あるもの探し
『ロングバケーション』を観てから、山口智子さんがすごく気になっている。
山口さんから発するオーラになぜか魅了されるのだ。
今も『心がポキッとね』を観ている最中で、言葉遣いやイントネーションも好きになる。
愛されやすい人の特徴だ。
興味を抱くと徹底的に調べる癖がある僕。
色んな媒体で山口さんについて調べてみる。本当に明るい方なんだなと感じる。
自分の心に素直で、ありのままに生きる姿。尊敬しかない。
その中で、山口さんがYouTubeを投稿されているということを知り、一番古い動画を拝見した。
するとその冒頭、山口さんは「当たり前の先に行きたい」とおっしゃっていた。
芸能で生きてきて、人間が作り出した社会で自分探しをするのはたかが知れている。
もっと視点を上にあげて物事を見ないと何も始まらないと。
そして、旅にでる。日本各地を飛び回り、その土地の人や文化にふれていく。そんな感じ。
そこには、今まで大切にされてきたすでに「ある」ものを探したい。
あるものを通じて、自分とは何か、自分のあるべき姿とは何かを考えたい。
僕にはそういう風に聞こえた。
ますます山口さんのことが好きになりそうだ。
当たり前のことについて、僕らは考えることがあるのだろうか。
ちなみに僕も考えているとは言い難い。
将来のことに不安を抱き、心の隙間を消費的なコンテンツで埋めようしてしまう。
現在に満足しすぎていて、目先のものにとらわれすぎている。
満足の閾値はとうに高くなりすぎていて、それでも将来に期待しまい、嫉妬してしまい、落胆してしまうのかもしれない。それを埋めようとするかのように、新しい何かが生まれ続けている。そして、満足の閾値がさらに高まってしまうのだ。
この時代に生きている当たり前は、満足を満たす前提にしかすぎず、ありがたみや感謝、幸せといったものを感じることが難しいのかもしれない。
そこに大切な何かが忘れ去られている気がしてたまらなかった。
それが、当たり前すぎていて、存在しているけれども忘れている感じ。
それが言語化できていなくて苦しかった。
でも見つけることができた。
「あるもの探し」が必要なのだと。
近内悠太さんの『世界は贈与でできている』に、このような一説がある。
“現代に生きる僕らは、何かが「無い」ことには気づくことができますが、何かが「ある」ことには気づきません。”
やはり、「ある」ことには気づけないのだ。
だからこそ、山口さんは旅をするし、僕は気づけないから葛藤する。
僕はこの一説を読んで、そう感じた。
「無い」ことに嘆くということは、すごく当たり前のことなのだと。
「ある」ものに気づくことができないことも当たり前なことだと。
だからこそ、「無い」ものに嘆くよりも、「ある」ものを探し求めることが必要なのかもしれない。
「無い」と「ある」の代表格として「幸せ」があげられると思う。
「幸せとは」という悩みに対して、自分なりの答えが一つ見つかったような気がする。
幸せとは、もうすでに受け取っている「ある」もので、それに気づくかどうかが大切なんだと。今ある当たり前な状態こそが、幸せな状態なんだと。
逆に「無い」ものを追求するのが「ビジネス」や「社会発展」、「文明開化」とかそんなものなんだと思う。
それが自分の中で、本当に幸せになるのか?と悩んでいたのだ。
とある学者の方も、世界が発展していけば、人類に残された娯楽は恋愛かスポーツだけだとおっしゃっていた。
恋愛もスポーツも「無い」から「ある」になるし、ビジネスも介入してきて買えるものとも化していると思う。生物的観点からみても、幸せホルモンの分泌が関与しているらしいから、どうにかするのも難しい。
いわば、消費的なコンテンツであり、僕から言わせるとそこに「幸せ」があるとは言い難いのではと思う。
「無い」から「ある」は心を満たすのではなく、頭や体を満たしているに過ぎない。
かといって、無いものを追求するなと言われるとそうでもない。他国が発展していくと、国同士で格差が起こり、いろいろな「争いごと」が生まれるということも十分理解している。
よく、「失って気づく大切なもの」という言葉を聞く。そういう後悔をするのであれば、もっと「あるもの探し」をする必要があるのではと感じるのだ。
近内さんが言う“「ある」ことに気づかない”と言うのであれば、「ある」が探すべき大切なものだと僕は思う。もうすでに受け取っているもので、私たちは幸せだと感じることができるはずだ。
僕は就職活動中、「無い」であろうものを探し続けた。
どのようにすれば、この世の中は幸せで満ち溢れるのだろうか。
その答えを探すことが難しかった。それは、もうすでに「ある」ものだから。
そういう風に思うことができた。
ある程度満足しているけど、将来が不安だということを除いては。
それならば、「ある」ものにとことん向き合い続けていきたい。
昔にはなくて、今あるものは何だろうか。
私しか持っていないもの、代わりが効かない大切な人・モノ・コトは何だろうか。
今にもなくなってしまいそうなお気に入りの場所はどこだろうか。
想いを馳せる。
もし、人生が幸せではないと思うのであれば、
お気に入りのカフェに行き、好きな人達とくだらない話をしてみるといいかもしれない。
自分の好きな趣味に没頭してみるのもいい。
もうすでに、幸せを受け取っているのだから。
そのような当たり前な日常に、幸せは眠っている。
あとはそれに気づき、誰かに幸せを繋げることができるかどうかなのだ。