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ブックレビュー「勝者の科学」

先に紹介した「多様性の科学」を書いたマシュー・サイドの2017年作。

本書もタイトルは英文タイトル(”The Greatest-The Quest for Sporting Perfection”)とは乖離があって、読者の「科学」コンプレックスを刺激するものとなっている。サイドの翻訳本には他にも「失敗の科学」があるので、日本版編集者は確信犯的に日本では「科学」を入れれば手に取る人が増えることを知っているに違いない。

「科学」と銘打っているが、本書に統計学的なデータは一切登場しない。

本書が「科学」かどうかの判断はさておき、元オリンピアンであるサイドが書いたコラムを集めた本書は大変読みやすい。誰でもその成功を知っているエピソードを中心に、そこからの学びを提示する。

何しろサイドは元英国卓球チャンピオンなので、自らの成功と失敗に関する詳細には事欠かない。さらには現役時代からメディアへの進出度合いが高かった人らしく、他のスポーツについての情報とその原因分析には説得力がある。

例えばサイドは第一章の「チャンピオンのつくり方」で、次のようなエピソードと学びを提示していく。

モハメド・アリのトレーナーだったアンジェロ・ダンディー:彼がいかに社会的バランスを操る能力が優れていたか。何しろ強情で独断的だったアリの傍にずっといた人である。
ルイス・ハミルトンの父親であるアンソニー:ずっとキャリアのマネジメントをしてくれた父親と袂を分かつと判断したことは賢明な判断だったが、計り知れない自己犠牲と愛と献身によって尽くした親の子離れの難しさ
タイガーウッズやフェデラー:彼らが才能では無く、練習の質で差を生み出したことは特筆に値する。巷でよく使われる「才能」という概念は、むしろレジリエンス(立ち直る力)を壊してしまう。
テロ組織「イラクのアルカイダ」への戦いにおけるスタンリー・マクリスタル将軍:「上に立つものの役割は、(中略)共感によって文化を創造すること」であり、そのためには権限移譲・権力の分散が不可欠。
イングランド卓球協会で10年以上活動するなどボランティアとして卓球界に尽くしたブライアン・ハリディ:ハリディは卓球とクラブのメンバーたちを愛していた。人が成長し、喜びを分かち合い、ともに過ごす場所となった組織の一員であることを愛していた

「勝者の科学」マシュー・サイド

2017年作が日本語に翻訳されるのに7年間かかった訳で、スポーツの世界でこの7年間(オリンピックやサッカーワールドカップなどの二回分)という時の流れは結構厳しいように思う。どうしてもエピソードが古いものになってしまうし、一旦成功例と思われたことがその後反転することもある。

阪神タイガースが優勝した翌年に失速した、オリックス・バッファローズが三連覇した後に五位に凋落し、三連覇を成し遂げた中島監督が退任してしまう、そのような世界である。

それでも本書の読者に学びがあるのは、スポーツが矛盾に満ちながら、その成功と失敗を繰り返していることを長年の経験で知っているからだ。物知り顔の解説者の言説が新たな成功や失敗で180度ひっくり返るのにも慣れっこだ。

サイドは本書を執筆にあたり着想を得た本として、ナシム・ニコラス・タレブの「まぐれ-投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」、ジェームズ・フレイザーの「金枝篇」、サイモン・バーンズの「The Meaning of Sport」、ジョセフ・ヘンリックの「文化がヒトを進化させた-人類の繁栄と<文化-遺伝子革命>」を挙げている。

タレブ以外の本を読んでいないので想像に過ぎないが、サイドは徹底的なストリート哲学派の人なのではないかと思う。その意味ではコンサルタント嫌いのタレブに相当影響を受けたのではないか。

サイドは次のように言う。

スポーツは、ある意味ではささやかだが、深遠なものである。
・スポーツとは、観ればわくわくし、やれば楽しい、私たち人類と同じくらい長い歴史を持つ活動だ。そしてスポーツにはもう一つのすばらしい役目がある。それは生き方のメタフォーとして、偉大なるものの本質や構造を掘り下げるのに役立つのだ。
・スポーツはかって生き方の比喩であったが、いまや生き方の模範になりつつある

「勝者の科学」マシュー・サイド

スポーツ愛に満ちたこれらの言及は、徹底的なストリート哲学に満ちている。そこに数多くの読者を惹きつける秘訣があるのだろう。


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