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君の人生に意義なんて無いから安心して。
秋も深まるこの季節。
noteを徘徊しておられる退屈な淑女紳士に於かれましては、老い先短い日々をどう過ごすべきか、人生とはどう在るべきかを真剣に考えている人もいるのではないだろうか。失礼。
例に漏れず、おれもそんな暇な一人。
人生とは善への希求であり、その努力にこそ人生の真の意義がある。
トルストイ先生はこう喝破したよね。ご立派な方である。
日々を何かの探究に没頭したり、努力という名前で呼べるような活動を毎日続けている人こそ、人生とは何ぞの答えが導けるのかもしれない。
おれの考えはこうだ。
地球は約46億年をかけて現在の姿となり、人類はおよそ500万年前から存在していると言える。
その歴史の中で、人類は平均数十年という短いサイクルで絶命し、次の世代へ命を引き継いできた。文明が進化して寿命が伸びたとしても、このサイクルに大した変わりはない。
人は学問の発達によって論理的に物事を考えるようになり、目に見えない思想や哲学を探究するようになった。人生の意義の有無も恐らくそこに言及するのかもしれない。
そもそも数十年スパンで世代交代している人類の使命は「種の繁栄」であり、貴方が存在している事そのものが人生の意義ではないか。あとは、ついで。好きにしたらいい。
だからって子作りに励めという意味ではなく、カスピ海ヨーグルトのように種が保存されていればそれでいい。なぜカスピ海ヨーグルトなのかは分からない。
法律とかモラルとか、人々が共存するために必要なルールはGood to knowで、あれば良いねなんだけど、従ってもいいし従わなくてもいい。但し、従わなかった時はそれなりの結果を身を以て知ることになる。
人生の意義を求めるのは暇だから。暇だと何かやる事や目標が欲しくなるので。
働いても働かなくてもいい。はらたいら。
上手く人生の意義が見つけられたり、何か著名になる成果をゲットしたら、テレビのニュースとかに出て自慢したらいい。
自分が楽しいと思うことをしたらいい。そのために必要な時間や資金や仲間を揃えるためにどうするかを考えているうちに人生はだいたい決まってくる。
地球環境とか戦争とか政治とか、所詮変えることは出来ないし災害は防げない。身の回りの愛すべきものを守ることだけ。
努力とか頑張れとか、くどくど周りに解くものではなくて、やりたければやればいい。嫌ならやらなければいい。
出来なくてもいい。生きろ。
生きなくてもいい。好きにして。
つまり、どうでもいいんです。
とりあえずかっこいいことを書こうと思って書き始めたが、特に考えも無かったことに気がついた。
オチもありませんし。
皆さんも好きにしてくださいね。