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床屋を継ぐ以外の選択肢はなんだったか。

昨日、実家の家業である床屋を継ごうと思ったきっかけのお話をさせていただき、そのきっかけがなかったら今の自分はなかったわけですが、その以外にあった選択肢はなんだったのかを少しお話しさせていただきたいと思います。

こんな話をすなくても良いんですが、私のご紹介にもなると思ってお話します。私は、小学校4年生からずっと野球を続けていました。高校では、1年生の時に夢の舞台甲子園に出場することができて、最高の経験ができました。

自分の代では、残念ながら地区で敗退してしまって甲子園に行くことは出来ませんでした。ですが、エースナンバーをつけることが出来て、その経験をもと大学にも声をかけていただき、進学することも出来ましたので、高校でお世話になった指導者の皆様や先生方、また支えてくれた親には本当に感謝してます。その縁もあり、大学では英語を専攻しながら教員の免許も取得することが出来ました!!

野球を通じて最高の出会いや経験を学びました。そのこともあり、社会人になる際も多くの企業さんに声をかけてもらい、野球をやりながらどこかの会社で働くか、高校の時の感謝の気持ちから高校の教員になろうと思っていました。これが私の人生一番の道だと思っていました。

自分の今でも後悔している出来事かもしれない。。

その分岐点になってしまったのが留学もしたタイミングの少し前。私は、肩の故障をしてしまったのです。大学でも1年生から札幌六大学野球の1部の公式戦に出ることが出来、本当に順風満帆な人生を送っていました。ある日キャッチボールを始めようとした際に肩に違和感を感じ、その違和感が大きな故障になってしました。またそこから野球への悩みを大きく抱えてしまい、“イップス”というメンタルの不安定から発症する自分のイメージとは、体が全く違う動きをしてしまう病を抱えてしまいました。その病から2年ほど治ることが出来ず、今現在も野球をすると発症してしまいます。この病を乗り超えた先に今までお話ししていた人生が待っていたと思います。その病を克服することが出来なかったのが、こんな悩みを抱えた生徒などにどんな声をかけてやれるか、また自分が野球できないことがこんなにも辛いことなのかという思いを大きなものとなってしまい、それをきっかけに野球から離れてしまいました。私にとっても野球というものは本当に尊い存在だったんだなという実感とそれと同時にきたショックが大きかったのか本当に今でも後悔している部分です。まだまだ出来ると思っていたものが目の前でなくなっていった瞬間が悔しかったです。

暗くなった将来に新たな可能性になったのがアメリカだった

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川上 巧太 - 野球 = 床屋と英語

そんな時に思ったのがこの計算式でした。自分には野球以外に何が残っているのだろうと思って考えた結果に床屋と英語が残りました。そこで留学に興味を持った経緯になります。これは、野球以外にずっと続けていたことであったのでその時は本当にやっててよかったなと思いました。

英語も小さい時から塾で学んでいたり、中学、高校でも英語の授業は本当に楽しかった覚えがあります。

床屋は続けていたというよりも身近にずっとあったものという方が正しいかと思いますが、この2つは野球以外にもやっていたこと。なのでもし自分の身にも何かが起こってしまった時や、自分の子供や大事な人には、何かを何個か継続して行うことの大切さを伝えていくことをお勧めします。

これが私の選択肢だった

これが私の持っていた人生の選択でした。これもまた決まっていたかのように進んできた道のりでしたので、今となっては本当に全てが良い経験だったと思います。今やっていることがもしなくなってしまったとしてもまた新しい道にはまた新しい何かが待っていると思って、何かを一緒に継続してやってみることをこれからもしていきたいと思います。今回は、以上です!!

それではまた次の記事で!!

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