今の構造を保全したいと思えるのではないか。(もちろん「コストがかかる」という現実的な理由もあるかもしれない)
「きれいになった池が、どのような未来をもたらすのか」
「その未来の池の周辺で、人々は何を行い、どんな体験をするのか」
実現したい未来のビジョンが、修復プロセスを駆動する。そのビジョンは深い感情(Deep Feeling)から生まれる。
古いものは取り壊し、不快なものは快にして、元の存在の潜在力を無視して、効率性のみを追求し、元の形を破壊しながら変わっていく現代社会の変化に対し、アレグザンダーは真っ向から挑み、盈進キャンパスを手掛けた。
そうやって生まれたキャンパスに対して、人々がその全体性を保全し、回復するための修復プロセスを、今回の訪問で見たのかもしれない。
お墓の移転〜もう一つの保全変容
事前に話を聞いていて、もう一つ気になっていたことがある。それは、2009年訪問時に見つけた、犬のお墓だった。
当時、武道館の横の森にひっそりと置かれた「ポー」と「ししゃも」という犬のお墓。
このお墓は、2003年に生徒によって作られ、その後も生徒が中心となって管理をしていたそうだ。(『The Battle for the Life and Beauty of the Earth』P 470参照)
事前に中埜博さんから、「あの犬のお墓はなくなっちゃったんだよねー」と聞いていた。以前お墓があったのは、武道館の横の森だ。15年の間に変化があり、森の一部なくなって、前述のStudy House 21ができた。
武道館を見学した時、横の森を覗いてみたが、やはりお墓はなかった。「あー、やっぱり、なくなっちゃったのか」と残念に感じていた。
見学ツアーが進み、元食堂のFVB(Future View Base)に移動し、見学を終えて大講堂に移動しようとした時、FVBの横に、お墓を見つけた。
「あ、あった!!」と思わず声を上げてしまった。
このお墓が作られたのは2003年。ポーとししゃもが飼われていた2003年当時の学生は、一人もいないどころか、現在の生徒たちはまだ生まれてもいないはずだ。
いつからあるかわからない、見たこともないペットのお墓。それでも、その存在が大切に扱われているこの事実に感動した。
走るために存在する?傾斜のある芝生
FVBから門を望むと、池に向かって芝生の広場がある。広場は池に向かって、緩やかな傾斜が続いている。ふと、池まで走ってみようと思いたち、荷物を置いて、走ってみた。
緩やかな傾斜と、ふかふかした芝生は、気持ちよく斜面を走るにはもってこいだった。
池に落ちないように、スピードを調整し、降りてきた坂を、今度はダッシュで登ってみたが、これがなかなかきつい。
そんなことをやっていたら、川口さんが動画を撮影し始めたので、もう一本往復したが、最後は足が動かずにヘロヘロになった。
実際に走ってみて感じたのは、この芝生の広場は、成長期の学生にとって、身体を動かすにはもってこいの場所だということだった。
この芝生は、パタン・ランゲージでは次のように記載されていた。
なんと、走ることは想定していなかったらしい(笑)でも、体験したからこそ言える。ここは走りたくなる広場だ、間違いない。
どちらが「いきいき」している?
もう一箇所だけ、気になる箇所があった。それは除草シートに覆われた中庭の花壇だった。
2009年に訪れたときは、様々な植物が生えていたのが印象に残っていた。今回は、花壇や中庭は防草シートで覆われ、部分的に花が植えられていた。
恐らく夏の雑草対策が大変なのだろう。自分も毎年、畑や庭の夏草の勢いに圧倒されている。建設された当時と、現在の気候も大幅に変わったので、前提自体が変わってきているのかもしれない。中庭の設立当時のパタン・ランゲージではどうなっているのだろうか?
