マガジンのカバー画像

私の武装解除日記〜自己理解と変容の旅路

22
武装解除=自分の無自覚な信念、回避行動、正当化、痛みに自覚的になり、少しづつ心に装備していた鎧を脱いでいくジャーニーを仲間とともにしたためます。 勝手に知り合いの武装解除っぽい…
運営しているクリエイター

#武装解除日記

違いにこだわる特性、その奥にある痛みとは?

人と同じが嫌!!自分は、いつからか人と違うことを志向し、 人と同じであることに嫌悪し、 人と違うことを求める、という性格になっていた。 「こんなことやってたら、他と変わらないじゃん」 「既に人がやったことをやるのは面白くないじゃん」 そうやって、他者と同じことを拒否し、違うことを求める。 動物占いで、孤高の狼であることを知ると 「俺は群れないし、人と違うことを嗜好する、ドンピシャだ!」 と喜ぶ。 しかし、実はこの性格は、 生まれつきの性格ではない、痛みを守るため

恐るべし 卓越した回避の技

今日は武装につながる、痛みへの回避行動の技に触れたい。 悲しさ、寂しさ、怒り、虚しさなどの感情が沸き起こるような出来事があった時、この技を使って見事に回避しその感情を分離する。 武装時代、私はこの技の達人だった自負がある。 例えば人から嫌なことを言われたり嫌なことをされた時、怒りや悲しさが感情として沸き起こる。 そのいわゆるネガティブな感情が不快だと感じる。その不快を無くしたいと思う。 そして、技が発動する。 私のやり口はこれだ。 ①その出来事を自分のことから離れて客

僕は全力をだすわけにはいかないんです!だって...

はじめに前回は、自分の武装解除に最初に気づかされたエピソードを紹介した。 沢山ある自分の無自覚な武装に気づいて、 解除していく様子をどんどん書いていこうと考えていたのだけど、 なかなか筆が進まない、うーむ。 今回は、自分で突然気づいてしまった、 無自覚な武装のエピソードを紹介してみることにする。 コロナ明け最初のハーフマラソン大会にて昨年の12月に、地元(愛媛県松山市)のハーフマラソン大会があった。 コロナ禍でしばらくマラソン大会は開催されておらず、 久しぶりの大会だっ

「俺は悪くない」の反抗的態度の内側に何がある?(後編)

前編の概要『私の武装解除日記』、最初に取り上げるのは「俺は悪くない」という反抗的態度の内側の構造について。 前編では、外側の世界で自分が無自覚にどんな行動を取っていたかを紹介した。後編では、その内側の構造や、メンタルモデルを作り出したエピソードを紹介する。 「自分は悪くない」を生み出した体験自分が就学前くらいの頃、叔父の結婚披露宴に家族で出席した。初めての結婚披露宴への出席だったのできっと楽しみにしていたのだろう。 当時、自分には2歳年下の弟がいたが、彼はまだ幼く披露宴

私の武装解除日記②本が読めなくなってしまった私

先日から始めた武装解除日記。 ①はこちら。 先日、この武装解除日記を取りまとめてくれるかけちゃんと、オンラインで話す機会があった。不定期ながら開催される、「ザ・メンタルモデルワークブック」に取り組む会でご一緒だったのだ。メンタルモデルの4類型の話をしていた時に、ふと気づいたことがあった。 それは最近の私は、「本が読めなくなっている」ということだ。 正しくは「本を読む気力を失っている」と言ってもいいかもしれない。 そして、もれなく本を読めなくなった自分を責めまくっていたが

「俺は悪くない」の反抗的態度の内側に何がある?(前編)

自分から謝らない自分の武装解除の旅路で、最初に気づかされたのが「謝ろうとしない」という行動の裏にある構造だった。 若い頃から、自分の行動パターンとして「自分からなかなか謝らない」というものがあったように思う。 普通に考えると、悪いと感じたら謝るのは当たり前なのだが、以前の自分はとにかく、自分の非をなかなか認めなかった。 何かあっても、自分に非があると認めないと「自分は悪くないから謝らない」という行動を無意識に行っていた 他者から見たら「なんでこいつ、謝らないんだ?非を

私の武装解除日記①プロローグ

不完全な私 子供のころからずっと思ってきたことがある。 なんで私はこんなにも不完全なんだろうか、ということに。 本当に不完全だったのか、子どものころを思い出してみたが、決してそんなことはなかった。 むしろ私は十全に持っていたといってもよかった。 自慢じゃないが、勉強もできたし、運動もまあまあだった。 好きなものもたくさんあった。 本を読むのが好き、漫画はなお好き。 歌うのも、走るのも、犬も猫も好き。 走るのと自然が大好きで、母の実家の田舎の田んぼを駆け回り、川で遊ぶのが