パーマカルチャーが軽視しているクリストファー・アレグザンダーの挑戦
訳者よりはじめに
本記事は、パーマカルチャーデザイナーのダン・パーマー氏の『Christopher Alexander’s Neglected Challenge to Permaculture』の日本語訳です。
氏は、パーマカルチャーデザイナーとして、パーマカルチャーのデザインアプローチと、アレグザンダーのデザインアプローチの比較をしています。
元々、本文にもあるように、パーマカルチャーは、自然界に発見されるパターンを模倣するデザインを組み込んでおり、パーマカルチャーデザイナーは、アレグザンダーのパタン・ランゲージもデザインの参考にしています。(ただし「パターン」という言葉が指す意味は両者は若干異なっています)
アレグザンダーのパタン・ランゲージは、伝統的な社会における町や建設のデザイン言語であり、パーマカルチャーが目指す永続可能なデザインと非常に親和性が高いためです。
またパーマカルチャーは「要素間の機能的な関係性デザイン」を原則にしています。同様に、パタン・ランゲージを扱ったデザインも「関係性のデザイン」を基本としますが、それだけではなく、同時に『ネイチャーオブオーダー』で詳しく論じられている全体性を生み出すデザインプロセス、言い換えると全体を分化させていくプロセスが鍵となります。
訳者(懸田)は2011年に、パーマカルチャー関西にてデザインコースを修了ており、その後自宅庭でパーマカルチャーデザインを応用して試行錯誤しています。
パタン・ランゲージに関しては2009年にクリストファー・アレグザンダー氏の直弟子である中埜博氏に学ぶ機会があり、以降何度もご一緒させて頂いています。
両者を学んでいるという立場から本記事に興味を持ち、パーマカルチャーを学ぶ方々と、パタン・ランゲージを学ぶ方々に対して日本語の情報を提供するために拙訳しました。
ちなみに、私の中でパーマカルチャーとパタン・ランゲージを結びつけたのは、実は一件両者と全く関係のないソフトウェア開発の方法論・価値体系である、アジャイル(更に具体的に言うとエクストリーム・プログラミング)です。
アジャイルでは、ソフトウェアシステムやプロダクト(更に言うと、そのソフトウェアが使われるビジネスや、ソフトウェアを作ることに関わる組織も)について漸進的かつ機能的にデザインを行い全体のシステムを作り上げていきます。この三者の関係性についてもいずれ記していくつもりです。
『パーマカルチャーが軽視しているクリストファー・アレグザンダーの挑戦』
2016年5月8日 ダン・パーマー
パーマカルチャーの定義の中で、最も重要であると思われる二つの定義に注目してみましょう。
パーマカルチャー(恒久的な農業)は、自然の生態系の多様性・安定性・回復性を持つ農業的に生産性の高い生態系の意識的なデザインと維持である。(ビル・モリソン, 1988, p. ix)
『パーマカルチャー・ワン』(訳注1)でも暗に示したが、最近ではより広く、「食物や繊維、エネルギーなど身近な必要性を満たすために、自然の中に見られるパターンや関係を参考にして、環境を意識的にデザインすること」(デビット・ホルムグレン リック・タナカ(訳), 2012, p.26より引用)(*1)
(訳注1) :『Permaculture One』は1978年に出版された最初のパーマカルチャーに関する書籍。ビル・モリソンとデビット・ホルムグレンの共著。
これら二つの文には、共通する三つの重要な点があります。
一つ目は、自然の生態系を複製し、模倣し、実際に自然の生態系であるという意味で自然の特徴を持つシステムや景観を目標とすること、
二つ目は、対象となるシステムが、人間のニーズを生み出すこと、
三つ目は、意識的なデザインによって、このゴールに向かうということです。(*2)
この最後の部分、意識的なデザインに注目してみましょう。到達したい目的地に近づくために与えられる重要な方法やプロセスとして、パーマカルチャーの意識的なデザインとは何かという明確な定義が含まれていると期待されています。
パーマカルチャーデザインの文献では、大抵の場合、デザインは「要素をシステムに結合するプロセス」と定義されています。言葉は変わりますが、中心となる考え方は変わりません。
1. 要素は接続される前に存在する。
2. デザインの要点は、これらの要素を結合し、組み立て、または統合することです。(パーマカルチャーの原則に基づいて提供されるシステム、パターンまたは全体に対し)
先駆的な文献に目を通して、私は最初、この中心となる考えを、モリソンの『Permaculture: A Designers' Manual』に見つけました。(1988年, この記事全体に特に重要な単語やフレーズを強調していることに注意してください)
パーマカルチャーもまた、一つのデザインシステムとして、人工物、自然、空間的な要素、時間的な要素、社会的あるいは、倫理的な要素等を統合して調和ある全体を作り出そうとする。
(p.36)
デザインの本質や機能とはこの要素の組み合わせであり...(p.36)
パーマカルチャーデザインとは、コンセプトや、素材、戦略などの様々な要素を全ての生命に役立つように統合するシステムデザインである。
(p.36)
デザイン[は]適正な関係性の中で効果的に構成された要素...
