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市民目線だと、『まち』が見えない

田舎出身の僕。
田舎に住んでいて耳にするのは、
「何もない」「出る杭は打たれるよ」
こんな言葉ばかり。

なんで悲観的なことばかりしか言えないんだろう。
何とかしないといけないよな、と頭の中でぐるぐると渦巻く。

けれど、何をすればいいのだろう。
それが全然わからない。

そんな感じで大学6年目を迎えた。
地元の大学にいるのに、生まれ育った田舎に貢献できていないもどかしさを抱えてばかりだった。


けれど、田舎で活躍している人ってたくさんいる。

ご縁でつながった人たちに、
「自分の地元は、まだまだなんですよね」
って言ったとしても、

あそこ自分の地元はこれからだよ」
「僕の地元と比べればすごいまちだよ」

だなんて評価してくださる人ばかり。
あれ、自分の地元は捨てたもんじゃないのか…?
少し、光が見えてくる。

そう言ってくださるのは、地域や田舎に対して真剣に向き合っている方々だった。
地域おこし協力隊や、地域の企業人といった、プレイヤーとして『まち』に住んでいる人ばかりだった。

結局、地域や田舎を悲観的に見るのって、市民目線でしか『まち』を見られていないんだよなって思うのだ。
「何をしたらいいかわからない」だなんて。いくつも頭の中にあるじゃないか。
ただ、それを様々な言い訳のせいにして、行動していないだけだろう。

『まち』について悲観的になっている人たちは、常に受け身の人ばかり。
受け身な人が悪いのではないけれど、僕はそちら側には居たくない。

『まち』で活躍している人たちは、常に当事者意識をもって、『まち』の課題に向き合っている。
「もっとこうしたらいいよね」「こんなのはどう?」といった、理想や期待で溢れている。

もっと理想を掲げ、行動していたい。
同じ想いを持った人たちと、地域の課題に向き合っていたい。


一週間後。
多くの方々と、“鹿児島のこれから”、“日本のこれから”について考え、対話する。

自分の至らなさで胸がいっぱいになりそうだけれど、
「鹿児島のリーダー」になると決めたからには行動し続けなければ。

手段なんて後からでもいい。
今の自分に求められることが見つかれれば。
プレイヤー目線で『まち』を見ることができれば、きっと見つかる。
僕にしかできないことが、地域のそこら中で眠っているに違いない。

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