ブックレビュー「アメリカの警察」
私はトータルで8年間米国で生活したが、米国の警察にお世話になったのは二度スピード違反でチケットを切られた時だけだ。
一度目はケンタッキー州レキシントンで毎日通勤で通っていた住宅区域を普段通り調子良く走っていたことを咎められたもので(確かにその道路の法定速度を大きく上回っていたので明らかに私が悪い)、もう一度はニューヨーク州からニュージャージー州側に入ってからハイウエイパトロールに止められたものだった(こちらもあるイベントに遅刻しそうになって焦っていた私が悪い)。
当時同僚からは裁判所に出頭したら有利になる、とのアドバイスを受けたが、結局出頭はせず、罰金を素直に支払った。幸いにも、どちらのケースも特に人種差別的な扱いを受けたようには思わなかったが、今考えるとそういう扱いを受けるリスクは十分あったのかもしれない。
日本版ニューズウイーク誌にいつも最新の米国事情をわかりやすく解説してくれる冷泉彰彦氏の本書は、米国の警察組織の複雑さ、生い立ちの違い、そして昨今話題になっているブラックライブズマター(BLM)と言われる社会問題の根源を彼なりの分析で示してくれている。
日本では各都道府県の警察は警察庁が統括、その警察庁は国務大臣である国家公安委員長を代表とする国家公安委員会の管轄下にある。すべてこれ一つだ。
これに対して米国の警察組織は複雑だ。まず自治体警察と州警察があり、その他にもFBI(連邦捜査局)やATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)、DEA(麻薬取締局)さらにシークレットサービスなど連邦の警察組織がある。そのほかに「保安官(シェリフ)」、連邦レベルでは「USマーシャル(連邦保安官)」、それとは別に、自治体警察の中にSWATチームという一種のエリート部隊がある。
これらの総数は一万8000ともいわれる。そしてこれらが横並びの独立組織なのだ。
これだけ組織が入り組んでいると、日本的に考えると組織が混乱したり意思決定が遅れる懸念を感じるが、役割分担がはっきりしており、また組織同士が対等だという意識があり、深刻な状況では専門チームが集まり、寄せ集めの横広がり組織でもちゃんとタスクフォースとして機能する。その点は縦型社会の日本とは異なり、これから専門性の分化が始まるであろう日本が学ぶべきところだ。
また日本ではあまり考えられないが、公選の保安官、管理監督者であり首長が政治任用する各警察署長などはサーティフィケーションは要求されず、警察官でない人物を市長が任命することも可能だ。これは他の分野でもそうで、ケンタッキー州に住んでいた際の小学校の校長はバリバリのMBAホルダーで教員叩き上げでは無かった。管理監督はプレイヤーの仕事とは違う、という役割認識が徹底しているからだろう。
さて、そのような複雑な米国の警察組織ではあるが、2001年9月の「911同時多発テロ」を契機に、当時のブッシュ政権は連邦政府の大きな組織改革を行った。
まずCIAとFBIの統合を模索したが結局これはうまく行かなかった。FBIは設立当初から国政の中枢に食い込んで政争にまで関与する独立性の高い組織であったこと、CIAも独自の情報ネットワークに他の組織が介入するのを嫌がった。
それでもそれ以外の多くの組織を統合してDHS(国家保安省)を作った。「税関」の機能、「出入国管理」の機能、沿岸警備隊、シークレットサービス、FEMA(緊急事態庁)がDHSの傘下となった。また新たな機能としてICE(移民関税執行局)が付加された。この設立間もないICEはトランプ時代に彼の政治的主張からくる活動の「隠れ蓑」になった。
さて本書では先のFBIの生い立ち、FBI以外の連邦警察組織、米国銃社会の背景や逮捕と司法取引について日本との違いにハイライトしてわかりやすく説明してくれるが、本書で最も大切と思われるのは米警察でなぜ人種差別が生まれているのかという点である。
著者はその理由として、警察組織の分断、銃社会での警察組織の難しさを挙げている。特にSWATという一種のエリート部隊の影にある成績の良くない警官の問題を指摘している。優秀な警官はより良い処遇を求めてSWATなどに引き抜かれていく中、限られた予算の中で現場を担う取り残された警官の質が落ちている。
例えば2020年5月のフロイド事件の実行犯ショービン。筆者は彼が非常にスキルが低い警官で、自分が担当しているエリアの住民が危険人物かどうかを判別するコミュニケーション能力に欠け、リスクを処理できるだけの格闘のスキルにも自信が無かった、その結果「裏ルール」として現場で使われていた「自分のヒザで被疑者の首を絞める」という手段に出たのだ、と指摘する。
ショービンのような自治体警察の現場の警官の給与はSWAT、州警察、連邦エージェントと比較すると約半分だという。このためショービンは非番の際にはガードマンをやり、しかもその報酬を確定申告していなかった。BLM運動では警察予算の削減を求める声が高いが、それではさらに現場の警察官を追い込んでしまうことにもなりかねない。
また銃社会の米国では、現場の警察官の日々の業務の中で、「相手が銃で武装している」可能性は極めて高い。白人警官が黒人男性に過剰な暴力を加える背景には、この銃社会に対する恐怖、すなわち仮に相手が武装していなくても、格闘の結果として銃を奪われる恐怖があるという問題がある。
日本でよく疑問に思われている米国の銃社会だが、米国ではこれを諸悪の根源とする意識は薄い。大都市のように銃規制が機能している地域と山岳地帯や大平原で保安官制度と武装した住民が治安を維持している地域が同時に存在している、それが米国の現実だ。
警官の質の問題は、オバマ政権時代にホルダー司法長官が指導するプロジェクトを始めたがその効果はあまり見られなかったらしい。バイデン大統領はこの問題をいかに解決していこうとするのか。著者は「鬼検事」だったハリス副大統領の警察改革に期待している。
さて、日頃、米国映画やTVドラマ、小説でしか目にすることが無い米国の警察組織だが、本書で警察組織の置かれた社会的な立場を理解すれば、それらの作品の背景をより深く理解できることは間違い無いだろう。
また、とかく米警察の専門性の高さや司法取引など独自のシステムばかりに目を奪われて、日本社会へそのまま輸入しようという意見が見られるが、そこには社会的背景や環境の違いがあることをよく理解した上で学ぶべきところは学んでいく謙虚さも必要だろう。