(p.37)
各構成要素の組み立てが完了したら、デザイナーの最終作業は、全体に合理的なパターンの集合体を創る事である。
(p. 70)(*3)
この中核となる考えは、パーマカルチャーデザインに関する最新の書籍まで繰り返されています。
『Practical Permaculture』(2015)において、著者のジェシー・ブルームとデイブ・ベーンレインは、同じように要素とシステムという言葉の浸透しつつあるパーマカルチャーにおける理解を共有しています。これらの言葉とその関係を定義する際に、彼らは次のように説明しています:
「最もシンプルな形では、システムとは、お互いの関係(その機能)が、ある種の仕事を完了させたり、ある種の目標を達成したり(目的)できるように構成された部品(要素)の集まりです。例えば、自転車は、多くの要素(ハンドルバー、チェーン、車輪など)を、輸送目的を達成するために機能するような方法(フレームに連結されたハンドルバー、車輪に連結されたフレーム)で組み立てられた単純なシステムです。人体の部位を見ても、同じような考え方ができます。テーブルの上に臓器がたくさん置いてあっても人にはなりません。しかし、これらの器官がお互いに正しく関連し合っていて、それぞれがその機能を果たしているとき、私たちは結果として人として存在できるのです。
システムのすべての要素が適切に組み合わされるとと、全体がその部分の総和以上になり、創発的な特性が現れます。(p. 18)
この本の後半で、このシステム思考の解釈を、パーマカルチャーのデザインプロセスに対して適用しています。
「パーマカルチャーのデザインプロセスは、相互に有益な関係に構成要素を組み合わせることです。要素はさまざまな配置に置くことができますが、要素間の接続によって効果的に機能するシステムが構築されます。」(p. 59)
「他の要素との有益な関係を作成するための最適な相対位置を決定するには、デザイン内のすべての要素を解析する必要があります。」(p. 92)
「要素を互いに関連させて配置することは、機能的なパーマカルチャーのデザインを生み出す上で重要です。」(p. 99)
もう一つの例を考えてみましょう。『Permaculture City』(2015)で、パーマカルチャーの著名な著者であるトビー・ヘメンウェイ氏は、パーマカルチャーを「(パーマカルチャーは)計画を策定する際の指針となる有用な関係を構築するための一連のデザイン原則と、それらの計画を実施するためにどの技術を使用するかを決定するのに役立つ多くのつながりの構築(connection-building)デザイン法を提供する」と説明しています。(p. 23)
氏が説明するように、「パーマカルチャーは、当然のことながら、部分間の関係を作るデザインに焦点を当てた方法に大きく依存している。」(p. 31)。その後、氏はこれらの手法のうち4つを具体化します。「それぞれはパーマカルチャーデザインの核となるものを実行するための強力な手法です。部分間の接続と関係性を作るデザイン...」(p. 31)
以下に、この4つのメソッドの1文の要約を示します(p. 33-44)
「最高の使い方は、デザイン要素や活動の機能や用途を順序立てて結びつける方法を示しています。それは最初に何をすべきか教えてくれます。」
「ニーズとリソースの分析によって、デザインの各部分を他に接続する方法がわかります。」
「ゾーンシステムは、利用者または中心的な利用に関連してデザインの部分を編成します。」
「セクター分析は、デザイン要素を、私たちが直接的に影響を与えることができない外部の影響との有用な関係に編成します。」
