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自己紹介がわりに、小さな偶然の話を。
こんにちは、Kaeといいます。
1児の母で、勤めていた会社を休職中です。
2年前(2019年)の春、夫が初めての海外転勤でメキシコへと赴任し、その9日後にわたしは初めての出産を迎えました。
娘が生後5か月になるまでは夫と離れ日本で、それからは家族3人メキシコで生活しています。
転勤を知らせるLINEを夫から受け取った日のことは、いまだに鮮明に覚えています。スマホを手にしたまま、臨月の腰の痛みも忘れて、マンションの狭いキッチン台でしばらく立ち尽くしてしまいました。
それは、出産を夫不在で迎えなくてはならない、ということへのショックも少なからずあったのですが、それよりも「メキシコ」という行き先に運命のようなものを感じていたからです。
今日は自己紹介がわりに、その話をさせてください。
◇
もう15年近く前です。
受験大学を決める。その期限がすぐそこまで迫ってきていたのに、高校3年だったわたしには「勉強したい」と思えるものが見つかっていませんでした。
いま考えれば部活を引退したあとの燃え尽き症候群を引きずったまま、真剣に探す気がなかったのだろうと思います。よくわかんないや、と言い続けて、誰かに決めて欲しい、と甘えていたのかもしれません。
そんなある日、冬の冷えた講堂で友人2人と横並びに座り、ぼそぼそと受験の話をしていたときです。友人の1人が、外国の言語を1つ選んで勉強する面白い大学があるらしい、と言い出しました。
「これ以上考えてもわかんないから、わたしそこのイタリア語にしちゃおうかな、明るそうだし。」
「え、待ってよ。じゃあロシア語にするわ、わたし暗いし。」
2人は冗談半分、でも残りの半分は本気に見えました。
このときなぜか、楽しそうだな、と思ったのです。大学という場所に行ったことがない以上、悩み続けてから決めても、えいやっで決めても、たぶんそんなにかわらない。それなら直感で楽しそうと思えた場所に飛び込んでみて、その場所で頑張ろう。投げやりというよりもそんな吹っ切れた気持ちだったように思います。
「じゃあ明るそうで、使ってる人口多そうだから、スペイン語で。」
結局これが、進路となりました。
◇
やや当てずっぽうに近い形で決めた大学でしたが、その毎日は思いのほか充実したものでした。中学の英語の授業では感じることのなかった「言語を学ぶ楽しさ」を、大学に入って初めて知りました。
そして18歳の夏、初めてスペインを訪れたのです。
強烈な陽射し、地下鉄の薄汚れた雰囲気、バルの床に散らばった爪楊枝。それまで一度も日本を出たことのなかったわたしの目には、それらすべてが新鮮な驚きとして映りました。
何より最も感動したのは、生きたスペイン語の美しさでした。まるで歌っているかのようなリズムと抑揚。彼らが紡ぎ出す言葉を、ずっと聞いていたい。あんなふうに話してみたい。わたしは1週間の旅行中ずっと、耳に届く心地よいスペイン語にうっとりと聞き惚れていました。
それから卒業まで、部活やバイトをしながら、時間とお金の許す限り色々な国を訪れました。
実は、ブラジルを除き中南米の国々の公用語もスペイン語です。スペインのそれとは異なる、彼ら独自のスペイン語。中でもメキシコは、その豊かな自然と食文化、色鮮やかで美しい工芸品の数々も相まって、学生のうちにどうしても一度、と旅行先や留学先に選ぶ同級生も少なくありませんでした。なのにわたしは、もう少し語彙が増えてから、もう少しヒアリングが上達してから、とメキシコへの旅行を先延ばしするうちに、結局卒業を迎えてしまったのです。いつかきっとそのときが来るだろう、と思いながら。
けれど、そんな淡い希望は就職して一気に消え失せました。
家と職場を往復するだけで精一杯の毎日を送っていた新入社員の頃のわたしにとって、気がつけばメキシコは遠い遠いお話の中の国になってしまっていました。この先一生、ここを訪れる機会はないかもしれない。テレビの旅番組や旅行雑誌の特集などで目にするたび、そんなことを感じ、同時に時間のあった学生時代にメキシコを訪れなかった自分を悔やみました。
◇
だから、あの日。夫からのLINEに「メキシコ」の文字を見たとき、わたしは動けなくなってしまったのです。
あの国が呼んでくれている。まだ遅くないから、と言ってくれてる。
大袈裟かもしれませんが、そう思いました。そして、わたしと夫、2人の人生のピースが、奇跡のように目の前でぴたりとはまったことに、鳥肌が立ちました。
あれからもう2年。
この国での暮らしがあとどれだけ続くのかわかりません。それでも、ここでの出会いがのちにまた、小さな偶然のドラマを生むといい。いやきっと生んでくれる。そんなわくわくした気持ちを抱えながら、日々を過ごしています。