ブックレビュー「オシムの言葉」
2006~07年にサッカー日本代表を率いたイビチャ・オシムは「日本サッカー史上、最も辞めてもらいたくなかった監督」とも言われている。その「オシムの言葉」に当時私を含めた多くの日本人が魅了されていたし、今でも日本代表による試合の評価を訊きたがる。
例えば2008年12月17日に日経新聞でオシムはこういう言葉を日経新聞のインタビューで語っている。
・今の日本は外国の猟師から高値で魚を買ってばかりいる。そろそろ“自分達が欲しいのは魚ではなく、魚の捕り方だ”と言ってもいい。簡単には教えてくれないだろうが、経済危機はその秘訣を手に入れる好機になるかもしれない。
・もっとも教えられた捕り方をそっくりまねて、うまくいく保証はないが。
人材育成はアートに近く、投資の割に効果が出ない覚悟もいる。
・育成に携わる者は“明日のサッカー”を常に考える必要があるということ。
・個人能力を開発することが戦術に進歩を促す一番の手段になる。
この“自分達が欲しいのは魚ではなく、魚の捕り方だ”は、老子の格言『授人以魚 不如授人以漁』を引用したもので、その意味は「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか」、すなわち「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける」という意味だ。当時の日本のサッカー界が高い値段で雇った外国人プレイヤーに依存していることに対する警句であり、日本人プレイヤーをもっと将来像をしっかり持って育成すべきだ、と指摘していた。
これ以外にも本書に引用されるオシムが放った言葉はなお印象的だ。
「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか?要は準備が足りないのです」(市原・千葉時代にある試合で自チームの選手に対して発した言葉)
「魚でも肉でもない」(いわゆる“水を運ぶ人“を表現したと言われる)
「日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。野心に欠ける。これは危険なメンタリティーだ。受け身過ぎる。(精神的に)周囲に左右されることが多い。フットボールの世界ではもっと批判に強くなれなければ」
こうした含蓄のある言葉を多く発したオシムだが、本書は単なる「オシム語録」では無い。オシムの言葉がどういう人生経験から打ち出されたものなのかを読み解く本だ。
オシムはボスニアの首都であるサラエボに生まれた。ボスニアは過半数を占める同一の民族が存在しない多民族地域で、中でもサラエボは、セルビア・クロアチア・ムスリムの3民族が融和する多元主義精神の極めて発達した都市だった。
13歳で鉄道員のフットボールクラブであるジュレズニチェルに入団。学業も優秀で、数学に秀でた才能を持ち、医者になる選択肢もあったという。それにも関わらず家庭の経済的な事情でサッカー選手という職業を選んだ。
オシムが初めて来日したのは東京五輪で、ユーゴ代表として日本を相手に2ゴールしている。この時に日本で初めてカラーテレビを鑑賞し、また農村をサイクリングしていると、村人に手招きされて梨をふるまわれたことで、親日家になったと言われる。
共産圏故の制限から28歳になって初めて国外移籍を果たし、選手としてフランスのストラスブール、セダン、ヴァレンシエンヌ、再びストラスブールで活躍し、1978年にサラエボに戻る。古巣のジェレズニチャルが不安定な状態にあり、同チームの監督に就くとリーグで優勝争いに加わる成績を挙げ、黄金期を迎えるユーゴナショナルチームの代表スタッフにも呼ばれるようになる。そしてロス五輪でまだ19歳だったドラガン・ストイコビッチを擁して銅メダルを獲得する。
1986年にはついにユーゴスラビアの代表監督に就任する。そしてオシムは5つの民族、4つの言語、3つの宗教、ふたつの文字を持つモザイク国家で、それまで慣習だった各民族の輪番制のような登用を全面否定し、各民族からのどんな圧力にも屈しない姿勢を明確に示した。多元主義精神の発達したサラエボで生まれたコスモポリタンらしい信念だった。
1990年のイタリア・ワールドカップへの出場を決めたユーゴスラビアはW杯予選を突破、ベスト8をかけたスペイン戦で快勝し、準々決勝でディエゴマラドーナがいるアルゼンチンと対戦。若手選手が経験不足からイエローカード二枚で退場し、一名少ない中、延長戦に入っても決着がつかず、PK戦で惜敗する。後にオシムはこのW杯で優勝していたらユーゴスラビアの分裂は無かったと悔やんだ。
イタリア杯後、ユーゴスラビア連邦人民軍を母体とするパルチザン・ベオグラードと代表の監督を兼務する。残念ながらここからユーゴスラビアの崩壊は加速化していく。1992年にボスニアで戦闘が始ま李、不安を抱えるオシムが自らの職場であるベオグラードに向かった二日後にサラエボで爆撃が始まり、オシムはそれから妻と何と二年半も会うことができなくなる。そしてついに代表監督を辞任する。