上記の引用は、パーマカルチャーデザインに関するほぼすべての出版物の代表的な扱い方です。それゆえ、パーマカルチャーデザイナーが一般的にどのようにデザインについて話しているか(ひいては、考え、教える、実践しているか)を代表していると言ってもいいのではないでしょうか。
この核となる理解を表にしてみましょう。先ほど、パーマカルチャーデザインの文献では「デザインとは何か」についての文章が、これらの3つの列から項目を選び、それらを紐づけていくという公式によって生成されているという証拠を見ました。
要素をパターンに統合したり、システム全体に構成要素をつなげたり、部分を関係づけてまとめたり、といったことは、パーマカルチャーのデザインとは何かを明確に理解した上での異なる表現です。
クリストファー・アレグザンダーの挑戦
クリストファー・アレクザンダーは、パーマカルチャーの実践者から広く知られ、尊敬されているラディカルな建築家、建築家、作家です。実際、アレクサンダーの作品は、先ほど引用した3冊の本の著者からも高く評価されています。
アレグザンダーが過去半世紀にわたって出版してきた14冊の本の中核となるテーマは、「要素集合としてのデザイン」という考え方に対する批判です。彼のキャリアの初期と後期からに2つの代表的な文を引用します。
「設計とは、さまざまなものを一つにまとめる合成のプロセス、または組み合わせのプロセスと考えられがちである。
このような見方によれば、部分をまとめれば全体ができることになる。つまり、初めに部分があって、後から全体の形が生まれることに成る。
だが、前もって形づくられた部分を追加していくだけでは、自然の特性を備えたものを形づくることは不可能である。(アレグザンダー, 1993, p.296)
...それから、33年後、(訳者注:角括弧[ ]は筆者の補足です)
[全体性の]繊細な構造の本質を完全に掴むためには、「センター」が「部分」からつくられたものであると見なす危険思想を避ける必要があります。今日、従来の知識人(おそらく本をただせば、デカルト主義や機械論になるのでしょうが)は、すべてのものは「部分」から成る、と主張します。特に今日、人々は、あらゆる「全体」は「部分」から成る、と信じています。この考え方が信じられているのは、「全体」の前に「部分」が存在する、と考えられているからです。すなわち、まず「部分」が何らかのかたちで要素として存在し、やがて互いに関係を保ち、あるいは結合していって、「センター」が「部分」の組み合わせから結果として「つくられる」、とする考え方です。
厳密な「全体性」の考え方は、これとは異なると私は信じています。」(アレグザンダー, 2013, p.87)
今、この意見を考えてみると、彼がまったく異なると言ったことが何を意味するかがはっきりと分かり始めます。
この[デザインへのアプローチ]が、分化のプロセスです。
これは、設計を複合化作業のシーケンスとみなす考え方である。ものの構造は、小さな部分を足していくことによってではなく、全体をねじったり、よじったりすることによって、全体の中に導入されるのである。> 分化のプロセスでは、全体が部分を生み出す。あたかも3次元の布がじょじょにねじれてゆく時に生じつ折り目やひだのように、部分が出現していく。つまり、全体の形と部分の形は同時に発生するのである。
分化のプロセスのイメージは、胚の成長プロセスに似ている。
まず一個の細胞からはじまり、それが球状の細胞群へと成長していく。さらに一連の分化を積み重ねて、構造はますます複雑になり、ついに完成された人体が形成される。
