無意味という価値

実はこの数年、議論し過ぎることへの疑問を持っています。
何でも無意味とバッサリ切り捨てたいわけではないけれど、実像の無い事に対して延々と議論することは無意味って、言い得て妙だよなあ。
モノづくりの現場は実像を相手にしているように見えて、作るに至る過程は虚像を実像に変える取り組みだったりする。
そのために海外に飛んでみたり、夜通し議論してみたりもする。
サラリーマンは虚像を食べて生きているのですきっと。
最後のどんでん返しもいい感じ。