ブックレビュー『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』
またしてもVulnerabilityの登場だ。本書の副題にある「脆さ」は英語のVulnerabilityで、著者は「ソンダクの仕事を再評価する上で最も注目すべきは、「脆さ」=「ヴァルネラビリティ」に対する彼女の思想」だ、という。
「反解釈」で従来の解釈にあらがう姿勢を主張したソンタグにとって、Vulnerabilityという日本語になりにくい英語を『「脆さとは〇〇である」という安易な解釈にあらがってみせる』であろうことから著者は『「脆さ」にあらがう思想』と銘打った。
スーザン・ソンダクについては以前「スーザン・ソンタグの「ローリング・ストーン・インタヴュー」」で読んだことがある程度で、偉そうにレビューできる立場にはないが、本書のおかげで彼女が存命中にどのような立場で、色々な評価にさらされていたかが少しは理解できたような気がする。
ソンダクが当時注目した概念に「キャンプ」があるが、今回初めてこの語彙を知った。「あまりに人工的だったり、不自然だったり、不適切だったり、あるいは時代遅れだったりするために、おもしろい(”Amusing”)とみなされてしまう事柄」という意味らしい。今のネット社会ではキャンプらしきものは沢山ある。
もう一つ面白かったのは漱石、三島由紀夫、太宰治といった日本の作家をソンダクが評価していたことだ。漱石について「世界文学のヨーロッパ中心主義が周縁に追いやってきた多産な天才作家」と評している。論考「ファシズムの魅力」では「仮面の告白」と「太陽と鉄」をファシズムのエロス化の一例として挙げている。
最終章にあるようにソンダクは、「解釈」、「写真」、「隠喩」に抵抗し、対峙するものを「汚染」と呼んだ。
これらへのあらがいは「知性」そのものへの抵抗、反知性主義的な知性の闘いであったといえる。反知性主義については以前読んだ森本あんり著「「反知性主義」アメリカが生んだ「熱病」の正体」に詳しい。要は自分の権威を不当に拡大利用していないか、を敏感にチェックしようというのが「反知性」である。
本書では何度もソンダクの発言、「写真を撮ることは、他の誰かが抱える(あるいは他の事物が抱える)死すべき運命、ヴァルネラビリティ、移ろいやすさといったものに関与することである」が引用されている。単に記念のためにシャッターを押して過去のものにしてしまう行為とは大きく異なる。
「死すべき運命にあるもの同士は、芸術のような表現活動を通じて、いかにして互いの存在にアプローチしているのか」。写真を撮ることも、お互いの存在、ヴァルナラビリティへのアプローチの一つであるということだ。
本書のあとがきにある通り、ベンジャミン・モーザーによる評伝「ソンダク」を原作とした映画が製作中らしい。モーザーの評伝は本書にも紹介されている通りポジティブな評価とネガティブな評価の両方のバランスをとっているとのことだが、映画がどのようなものになるか楽しみである。