この細胞群の中で、最初に内側、そして中間層、さらに外側が形成される。つまり、内胚葉、中胚葉、外胚葉であり、後にそれぞれが骨格、筋肉、皮膚になる。
つぎに、この球状細胞群に軸が発生する。この軸は内胚葉のなかに置かれ、後で人間の脊柱になる。
続いて、軸をもつ細胞群の一方に頭部が生じる。
さらに、脊柱や頭部との関係に応じて、目や四肢といった2次的構造が成長する。
このように、成長のどの段階をとっても、新たな構造は、それまでにある構造を基礎にして築かれていく。本質的には、成長プロセスは一連の連続的操作であり、一つ一つの操作が、それ以前の操作によって生じた構造を分化していくのである。」(アレグザンダー, 1993, p. 297-298)
では、このデザインプロセスは、実際の特定のデザインプロセスにどのように適用できるのでしょう?アレグザンダーは次のように説明しています。
設計プロセスの最初の段階では、空地は「だいたいこの辺」で、建物は「だいたいあの辺」というふうに考えるであろう。この時点では、「空地」や「建物」のどちらのパタンも正確には定義されていない。ちょうどそれらは、大きさも輪郭もはきりしない二つの雲のようなものである。またこの段階では、「空地」と称する雲が完全に露天であるのかどうかーーまたは「建物」と称する雲が完全に屋根で覆われるのかどうかーーといったことですらまだ定かではない。何が起きているかといえば、設計のこの段階では、これらの雲自体の優先度に従っていれば間違いないこと、より小規模な細部はあとで変更可能なことを充分にわかった上で、この二つの雲を大まかに配置しているのである。
後のプロセスでは、建物に「入口」を設けることになろう。ここでもまた、入口と呼ぶパタンの適正寸法などについては漠然とした雲の塊にすぎない。他のより大きな雲との関係で配置を決めたり、隣接するものとの関係を明らかにできても、それ以上の正確なことは分からない。
さらに、設計プロセスの別の段階では柱を設けることになろう。柱の高さや大まかな寸法が決まるがーーこの場合も、はじめに柱を配置する時点では、それ以上のことは何も分からない。あとになって、柱の仕上面や補強材や基礎などを調整することによって、柱の細部がより正確に決まってくるのである。
この雲のような獏としたパタンは、つねにそれより小さなパタンを置いてみて、パタン自体の境界や内部を定義することによって明確になるのである。
個々のパタンは空間分化の操作者(オペレーター)である。つまり、差異のないところに差異を生じさせるのである。 (アレグザンダー, 1993, p.299)
パーマカルチャーの著者達(上記の著者を含む)が、アレグザンダーの広範囲に及ぶ著述や、デザインについてのそれに代わる見解の具体的な試み(*5)に言及せず、アレグザンダーのデザインの核心的見解についての批判(*6)を認めていないのは不思議なことだと思います。
これらは探検し試してみる価値のあるアイデアのように見えないでしょうか?分化プロセスとしてのデザインのアイデア?より大きな全体からより小さな全体に移り、構造を全体に注入するシーケンスやプログラムとしてのデザインのアイデア?それぞれの小さな全体が、その内部にある全体とその関係にしたがって、配置され、整えられ、サイズが決められ、それを取り囲み重なるというアイデア?実際、パターンから詳細に至るまでのデザインをどうしなければならないのでしょうか? (*7)
同じ目標、異なる方法
たまたま、アレグザンダーのアプローチとパーマカルチャーのアプローチは、彼らが目指している目標についての意見が同じです。アレグザンダーとの比較をしてみると...
