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ブックレビュー「平成とロックと吉田建の弁明」

学生時代、特に中学高校時代は学校から自宅への帰り道に本屋があり、ほぼ毎日「何か面白いものはないか」と彷徨っていた。まず雑誌コーナーを見て、音楽雑誌などを立ち読みし、次に新刊本そしてそれ以外のコーナーを毎日見に行っていた。そして面白そうな本があるとなけなしの小遣いで悩んだ末購入していた。

Amazon Effectのせいで、今はすっかりそういう楽しみはBrick and Mortarの本屋には期待できなくなった。本屋にはベストセラー本は山積みになるが、そういう本はほとんどタイトルを見ると内容が想像できる気がしてしまう。たまにタイトルが面白そうな本もあるが、週刊誌のつり広告のようにEye Catchingなタイトルを考えることで労力を使い果たしているかのようだ。

その点まだ図書館の方が新たな発見があると言う点ではマシだが、こちらも居住している川崎市では先ごろ電子図書館が始まった。まだまだ蔵書は少なく、本屋に並ぶような本しか並んでいないが、蔵書が増えたところで「一般的な」書籍が並ぶのは目に見えている。

そういうBrick and Mortarの図書館消失への過渡期ではあるが、珍しく近所の図書館を昔の本屋さんでのように彷徨っていると、興味を惹きたてる本を見つけた。タイトルは「平成とロックと吉田建の弁明」。

「吉田建」というと我々の年代にとってはイカ天で辛口の批評をしていたことで印象深く、またおそらく若い人にとっては「LOVE LOVE あいしてる」や「新堂本兄弟」で音楽監督を務めていた人だという理解だろう。

本書で吉田建と共著の扱いになっている斎藤由多加はゲームクリエーターとして「ザ・タワー」や「シーマン」といった大ヒット作品があるゲームクリエーターだ。若い人には吉田建よりもこの人の方が興味が湧くのだろうし、そこに共著の狙いを感じる。

斎藤氏はある人から「吉田建が本を出したがっている」と聞いて、面談したことを契機に本書を出すことになる。しかし吉田氏と会うと必ずしも吉田氏にはその覚悟が無いことがわかる。それでも斎藤氏との面談を続ける吉田氏は、斎藤氏からの質問に答える形で自らの経験に基づいた音楽観を表現しようとする。

斎藤氏は独自の切り口から吉田氏の発言を契機に純粋に面白いと信じていることを掘り下げ、曖昧な点や理解できない点は容赦なく突っ込む。その物怖じしない物言いは吉田氏を揺さぶり、ついには途中決裂するが、最後に再度書籍出版にまでたどりつく。その様は、スリリングで面白い。

斎藤「スタジオミュージシャンとアーティストの違いって、なんですか?」
吉田「スタジオミュージシャンが秀才の技術者、アーティストが変わりモノ、かな。」

「平成とロックと吉田建の弁明」

吉田「若いミュージシャンっていうのは、イカ天の時にもよく言ったんだけど、自分が目立ちたいからずっと音出してんだよ。プロっていうのはさ、自分が最も必要とされる時だけ出て、あとは引っ込んでる。」

「平成とロックと吉田建の弁明」

吉田「(ベースの色気というのは)演奏する時に、その一つの音符が持っている幅にギリギリに収まる範囲で、らしさというか、命を吹き込むことができるのよ。」
斎藤「ふむ。」
吉田「音符では表現しきれないわずかな幅で、一瞬の指の動きだとか、フレーズの弾き方だとかで、演奏者が感じているニュアンスを加えること、それが僕の言う色気だな。」

「平成とロックと吉田建の弁明」

吉田「僕の中の劣等感の正体ってさ、自分が『普通の人』ってことだったんだろうな。それを指摘されたり、自分で気づいたりしたくなかったんだと思う。自分はアーティストなんだぞ、ってさ。」
斎藤「ロックミュージシャンであることを否定していたのもそれですかね?」

「平成とロックと吉田建の弁明」

言い換えれば本書の出版を契機に吉田氏は初めて斎藤氏をプロデューサーとして迎えることになったわけだ。斎藤氏はまるでリバースメンターのような立場に見えるが、本書を見る限り、斎藤氏はその役割をしっかり全うしているようだし、吉田氏は初めてプロデュースされる経験を葛藤しながらも受け入れたようだ。

さてこれ以上の内容への言及はネタバレになるのでさておき、吉田氏の音楽活動は昔から興味があったので、ここで改めて振り返ってみたい。

1. 長谷川きよし時代

吉田は早稲田大学在学中に長谷川から声掛けしてもらい、プロになることを決意した。この時代の演奏についてはYouTubeでは見つからなかったのでここでは割愛するが、配信ではいくつか聴くことができる。

2. バイバイセッションバンド時代

バイバイセッションバンドは「りりィ」のプロデューサーだった寺本幸司が「一緒に生きていく家族を作りたい」と思って作ったバンドで、吉田氏以外に第一次には木田高介、土屋昌巳、西哲也、斎藤ノヴが、その後に坂本龍一、国吉良一、井上鑑、今剛、伊藤銀次、上原’ユカリ’裕が参加した。