サラエボの妻と会えない中、監督に就任したギリシャのパナシナイコスでカップ戦を制し、レアル・マドリードやバイエル・ミュンヘンなど殺到するオファーを蹴ってオーストリアのシュトルム・グラーツに監督として就任し、3年でリーグ優勝、チャンピオンズリーグにも出場。8年間過ごしたグラーツを辞めたオシムは2003年にジェフユナイテッド市原・千葉監督に就任、2005年にナビスコカップ優勝。2006年に日本代表監督に就任するも、2007年に脳梗塞で入院し、監督を退任する。
この間の輝かしい成績は当然のこと、驚かされるのは、あの複雑な旧ユーゴスラビアのどの地域の関係者に訊いても、オシムこそが最高の監督であったと口を揃えて言うことだ。分離独立した後の共和国が、自民像では無い指揮官の名前を挙げる。それはサラエボ出身としてコスモポリタンな姿勢、すなわち公平さを貫いたからだろう。日本で彼の下で育った選手たちも同様にオシムのサッカーとその哲学を絶賛する。
オシムは日本代表監督時代に、それまでドイツ・オランダ・フランス・ブラジル、様々な国のサッカーをキャッチアップすることで強くなろうとしてきた日本サッカー界に、次のような言葉を残している。
・私が今おこなっていることは、一見、過去に戻っているように見えているかもしれません。しかしそれは、過去の日本代表チームが、他の国のチームの模倣をして、ある意味で「行き過ぎた」部分があったために、それを修正しているだけのことです。日本のサッカーは今のままでは”日本人のサッカー”に辿りつくことができません。
・日本人には、他の国民にはない性質、それもよいサッカーをプレーするために必要な資質が備わっているように思います。俊敏さ、勤勉さ、それから組織力、規律を重んじる責任感など。それらが個人個人にしっかりと備わっている。
先の2008年12月の日経新聞インタビュー記事(“自分達が欲しいのは魚ではなく、魚の捕り方だ”)を目にした時、私はある企業のグループ人材開発担当ダイレクターで、日本人グローバルリーダーの育成に頭を悩ませていた。海外企業の大型買収後、国籍に関わらず適材適所で人材を登用したところ、日本人はポジション争いで負け続けた。日本のサッカー選手をグローバルで通用するレベルに引き上げるための日本サッカー界の課題は、そのまま日本企業における日本人グローバルリーダーの育成に置き換えらる、と私には映った。
日本企業でグローバルリーダー育成が経営上の課題となって既に20年以上は経つだろう。20年前の日本のサッカー界のグローバル化レベルは日本企業と同じ水準だったように思う。それがこの20年間で大きく差が開いた。サッカーの日本代表全員が海外組が占めるようになったにも関わらず、日本企業の経営陣のメンバーは相変わらず国内組が主流を占める。知と経験の多様性を求めて外資系企業出身者が重用されることが多いが、彼らのほとんどは外資系企業の日本法人の経験者に過ぎない。しまもまるで昔のプロ野球で言われた「助っ人外人」のような扱いであり、メンバーシップ型雇用の本流に留まる人材に及ぼす影響は限定的だ。
日本のサッカー界とビジネス界で大きな差がついた理由は、日本のビジネスマンが自らのキャリアゴールを海外でも通用するレベルに定めていないからだろう。「出る杭は打たれる」日本では「爪を隠す」のが保身の基本。忖度さえすれど、自分の意見を真っ向から戦わせることなど日本で偉くなるには愚の骨頂、ということになる。
日本企業の人材開発担当も、メンバーシップ型雇用で自らの専門性を磨くことなく、様々な部署を転々とした人が多く、人材開発は失敗しても咎められない最終キャリアで過ごす安住の場、という位置づけだ。敢えて変革を叫んだり、冒険したりする必要も無いし、何しろ自らもキャリアを振り返るとグローバルリーダーを目指していないのにどうやってグローバルリーダーを育成することができようか。
しかしオシムが指摘する通り、その都度、キャリア採用に依存して社内の人材開発を後回しにしていては、到底持続的成長は達成できないだろう。このまま安易に魚を与えてもらう(=外資系日本法人の経験者を起用する)ことばかり続けていると、いつまで経っても日本企業でグローバルリーダーを開発することは無いだろう。
それではオシムなら、この難題をどう打破しようとしただろうか。まず、走れない選手(ビジネスではグローバルな専門性がない人)は専門性の面で潜在性のある若手に入れ換えていく。若手には必要以上の休みを与えず、多彩な練習方法を取り入れ、他者が嫌がることを買って出て、他者のために走ることができる力と最善の策を瞬時に考えだす俊敏性を求める。そして失敗があったときに「しょうがない」で済まさず、ミスとしっかり向き合うことを求める。
これらの原則=Principlesは、適正な評価、修羅場経験や一皮むける経験の提供、内省的省察機会と経験のマイエピソード化という経営学で指摘されている人材開発の要諦だ。
日本のサッカーは未だ発展途上ではあるが、この20年の間ビジネス界と比較すると間違い無く進歩を遂げた。遅れたビジネス界がサッカー界に負けないぐらいに進歩を遂げるには、上記愚直で当たり前の人材開発をしっかりグローバル経験を持った先人達が嫌われることを覚悟でフィードバックする信念を貫くことだろう。
そうすればまだ望みはあるはずだ。