...地球上に住む人々として、私たちの町や建物、風景を、〜 自然のような 〜 生命構造として、しかもこの人工の世界が自然のようなシステムであるように、作り上げる方法を学ぶのが重要です。(Alexander, 2002b, p.xvi)
...パーマカルチャーの2つの定義で、この記事は始まりました。
パーマカルチャーはそのようなシステムの農業生産性により焦点を当てているのに対して、アレグザンダーは環境を作ること(*8)に焦点を当てています。両者には深い自然の特性をもつ景観やシステム(すなわち、ホルムグレンの「自然に存在するパターンや関係性の模倣」という発言や、アレグザンダーの「生命構造」という表現)に対しての共通の努力があります。
さらに、アレグザンダーもパーマカルチャーも、意識的なデザインプロセスを通じてしか、そのような自然の特性を持つシステムにアプローチできないという主張を共有しています。
しかし、この2つのアプローチは、このプロセスの本質、つまり目的への手段を特定するという点では袂を分かつことになります。
パーマカルチャーでは、自然の特性を持つシステムと景観は、部品や要素を組み立てたり組み合わせたりして全体のシステムにしていくプロセスによって実現されます。(*9)
アレグザンダーにとって、自然の特性を持つシステムや景観は、生命の出現プロセスに触発されたように、全体を部分に分化するプロセスによって達成されるものです。(*10)
まとめと結論
パーマカルチャー実践者は、健全な自然の生態系の重要な側面を捉えるための原則とパターンを策定してきました。そして、それらの原則やパターンをデザインしたシステムの中で模倣しようとしてきました。
詳細はさておき、パーマカルチャーの文献でデザインがどのように定義されているかについての共通のテーマは、要素の組み立てのプロセスであるということです。
部分から始めて、 追加(足し算)によって全体を生み出すプロセスです。
クリストファー・アレグザンダーは、自然に見られるパターンや関係性を模倣したいなら、自然がこれらのパターンを生み出すプロセスの中にあるパターンや関係性を理解し、手本としなければならないと主張しています。私たちは、目的だけでなく手段も模倣する必要があります。
そして、自然を模倣するデザインプロセスの鍵は分化であると提唱しています。
「複雑な適応の鍵は分化の概念にある。これは、全体を分けるために部分を追加するのではなく、部分を得るために全体を分けて区別するプロセスです」(Alexander, 2002b, p.197)
これは、全体から始まり、分化によって部分を作っていくプロセスです。
健全なデザインプロセスが何かについての根本的に異なる理解は、パーマカルチャーの核となるアイデアへの挑戦です。
私も含めパーマカルチャーに携わる人たちには、この挑戦を心から受け入れることを勧めます。その輪に参加し、理解し、議論し、試してみて、それをなににするのか、それに価値があるのかどうかをある程度明確にしていきましょう。
さらに忘れてはならないのは、この挑戦はパーマカルチャーのまったくの部外者や異邦人からではないことを忘れないでください。アレグザンダーの思想や文章のごく一部は、既にパーマカルチャーに影響を与え豊かにしてきました。しかし、どういうわけか私たちパーマカルチャーに携わる人たちは、おそらく彼が私たちに提供してくれる最も大事なことを見逃してしまっています。言い換えると、彼の提供する豊かさを探究し、同化させるという重要な作業がやっと始めたばかりなのです。少なくとも私は、彼の考えが次にどこに向かうのか待ち遠しいです
結論として、パーマカルチャーは農業生産性の高い自然を手本にした景観を意識的にデザインするプロセスと定義されています。意識的なデザインとは、デザインが何かという理解を意識的に問い直し、必要に応じて改善することを意味します。アレグザンダーの仕事の中には、私たちがすでに気に入っている点があり、私たちに更に前に進む道を指し示してくれています。
デビッド・ホルムグレンの本記事への反応については次の投稿を見てください。
参考文献
アレグザンダー,クリストファー (1984). 『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』(平田翰那訳)鹿島出版会.
アレグザンダー,クリストファー (1993). 『時を超えた建設の道』 (平田翰那訳)鹿島出版会.
アレグザンダー,クリストファー (2013). 『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 生命の現象』(中埜博訳)鹿島出版会.
Alexander, C. (2002b). The Nature of Order: An Essay on the Art of Building and the Nature of the Universe: Book Two: The Process of Creating Life (Vol. 2). The Center for Environmental Structure.
Bloom, J., & Boehnlein, D. (2015). Practical Permaculture. Timberpress.
Hemenway, T. (2015). The Permaculture City. Chelsea Green.
ホルムグレン, デビット (2012). 『パーマカルチャー(上巻) ――農的暮らしを実現するための12の原理』(リック・タナカ訳)コモンズ.
