これからはじめるふりかえり「いのち」のサイクル
日本でKPTが使われはじめてから15年
自分はKPT(Keep/Problem/Try)というふりかえりのフレームワークが日本ではじまった黎明期からずっと使いつづけてきた。
KPTの起源は『アジャイルソフトウェア開発』で紹介されていたレトロスペクティブの例を平鍋さんが見つけて、それを永和システムマネジメント内で使い始めたのがきっかけだと記憶している。
アジャイルの文脈で「Retrospective」という英単語を、「振り返り」と訳したのも平鍋さんで、それを「ふりかえり」とすべて平仮名で表記しようと言い出したのは自分のようだ。
以降、開発プロジェクトでも、イベントでもオブジェクト倶楽部(現オブラブのイベントの際に、会場の後ろの壁にセッション毎のKPTボードが張り出されていて付箋で自由にフィードバックを行っていたイベントふりかえりのシーンを覚えているアジャイルオールドファンは少なくないだろう。
以来、筆者は15年近くKPTを様々な場面、無数の現場でKPTのファシリテートを行ってきた。自分や所属チームのみならず家庭内でも使ってきた。
国内において「ふりかえり」という習慣を定着させる上でKPTが重要な役割を果したのは異論がないところだろう。
この10年の間に、KPT以外にもアジャイルレトロスペクティブズの訳書出版や、北米のアジャイルカンファレンスに参加する人や海外事例に目を向ける人が国内でどんどん増えた結果、様々なふりかえりのフレームワークが使われるようになってきた。
結論として、現場では各場面において適切なふりかえりのフレームワークを使うのが望ましいというのが現在の共通認識だろう。
先日、筆者が9年前にAsianPLoPに投稿した『Retrospective Patterns』の解説記事を書いたばかりだ。このふりかえりのパターン集もKPTだけでなく各場面で適切な手法を選べるようにデザインしている。
ふりかえりの手法の一つとして長らく使ってきたKPTではあるが、個人的にひとつだけ課題があると感じていた。
「問題」が「問題」だ
KPTはKeep/Problem/Tryの頭文字から構成されている。この中で問題なのは「問題」を意味するProblemだ。
試しに「問題」の語義を手元の大辞林で引いてみた。
もんだい 【問題】
① 答えさせるための問い。解答を必要とする問い。題。「算数の―を出す」「英語の―を解く」
② 取り上げて討論・研究してみる必要がある事柄。解決を要する事項。「それは―だ」「―を解決する」「大臣の失言を―にする」「―点を整理する」
③ 取り扱いや処理をせまられている事柄。「就職の―で悩んでいる」「それとこれとは別―だ」
④ 世間の関心や注目が集まっているもの。噂(うわさ)のたね。「―の人物」
⑤ 面倒な事件。厄介な事。ごたごた。「―を起こす」
いわゆるテストや試験などの「問題」は①の意味で使われている。答がある問い。まさに「問われているお題」だ。KPTの場合は②〜⑤の意味で使われることが多いだろう。①に比べて否定的な意味合いが強いと感じるのは筆者だけだろうか?
人によってはProblemを「課題」と訳していることもあるようだが、課題についても辞書を引いてみると次のようだった。
かだい 【課題】
① 仕事や勉強の問題や題目。「休暇中の―」「―を与える」「―図書」
② 解決しなければならない問題。「当面の―」「緊急―」
まぁ問題よりも多義性が低いだけでさほど変わらない。
逆に「Problem」の語義をウィズダム英和辞典で引いてみると、次のような注が載っていた。
problem は処理・対処や理解が困難な特定の事柄をいうが, 否定的に響くので日常英語では代わりにissueが用いられることが多い. 論理的思考や数学を使って解答すべき質問のことも表す. issueはしばしば議論・討論の対象となる重要事項, 特に多くの人が影響を受ける社会的・政治的問題をさすことが多い. また, 〘ややくだけて〙 では, 人が抱えている問題や心配事をさすことがある.