パタン・ランゲージでは、花壇についての記述はなかった。実は、設立当初はこの中庭に花壇や木々はなく、その後に作られたようだ。植栽がない、建物だけの当時の写真を見ると、これはこれで悪くないが、とても人工的なイメージだ。
ここで『ネイチャーオブオーダー』で紹介されていた実験をしてみよう。この実験は「ミラーテスト」という。2つの写真を比べてみて、以下の問いに応えるものだ。
「どちらの写真が、より本来の自分を映し出しているか?」
「どちらの写真が、より生命を強く感じる?」
様々な植物が生えている花壇と、防草シートに覆われた花壇、どちらの写真が、自分を映し出していると感じるだろうか?どちらの写真が、生命を強く感じるだろうか?頭で考えるのでなく、自分の心に問うてみる。
自分にとっては、圧倒的に2009年の草花が生えている写真だ。生命力を感じるし、自分らしら(=自由に生きたい)を感じる。まとまりがなく、境界から溢れそうな感じも、自分らしさとして感じる
一方、先日撮影した防草シートに覆われた中庭は、シートで覆われる窮屈さ、内から生じる生命を抑圧するものしか感じない。自然を力でコントロールしようとする意図を感じる。
不快の解消だけではなく、願いに目を向ける
「除草の手間を減らしたい」は不快な状態の解消であり、「四季おりの植物や花々を愛でたい」は理想の実現である。
「ニーズ」という言葉で表現してしまうと、どちらも「ニーズ」になる。
しかし、その発端は全く異なることに注意したい。前者は現実にある不快を解消したいという意識から、後者は実現したい願いを描き創造したいという意識から生まれている。
どちらも必要だが、より大事なのは、後者の「願いを現実創造しようとする」意識だ。前者の「不快を解消したい」意識だけでは、望む状態は常に「不快がないこと」しか創造できない。
この状況は、パタン・ランゲージの枠組みで捉え直すと「四季おりの植物や花々を愛でたい」という願いを実現したいが、「除草の手間を減らしたい」というフォースとなる。
フォースを解消しつつ、どうやって願いを叶えるか、それが本来の「パタン」で実現したいことではないだろうか。
はたして、この防草シートで願いは実現できているのだろうか?
時を超えた構造保全変容への道
最初に「創造」する際には、創造者のビジョン・夢・願いがある。最初の創造は、その願いに従って創造できる。しかし、時が経ち、当初の創造者がいなくなると、当初のビジョン・夢・願いが希薄になってしまう。
希薄化すれば、保全すべきことが曖昧になっていく。そうなると、目先の不満を解消するか、より合理的な方向か、その世代の解釈による改修がメインになる。
そのようなプロセスが積層されていくと、いつのまにか、元々の全体性は壊れ失われていくことになる。
全体性・構造を保全するとは、当初の願いを忘れないで受け継ぐということでもある。もちろん、変える必要があるものは、変えればいい。大切なことは、その場の「不快の解消」だけでなく、どんな「願い」や「深い感情」に基づいて、
その現実が創造されているかだ。
その場が生まれた「願い」を忘れないために、当初の想いや志を形式化したり、語り継ぎ、後の世代に引き継ぐことも必要だろう。パタン・ランゲージの物語には、その役割がある。
しかし、それ以上に大切なことは、今の世代が、前の世代が創造した現実に対して、深い感情でつながり「今の全体性を保全したい」と、思えるかどうかではないだろうか。
この状態が実現できていなければ、未来の世代が、キャンパスを「守りたい」とはとても思えないだろう。
『パタン・ランゲージ』や『ネイチャー・オブ・オーダー』を通じてアレグザンダーが伝えたかったことは、「生命構造を生み出す」だけでなく、そのもっと奥にある自分の深い感情と繋がり、現実創造する方法ではなかっただろうか。
今回の訪問で、こんなことを感じた。
変わりゆくもの、変わらないもの
パタン・ランゲージやセンタリングプロセスで作られた盈進キャンパスも、時代が変わり、世代が変わり、求められることも変わってきている。
元々キャンパスを生成する元となったパタン・ランゲージのビジョンや願いが、現在の教師や学生の間でどこまで共有されているのか、わからない。
口コミサイトで在校生の意見を見ると、酷評する人もいれば、賞賛する人もいる。不快の解消を求める人も多くいる。文中にも取り上げたように、決して完璧ではない。
盈進キャンパスを分析した論文をみても、設立当初の教育方針と、現在の方針のギャップ、設立後の漸進的成長がうまくいっていない旨の評価がされている。
パタン・ランゲージの実践と理論の比較分析 ̶盈進学園東野高等学校の分析を通して̶
それでもなお、自分は、このキャンパスには魅力を感じる。それは、このキャンパスを作り上げた当時の人々の想いが現実の形として表現されていること、それを肌で感じれるからだろうか?
なぜ廊下がないのか?
なぜ池があるのか?
なぜ教室が独立しているのか?
なぜ窓が格子になっているのか?
ひとつひとつの存在に意味があり、細かく見れば見るほど、その徹底ぶりに驚愕する。その意図が「ふつう」ではないこのキャンパスに、唯一無二の存在感を与えている。
行ったことない方は、ぜひ一度訪れてみることをオススメしたい。そこで、何を感じることができるのか?いいこと、わるいことも、ひっくるめて、ひとりひとりの深い感情で、キャンパスに触れてみてほしい。
決して他者の評価やレポートを真にうけず、自分の身体で感じてみてほしい。
2024年の写真は以下に保存しています(女子学生の写真以外)