ホルムグレン, デビッド (2012). 『パーマカルチャー(下巻) ――農的暮らしを実現するための12の原理』(リック・タナカ訳)コモンズ.
Mollison, B. (1988).Permaculture: A Designer’s Manual. Tagari.
謝辞
デビット・ホルムグレン、デイブ・ヤッケ、ロズマリー・モロー、ジェームズ・アンドリューズたちの、このポストの草稿への支援的で洞察に富むフィードバックに感謝します。
脚注
(*1): この発言の直後、ホルムグレンは、1990年代にパーマカルチャー教師たちに広く使われてきた定義を要約して「私も含めて多くの人々にとって、上記のようなパーマカルチャーの概念はあまりにグローバルなものであり、その有効性が低下している。もっと正確に言えば、私はパーマカルチャーとは、上記のビジョンを実装するための組織化したフレームワークを提供するシステム思考とデザイン原則の利用であると考えています」 と説明しています。
(*2): モリソンは、一度デザインされ実現されたシステムのメンテナンスについての言及しています。
(*3): ここの順序は明白で、 1. 要素、2. それらの集合体、3. 全体のパターン集合、となります。詳細から始まりパターンへと移ります。
(*4): ここで私はアレグザンダーの好んで使う「センター」という言葉を、彼の意味する最も近い、より身近な「全体」という言葉に置き換えていますが、アレグザンダー(2013)p. 83-85になぜ「センター」という言葉を好むかの説明があるので見てください。
(*5): これは彼のすべての著作に共通するテーマです。
(*6): 例えば、『時を超えた建設の道』(1993)、『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』(1984)、『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 生命の現象』(2013)を参照してください。
(*7): 興味深いことに、ホルムグレン(2012)の「原理7 デザインーパターンから詳細へ」の章でデザインを探求していますが、その中でクリストファー・アレグザンダー(1993)のパタン・ランゲージに関する研究を取り上げています。彼はパーマカルチャーのサイトデザインのためのパタン・ランゲージに向けたステップに焦点を当てるためのインスピレーションとして利用していますが、私が知る範囲で他のパーマカルチャー方面からアレグザンダーへの言及と同様に、アレグザンダーの根本的な関心事としての健全なデザインプロセスのそれ自体「パターンから詳細へ」あるいは「全体から部分へ」の一連の分化についての議論はされていません。
(*8): しかし、ホルムグレンのパーマカルチャーの定義(本記事の最初を見ること)のすぐ後の文で「人間とその文化、それらの自己組織化がパーマカルチャーの最大の関心事項となったのである。」と言い続けていることを覚えておいてください。(2012, p.26)
(*9): なぜこの特定のアプローチが支配的、あるいは標準のアプローチに選ばれたのかの説明は、パーマカルチャーの文献の中で見当たりません。私の知る限りでは、このアプローチはビル・モリソンによって文化的環境から引き抜かれ、パーマカルチャーデザインと同一視され、それ以来、パーマカルチャーの文献を通して受け入れられ伝播してきたということだと思います。
(*10): ここでの私の焦点は、これらの2つのデザインに対するアプローチの区別です。一見すると両者は相互に排他的な設計アプローチに見えますが、今後のポストでは、部品から足し算を通じて全体に向かって作業することが、その役割(全体から部分へのアプローチ)を包含するという事実を具体的に示します。問題が発生するのは、私たちが(無意識にまたは別の方法で)部分から全体へのアプローチを、メインのデザインアプローチにする場合です。アレクザンダーのように自然のシステムを生成するプロセスを模倣したいのであれば、その場所は、全体から分化を介して部分に向かって作業することに比べ、二次的で従属的であるべきだと考えています。
しかし、私の主な着眼点は、二者択一ということではなく(繰り返しますが)両方のケースだということです。健全で全体的なデザインプロセスでは、2つのアプローチは補完的なダンスの中に存在しています(全体から部分へのアプローチがダンスをリードしています)。
皆様のサポートによって、より新たな知識を得て、知識と知識を結びつけ、実践した結果をアウトプットして還元させて頂きます。