英語でも「問題」と同じように否定的な意味が強いようだ。英語ならあえてproblemの代りにissueを使ってみるのかもしれない。
まとめると「Problem」「問題」といった言葉には否定的なニュアンスがあるということだ。否定的とは「このままではダメ」「解決しないといけない」といったマイナスのイメージや「義務感にもとづいた行動」が誘発されると言い換えてもいいだろう。
否定的イメージの限界
一度「問題」という見方をすると、それは「解決しなければならないもの」というように見える。
「問題」とは「不足や欠落」あるいは「過剰や超過」というイメージを持つ言葉だ。「問題を解決する」ということは「不足をゼロに戻す」あるいは「過剰をゼロに戻す」「取り除く」というように凸凹をゼロに戻すイメージを持つ。
言い換えると「私たちあるいは私たちの周辺には何か欠陥や障害物があり、それを正常な状態(=欠陥や障害物がない状態)に持っていく」ことが問題解決というわけだ。
そうするとチームは徐々にKeepよりもProblemに着目しはじめる。Keepという肯定的な側面がありつつも、人はどうしてもProblemという否定的な側面の重力に引っ張られてしまうことが多い。
「〜が問題だ」という否定的な見方をされると人によっては心に傷を負うかもしれない。それが自分ではなくチームに向けられていたとしても当人が「自分のことだ」と感じてしまえば「自分の問題だ」と受け止めてしまう。
特に感受性が敏感な人たち(HSP: Highly Sensitive Person)は、その場の否定的なニュアンスを言葉ではなく身体全体で感じとってしまい鈍感な人にくらべて特に影響を受けやすい。
もちろん、KPTでも「Keepを最初に」や「問題vs私たち」といった原則を使ってなんとかネガティブではなくポジティブやニュートラルに問題に向き合う仕掛けをつくってきている。
だが、そもそも使っている言葉のネガティブイメージに引っ張られているので、いくら仕組みを工夫して働きかけようとしても、限定的な効果しか得られないケースも多い。
言葉が思考に影響を与える
認知言語学に「言語相対説」という仮説がある。「サピア=ウォーフの仮説」としてもほぼ同義で知られている。これは『認知言語学キーワード事典』によると以下のようなものだ。
母語によって、その話者の思考や概念のあり方が影響を受けるという仮説。言語が異なれば認識や経験の仕方も異なるとされる。
この仮説を強く推し進めると、人間の思考や認識のあり方を言語が決定することを強調する「言語決定論」と呼ぶこともある。
10年以上前に、筆者がBDD(Behaviour Driven Development:振舞駆動開発)の紹介文を翻訳している時にこの仮説を知った。
BDDは当初はTDD(テスト駆動開発)が「テスト」という言葉を使うがゆえに思考を規定されているのでは?という問題提起から生まれたコンセプトだった。
同じように、ふりかえりが「Problem」や「問題」という言葉に囚われ思考を規定されてはいないだろうか?
