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ブックレビュー「花の回廊 流転の海第五部」

宮本輝による自伝的長編小説で全9部の第5部は、ほとんど一文無しになった松坂熊吾夫婦が富山から連れ帰った伸仁をやむなく阪神電車尼崎駅から5分程度の場所にある「蘭月ビル」という「奇妙な長屋」の一階に住む妹タネ宅に預けるところから始まる。

この蘭月ビルの「奇妙さ」が想像を絶するものなのだ。

蘭月ビルは凹型をさかさまにしたような二階建てで、一階部分に南北に湿った土の通路が貫いている。もともとは路地を挟んで向かい合う二棟の細長い長屋だったのが、二棟の長屋をまたぐ格好で二階部分を増築したものだ。

一階の北側にはタネがお好み焼き屋を開店するコンクリート敷きの土間があり、奥には六畳と八畳の部屋、その東側には台所と四畳半がつながっている。タネ宅の前には車が一台通れるほどの裏道に沿って、油膜に覆われたどぶが流れていて、そのどぶをまたぐと有刺鉄線をはりめぐらした工務店の資材置き場があった。

一階には東側には七世帯、西側には六世帯あり、二階にはさらに十一世帯、合計二十四世帯のうち十世帯は朝鮮人が住む。一階の真ん中には共同便所があり、その隣の部屋の前には志那そばの屋台があり、その隣には理髪屋がある。共同弁所と屋台のラーメン屋の家とのあいだに細い階段がある。

消防署の調査で二階の違法建築が指摘されており、階段は狭いし暗く、世帯の数と比べても少ないため災害時の危険がある。各部屋のドアは色も材質も異なるドアがついている...

そういう奇妙な長屋に住む人達の人物描写が第5部の中心と言って過言ではないだろう。中学二年生のとんでもない津久田咲子という美少女がおり、その兄は東大医学部すら目指せる高校二年生悟は神童で、妹香根は盲目、弟清之介はまだ二歳。父親は工場現場で働く人たちを地方から集めてくる仕事をしているが、プロレスラー以上に危ない大男。母親は神戸にある映画館で住み込みで働いている。

怪人20面相と呼ばれる恩田さんもいれば、その隣には京都大学を出たインテリだが変なものばかり作っている新井さんがいて、茶道に詳しい日本語が怪しいヤカンのホンギがいる。

アコギな金貸しの張本アニイに、伸仁の親友土井のあっちゃん、その隣には月に一度「マメの会」に伸仁を招いてくれる伊東夫婦がいて、洋服の仕立て屋をしている金静子、保険の勧誘員をやっている並河さん、毎日夕刊を売ってたこ焼きを妹光子のために買おうと頑張る月村敏夫くんがいる。沼田のお婆さんは死んだ孫を追いかけてアパート内をさまよい歩いている。

伸仁はここで二度人の死に接する。一人目は張本アニイの父親、もう一人は自殺することになる唐木という男にドアのカギを閉めて鍵をすてて来るように頼まれた時だ。唐木は女学校の教師だったが、妻子を捨てて、生徒と大阪へ逃げて、新たな勤務先の製パン工場の金を使い込んで、蘭月ビルに身を隠していた。女は内緒で身体を売って稼いでいたが、唐木がその金の一部を妻子に仕送りしていたことに気づいて唐木を捨てて出ていった。

そして熊吾と妻の房江は伸仁をこのアパートに住ませなければいけなくなったことに苦悩する。それもすべて金がないからだ。房江は意地が悪いカツ代がいる小料理屋「お染」での仕事で家計を支え、熊吾は福島女学院移転で売却される土地にカープールを始める事業開始を急ぐ。

ところが伸仁は奇妙な長屋での生活でも、独特の嗅覚で人間関係を作り自分の立ち位置を定めていく。熊吾はそういう長屋に息子を住ませていることを悔やみながらも、公平な姿勢で長屋の住民らと付き合う。

房江が反対する中、伸仁が敏夫につき合って夕刊売りをすることを許可するが、遠目にみつからないように熊吾はその様子を見ている。後悔しながらも伸仁が経験の中から見出していくであろうStreet哲学に価値を見出しているからだ。

それにしても著者はこの奇妙な長屋とその住民をどうやって作りだしたのだろうか。とても空想だけの産物とは思えない。自伝的小説であるから、この幾分かは自らが幼少時に経験したものに違いない。

戦後間もない時期と私の育った時期では15年以上差があるとは言え、ここで描写される世界は同じ兵庫県でも私の育った企業団地の世界とはあまりにかけ離れている。いや、もしかするとあの企業団地の中にも同じ様な人間模様があったのだが、私の鈍い感性には響かなったのかもしれない。

第4部までで、「人の出自や生き様、人としての器の大きさ、そして品格という軸」、そして育てられた環境から学ぶStreet哲学の伸仁への影響を語っていたわけだが、ここに来てStreet哲学の影響により軸足が移ったように見える。

そして第6部では、新しい事業の展開、中学生に近づく伸仁の成長、そして海老原太一との因縁が語られていくことになるだろう。残りの4部を読むのがますます楽しみになって来た。




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