このアルバム未収録のシングル「私は泣いています」のB面「皮肉」は当時のバイバイセッションバンドのグルーブ感を残している和グルーブの名曲と言われている。ちなみにこのシングル盤のジャケット写真は当時流行していたSuzi Quatroへのオマージュらしい。音楽性から観ると大違いだけど…

なお、このバイバイセッションバンドへの加入前に、吉田氏は長谷川きよしの仕事で貯まったお金で大学の卒業旅行として行ったLondonで第二期Jeff Beck Groupの演奏を見て衝撃を受けている。

「そこでジェフ・ベック・グループの演奏を間近で観てひっくり返りました。1曲目の『アイス・クリーム・ケーキ』、亡くなったコージー・パウエルのドラムのイントロ・・・もう最高に格好良かったですね。そして、今まで聴いたことのない大迫力のPAやホールの雰囲気。日本で聴いていたコンサートやレコードとは全然違うと思いました。」、「もう全然違いました。俺なんて全然ロックじゃないし、ロックが好きくらいのレベルだと。そこで僕は「駄目だ」と凹んだわけではなくて、考え方を変えようと思ったんです。きっと二つの道があったような気がして、一つは本物のロッカーになるためにロンドンに残って修行する。そういう人は結構いたと思いますし、それは立派な選択なんだけど、僕はこれを一つの糧として日本でプロとしてやっていくノウハウとか技術や知識を見つけられたらいいなと考えました。つまり劣等感ではなくて、「コレはできない!」と思ったんですよね。やったとしても僕にとってはあまりいい結果にはつながらないかも、とね。」

Musicman 第68回 吉田 建 氏 プロデューサー/アレンジャー/ベーシスト

この後日本に帰国した際の吉田氏の風貌が面白かったらしい。

僕はミーハーなのでロンドンですっかりその洗礼を受けちゃって(笑)、ロンドンから帰国したときは髪の毛はグリーン、ラメを付けて、ロンドンブーツを履いてました(笑)。母親が羽田まで迎えに来ていたんですが、僕の姿を見て「これは私の建ちゃんじゃない」って言って嘆いてましたね(笑)。

Musicman 第68回 吉田 建 氏 プロデューサー/アレンジャー/ベーシスト

3. 浅川マキ時代

本曲はCarol Kingの元夫であるGerry GoffinがBarry Goldbergと共作して作った”It’s not the Spotlight"が原曲で、Rod Stewartが”Atlantic Crossin’”でカバーしている。

ちなみに吉田氏はRod Stewartの大ファンだったらしく、またFacesのベースは全部弾けて、「自分はFacesのベースだったら日本一」と言っている。

4. EXOTICS時代

それまでメインストリームでの仕事が少なかった吉田氏がオーディションを受けてまで獲得した仕事。井上堯之バンドが解散し、新しい音を求めていた沢田研二のプロデューサー加瀬邦彦に気に入られる。EXOTICSは4年しか続かなかったが当時最先端の音を取り入れた音作りが斬新だ。

5. LOSERS時代

泉谷しげるのバックバンドだったLOSERSは「村上”ポンタ”秀一、仲井戸麗市、下山淳に僕という非常にヘビーなロックバンド」だったが、吉田氏本人は大変面白かったという。横浜国立大学でのライブを当時見たことがあるが、本当にこのバンドは格好良かった。

その後吉田氏はプロデューサーとして氷室京介、吉川晃司、ウルフルズ、吉田拓郎などの作品に関わっていく。

6. 寝ないでバンド時代

1996年頃に2時間番組で2度村上ポンタと共に吉田氏がアマチュアミュージシャンにプロの技を見せつけたバブル崩壊後の仇花のような深夜番組。確か当時本番組はVTRで録画した記憶がある。途中シンプルな”Billy Jean”のBass Phraseをモチーフにポンタと吉田氏がプロの技を見せつけるのが印象深かった。

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さて、本の方に戻ろう。

本書は元々は対話形式で発表される予定では無かった。吉田氏が対話形式を好まなかったことが理由だが、最後に村上ポンタの死を契機として、むしろ吉田氏は対話形式を要望する。それまで「音楽を科学的に解明する」という大義の下、対話形式では無い原稿を準備していた斎藤氏だったが、吉田氏からの突然の対話形式への修正要望を受け入れる。そしてその対話の軸は「人間の個性」にシフトして行く。

ただ本作は「実録ドキュメント」の体裁をとっているものの、対話形式のフィクションとしてとらえるべきだ、と対話に付き添ったとされるF氏は「おわりに」で述べている。したがってすべての発言がノンフィクションでは無いものととらえるべきだろう。

紆余曲折があったとしても吉田氏を掘り下げる努力をした斎藤氏の努力と、自らを曝け出すことを覚悟した吉田氏の勇気に拍手を送りたい。とは言ってもこれは遺作では無いのだから、まだ生きている吉田氏には今後も引き続き新たな挑戦で若手を刺激し続けて欲しい。

吉田氏のスタジオ時代の録音はネット上ではクレジットが入手しずらい。年代的に吉田氏の業績と思しきものをApple MusicでPlaylistにしてみたのでご参考まで。もし吉田氏の作品では無いものがあるようなら遠慮なくご指摘ください。



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