「いのち」のサイクル
そこで、筆者はKPTを以下のようにいいかえることを提案する。
Keep・Problem・Try(KPT)ではなく「いいね・のびしろ・ちょっとやってみる」の頭文字を取って「いのち」と呼ぼう。そして「いのち」はフレームワークというよりもサイクルとして回していこう。「いのち」のサイクルだ。
「い」は自己肯定
「い」は「いいね」「イケてる」など自己肯定のことだ。
立ち止まって見たときに自分たちに対して少しでも肯定できる部分をまず探し出そう。必ず何か「いいね」と思える出来事や学びがあるはずだ。それを全員で分かち合う。
ともすると落ち度ばかり目につくかもしれない。しかし自分たちのことを自分たちがまず認めてあげよう。他の人が認めてくれなくても、自分たちがまず最初に自身を肯定的に認めてあげることが重要だ。
これは自分ないしは自分達への自己肯定感を醸成する。
チームで全力を尽くせたのであれば、結果はどうであれそれはいつでも「いいね」と捉えよう。
「の」は未来の可能性
「の」とは「のびしろ(伸び代)」「望み」といった未来の可能性のことだ。
自分達に何かうまくいかないことがあったり、壁にぶつかったりすることがある。その時はそれらを「課題」「問題」と捉えるのではなく、自分達の「のびしろ」と捉えよう。
「のびしろ」を使うことで有名なのはサッカーの本田圭佑選手だ。実は本田圭佑選手が「のびしろ」という発言をしていることは最近まで知らなかった😅
昨年、本田選手の物真似をしているお笑い芸人のじゅんいちダビットソン氏が愛媛に来て物真似しているのをみて初めて知ったのだ😛
「のびしろ」はいい言葉だ。今は出来てないことがあっても、それは「まだまだやれる」というのびしろであり未来の可能性なのだ。
そして「望み」とは「自分たちがこうなりたい」という未来への渇望のことだ。今はまだ叶っていないが、将来そうしたい、そうありたいと思う未来のビジョンだ。向かいたい先があるならばチームで明示してみよう。
「こうなりたい」「ここをもっと上手くやりたい」そういった自分達への未来を描こう。その未来への想いが強ければ強いほどチームは次のステップに進める。
すべては成長の機会と捉えよう。
「ち」は未来への行動
「ち」とは「ちょっとやってみる」「チャレンジ」「チャンス」といった未来への行動のことだ。
よい所をもっとよくするために、のびしろを伸ばすために、自分達の望みを実現するには何が必要なのだろうか?
まずどうしたらいいかのアイデアを出してみよう。そうすると「こうやればいいかも?」という仮説が浮ぶだろう。
「こうしたらいいかも?」「とりあえず試してみたい!」それらは全て仮説であり、実際にやってみないことには本当にうまくいくのかわからない。
「ちょっとやってみる」はもっともハードルが低い試みだ。すぐできる・試したいことがあれば、まずはやってみよう。気軽に試してみることが大事だ。
「チャレンジ」は「ちょっとやってみる」よりも背伸びをした試みだ。すこしハードルが高く感じても「やってみる価値がある」ならばチャレンジしてみよう。実行のハードルが高すぎると感じるならば、その前段で何ができるかを具体的に考えてハードルを下げよう。
やってみないとわからない、やれるかわからない、けれどもまずはチャレンジしてみよう。うまくいかなくたっていい。挑戦してみた結果から次の可能性が見えてくる。
「チャンス」は変化の機会のことだ。すべては「変化の機会」と捉えよう。その機会に何ができるかを考えよう。できない理由より、できる理由に目を向けよう。
徹底的な自己肯定でポジティブに成長していくサイクル
「いのち」を順番に挙げていくと【自己肯定】→【未来の可能性】→【未来への行動】というステップになる。
「KPT」を「いのち」に変えることで、問題ではなく未来の可能性という言葉として認識される。そのことでプラス→0でも、マイナス→0でもなく、今をよりプラスにするという認識の変化が起きる。
ふりかえりは「前方の道の凸凹を平たく」するのではなく「自分たちの可能性をどんどん伸ばしていく」というアクティビティへと変わるのだ。
そして行動を実施しその結果を再び新しい「いのち」のサイクルのインプットとする。
これを「いのちのサイクル(陽)」とよぶ。徹底的な自己肯定であり、ポジティブシンキングであり、可能性の追求であり、成長や変化についての仮説検証のサイクルだ。このサイクルを回し続けること自体が「いのち」の源でありチームの生命線だ。
未来はいつでも今の自分(たち)から出発する。今の自分(たち)をセンターとしてそこに様々な可能性を見出し経験を積み上げていく。今の自分(たち)に可能性を見出すことがまず何よりも先決だ。
問題なんてどこにもない。すべては変化の機会、学び、成長の可能性ととらえる。そのような前提に立脚することで、考え方だけでなく行動や態度を積極的に変えることができる。
陽があれば陰がある、陰のサイクル
陽があれば陰があり、いのちのサイクルにも陰がある。次回はこの「いのちのサイクル(陰)」を紹介する。
皆様のサポートによって、より新たな知識を得て、知識と知識を結びつけ、実践した結果をアウトプットして還元させて頂きます。